Sickened 07
死への恐怖がないわけではない。
それでもずっとこの先生きていくという不安よりは、安堵の方が大きかった。
いつまでも続くと思うと途方に暮れてしまう。
限りがあるならば――それで良い。どうせまっとうに生きられない自分にはもったいない。
夕方、テレビを眺めていたケイトにラムは声をかけた。
「ケイティ、今日は体調が悪そうですね」
両親が好んだ愛称でラムに呼ばれると、本当に自分はどうしようもないところまで来てしまったのだと感じる。
何回かやめろと言ってみたが、この男が言うことをきくわけもなかった。
「別に」
ラムの言う通りだった。
昨日透析を終えたばかりなのに、吐き気が止まらない。
管を通し続けた腕がひどく痛む。
この男は人を良く見ているらしく、変化にはすぐ気づいた。
ただ「体調が悪そうですね」という言葉は心配ではなく、文字通りの確認の意味合いが大きいようだった。
同情はわからないと言っていた。
相手が困っても自分は困らない。気持ちを理解したところで自分には利がない。
でもそれを表に出すと面倒なことになるのはわかる。
だから一応、声に出す。
それを繰り返せば、表面上は平和に過ごせてめんどくさくない、とはラムの談である。
「もうベッドで休みますか?」
「そうする」
「薬は飲みましたか?」
「……心配?」
そんなわけないと知っている。嘲るように問えば、彼はにこりともせずに言う。
「予定より早く死なれると、退屈なので」
「うーん、もはや模範解答な気がしてきたわ」
「貴女は適応能力が高いですよね」
「ありがとう。最高に嬉しくないわ」
ふらふらと揺れる身体をラムが支える。痛まないほうの腕を取って、階段を一緒に上る。
「一緒にこなくていい」
「暇なので」
「どこか遊びに行ってきなさいよ……私は寝るから」
「……寝るまで一緒にいますよ」
――これは良くない。
ケイトは口の中に嫌な味が広がるような感覚を覚える。
サイコパスの資質を持っていても、平和に暮らしている人間は大勢いる。
むしろ、そちらの方が普通なのだ。
サイコパスが皆、血に飢えているわけではない。
共感は勉強だ。
人間関係はデータストックとシミュレートで補える。
自身の持つ本質がそれを難しくさせていても、学ぶことはできる。実際この男は『人気者』だったと語っていた。彼自身、努力はしてきたのだろう。
友人にも恋人にもなれる優しさを、この男は――他者と違えど――持っている。
良くない。――私にとっても、こいつにとっても。
「私に――そんな演技する必要ない」
ベッドに横になりながら、ケイトはラムの瞳をじっと見つめた。
「本性を知っているし、意味ないよ」
少しだけ笑えば、彼も少しだけ微笑んだ。
「楽で助かります」
「はいはい」
「もう寝ますよね?就寝前の祈りをしますか?」
「え、」
当たり前のように言われた言葉に、一瞬思考が固まった。
「そんなのいらないわ。――両親を亡くしてから、祈れなくなったから」
他人はどうかは知らないが、両親が生きていたころは食前の祈りと、寝る前の祈りは欠かした事がなかった。良いことがあっても、悪いことがあっても祈っていた。
アンネの日記は、日記を友人に見立てて書かれていた事が有名だがケイトも似たような感覚だった。
どんな事も共有したくなる友人のような、そんな親しみ。
縋る対象ではなくて、大切な存在として神はそこに在った。
「あなたは、神に祈るの?」
「ええ、時々。養父母の幸福を」
感情移入は難しくとも、そこに情は生まれる。
だからこの男は祈るのだろう。
「祈れるのね。羨ましい――」
ぽろっと涙がこぼれて、ケイトは自分の本音を知った。
祈る側にとって、それを神が聞き入れてくれるかはどうでもいいのかもしれない。
大切な友人がそこにいると信じられる。その事実が信仰を強くするのだ。
「僕がこんなでも、それは両親に関係のない事ですから。神はきっと善人である彼らを見ていてくれます」
どこか静かな声音でそう言うと、ラムは毛布をケイトの首元まで上げた。
「自分勝手ね」
「そんなものじゃないですか、宗教なんて」
「そこまで勝手だと清々しいわね」
「……でしょう。だからケイト」
一度だけ、子供にするように頭を撫でて彼は言う。
「僕が代わりに祈ります。貴女が良く眠れるように」
何か、思うところがあったのだろうか。
いやに優し気な提案に、ケイトは訝しがる。
そして、ようやく気付く。
(ああ、神の存在を信じていて。でも自分は諦めている)
そこだけが自分とラムの共通点だ。
「いいよ、祈らなくて」
勝手に見限った友人の言葉なんて、聞きたくないだろうから。
そう言うと、ラムは微笑んだ。
「おやすみ、ケイティ」
素直な貴女はきっと罪悪感がいっぱいで、今日も悪夢に魘される。
そんな貴女を見て、たくさんの感情があると知る。
実感できないものは、客観的に理解するしかない。
本を読むように、映画を観るように、僕は貴女を鑑賞する。
いつか来る終わりを楽しく迎えるには、貴女をどう蹂躙するのが良いのだろう。
「――ねえ、神様」
静かに寝息を立て始めたケイトを見つめて、囁く。
「貴方は本当に、この子を見捨ててしまうんですか?」
自分のようなろくでなしに、この子の人生を踏みつけにさせるのか?
貴方を無くしたと嘆いているこの子を、迎えにはこないのか?
何故。
なぜ、こんなひどい目ばかりにあわせるのですか?
応えがない事なんてわかりきっている。
自分が言えた義理ではないし。
義人ヨブの例えからもわかるのだ。
サタンはヨブが神に仕えるのは良い思いができるからだと言った。
だから神はサタンがヨブの大事なものを奪うことを許した。
サタンは家財も子供も、ヨブ自身の健康も奪った。
ヨブは神がそれを許した事を知らなかったから、ひどく嘆いた。
それでも神を信じ続けたヨブは新たな富と子供に恵まれたが、ラムはそれについていつも思うことがあるのだ。
――神というのは自身の証明の為に人間を使うことがある。
為らば、ケイトがこうなったのも神の御心ということだろうか。
「父さん、貴方の信じている神様は今も優しいかい?」
ケイトの話を聞いていて、思うところがあった。
孤独を感じている時に、もしかして神様なら自分を嫌いにならないでくれるかもしれないと思ったことが何度もあった。
罪悪感は、相変わらずわからない。
だから結局は、こんなところまで堕ちてしまったけれど。
ただ――
「なぜ、僕をこんな風に造ったんですか?」
それは一度、神に訊いてみたいと思っていた。
20240601
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