Sickened 03
あなた達がいない朝は、夜にどんなに祈りを捧げても訪れる。
目が覚めて、胸元の十字架を握りしめれば、死を実感する。
どうして、私を置いていったのですか?
なぜ彼等が死なねばならなかったのですか?
愛する神からの返答は、まだこない。
※
「ケイティ、おはよう」
悪夢は形となって、ケイトに声をかける。
ユージーン・ラムは愛想が良い。
よく喋るし、よく笑う。
この男の悪魔のような顔を知るのは、自分だけだろう。ああ、あとこいつに殺された人。
ラムがこの家に居着いて一週間。彼はひたすらケイトの事を知りたがった。
食事の好み。体調。家族に呼ばれていた愛称。
そして死んだ家族のことについて。
いくつかは、答え、いくつかは無言に徹した。
特に家族の死については。
「ケイティ、今日は病院の日でしょう。送りますよ」
オーバードーズを繰り返したケイトの腎臓は、機能の低下が著しかった。メンタルクリニック以外にも、通わねばならない病院がある。
この男が送迎を申し出るのは、一人だと退屈だからだ。一週間共に過ごして、真っ先に気づいたのは、この男は退屈をひどく嫌うということだった。
平穏は毒だ、とあの夜のように笑ってない目を細めて、彼は言った。
「退屈は最悪だ。死ぬことよりも。僕は、自分が死ぬことは怖くないんです。それはきっと、最高にスリリングだから」
それを一年後に死ぬ相手に言うのだから、本心なのだろう。体験してみたいような口ぶりだったから。
それはともかく。
「送迎はいい。自分で行くから。貴方は仕事をしてくれる?両親の死で賄われる賠償金で、貴方まで養う気はないわ」
「残念ながら、僕はお金に困っていません」
にこりと微笑んで、ラムは続ける。
「色んな仕事をしていますから」
その微笑みと、内容とを何となく察してしまい、ケイトは聞くことをやめた。
「私の車を使う気?」
「ええ。キーを」
死ぬ事が怖くない奴が運転する車になんか、乗りたくない。しかし、ここで押し問答をしていては時間に遅れるだろう。
「分かった」
こんなペースで、ケイトはラムにうんざりしている。
「ケイティ」
「なによ」
「死ぬのは怖いですか?」
「そんなには」
「なぜです?」
「終わりがないことの方が、苦痛だもの」
ケイトは囁く。
「苦痛を終わらせるのが死だけならば、それは安寧よ」
退屈を嫌うラムらしく、病院に到着してからは時間を潰してくると言った。そもそも、この病院は身内以外での付き添いができない。
そして恭しく、ケイトの手を取ると右の小指に指輪を通す。
「これは健気な貴女に、プレゼントです」
「はい?」
「盗聴器と位置情報が僕のスマホに」
「ああ……はいはい」
「体温を感知するので、外すと通知もきます」
「ご丁寧にありがとう。一週間で信頼を築くのは難しいものね。いえ、貴方だとあと一年くらいかかるかしら」
嫌味たっぷりにそういってやれば、彼は満足そうに頷く。
「そうかもしれません。人は簡単に嘘をつくので」
にっこりと笑って彼はケイトを見送った。
※
「かなり悪いわね」
女医は顔を顰めて、そう言った。
「ドラッグは?まだやってる?」
「......」
「ケイト。何度も言うけど、これは貴女の問題なの」
「わかってる」
「なら、いいけど。私は医者だけど、個人の生き方まで口を出したりしないわ」
でもね、と彼女は続けた。
「私は医者としての仕事はする。できる治療はしたいし、治療の助けになるアドバイスはする。ありきたりだけど、言わせて」
女医の顔をぼんやりと見つめる。
少しカサついた肌。シワと血管が浮いた首筋。
アイシャドウも目尻のシワで僅かにヨレている。それでも、彼女の瞳にはしっかりとした意思があり、生命力を感じさせる。
老いることを嘆くことがないかのように。丁寧に赤いルージュを引いた唇が、はっきりと動く。
「患者の貴女に一秒でも、長生きして欲しい」
確かに在り来りな言葉だ、と思った。
そして医者が口を出すには過ぎた話だとも。
(私が長生きする事になんの意味が?)
頭のどこか冷めた部分が、問う。
親兄弟もいない。友達もいない。親戚もおらず、仕事もしていない。
消えても社会に影響はない。
まだ十八なのに、人生の殆どを失くしてしまった。
十字架を握る。十字のきり方は、忘れていない。祈りの言葉も、聖句も、生き方も。
両親は信仰と共にすべてを私に与えて、そして置いていった。
これは何だ。
義人ヨブの真似事か。
環境を恨むな。
喪失を恨むな。
神を恨むな。
ただ、信じて、待つ時間にすり減っていく神経に付き合いきれず、祈りを捧げても渇くばかりの喉。それと共に祈る言葉を失くして、ただ泣いて。
私は、
「そう出来たら、良かったんですけど」
話はもう終わりだと、ケイトは立ち上がった。
※
「おかえり」
ケイトの車で迎えに来たラムは、僅かに血の匂いをさせて微笑んだ。
何をしてきたか訊かなければ、自分も同罪だろうか。
逡巡して、考えるのをやめる。
十八の誕生日に両親が買ってくれた車は、何らかの犯罪行為に使われている。
両親が知ったら発狂しそうだ。
生活が少しずつ、ラムに蝕まれていく。
ぽた、と落ちた涙をラムが不思議そうに見る。
「どうしました?」
「知らない」
腹が立つ事に、赤信号である。
それも長い事で有名な。
「そうですか」
興味がなさそうに彼は応える。しかし、ぬうと伸びた手が、指が。涙だけはそっと拭う。
「......何」
「僕は泣かれるのが嫌いです。面倒臭いから」
「ほっといてくれる」
「なら、泣き止んでくださいね」
日常が。
もう失くしたと思った日常が、塗り潰され、犯され、汚されていく。
こんな手にも縋りたいと思った自分を、一生赦せない。
それだけは、きっと変わらないだろう。
2022-06-16
*前 しおり 次#
back to top