哀切と言い切るその故は

『――姉様』

 真名でなくとも、人を縛り付けるのなんて簡単なの。
 私はそれを知っているわ。
 縛り付けられるのが嫌ならば、誰に呼ばれても返事なんてしない事ね。それが一番よ。

『――姉様』

 貴女が私をそう呼んで、私はそれに応えたわ。だから私は『それ』という存在なんでしょうね。気づいたときににはもう、遅かった。私は貴女の『それ』で在ろうと努めたわ。
 なぜかしらね。
 そんな必要ないはずなのに。

『ねえ、姉様、あなたはほんとうに』

 あどけなく、どこまでもあどけなく、私の心を抉る貴女。
 見透かされてたのね。
 そして知ってたんでしょう。なにもかも。

『くだらないわね、姉様』

 まるで鏡のようね。そんなこと、言われなくても私は知っていたもの。








「静音様」

 蝶子の『練習』を見届け終えやれやれとした時だ。ひどく神経を使ったので人に会わぬようにと帰りは裏道を使った。それなのに、だ。冴凪水城がいくつもの竹簡を抱えて歩み寄ってくる。その姿を捉えて赤橋静音は剣呑に瞳を細めた。

「何か用事でも?」
 よりにもよって会いたくない顔だ、と静音は内心毒づいた。この男は剣だ。それもあの花姫付きの。天都といい、剣といい、どうにも餌人達を必要以上に優遇しているようにしか見えない。赤橋の雨が止まぬせいだと暗に言われているように感じる。

「雨乞いの儀と、略式の雨について幾点か変更がございまして。お忙しいのに申し訳ございません」

 慇懃な態度を崩さぬまま水城は続けた。

「花姫様も此度の儀には参加を、と王は仰せでしたので蛇の目と剣の配置を変更せよとのことです」
「花姫もですか」

 あの離れで軟禁されている娘をなぜわざわざ出すのか。

「うちの娘が……蝶子が雨乞いをしくじるとでも?」

 静音はぎゅっとこぶしを握りしめた。
 蝶子は優秀だ。静音は蝶子を完璧な祈雨師として育ててきた。
 前髪に手をもぐらせて、彼女は呻く。

「信用のないことです。悲しいですね」
「悲しい、ですか」

 青年が意外だとでも言うように、ほんの少し口の端をあげた。

「悔しい、の間違いでは?」
「……どういう意味です」
「天都からの信用がないのは、貴女様が祈雨師だった時にしくじったからです」
「……」

 言われなれてる言葉だ。だから静音はいつもこう返す。

「雨が止まないのは王家が無能だからです」

 厳密に言えば静音のせいではないのだ。祈雨師の役目は雨を降らすことだけで、雨を止ませることは役目の内に入らない。
 それでも一定の期間を降らせ、確実に止むという安定した技量を祈雨師は求められる。
 静音が悪いのではない。
 彼女が呼んだ雨の子が気まぐれだっただけで。
 
 いつまでも止雨の法を、花姫に頼り続けている王家が悪いのだ。

「しかし、先代様が亡くなったのは、貴女のせいでしょう?」

 水城の瞳がまっすぐに静音を射ぬく。
 雨のせいではなく。
 静音自身のせいで先代――彩咲和花は死んだのだと、水城は言いたいのだ。

「私は姫様にそうなって欲しくはありません」

 この男は、いつだって身を挺して『暗闇』から六花を護っている。その痩躯に、いくつもの傷跡がある事は窺い知ることが出来た。着物の合わせ目から覗く胸板には、はっきりとした傷跡が――そして今も癒えていない傷がいくつか見えている。

「貴方がそこまでして花姫を守ろうとするのは何故です」
「それは――」

 と、その時。

「まってー!」

 水城の言葉が続くより先に、傍らを幼い姉妹が駆けていった。幼い方の娘が、大きな声を出す。
 

「――ねえさま!」

 静音は思わず身を硬くした。

『――姉様』

 いつも、そう。道を歩いていて、そんな声が聞こえるとびくりとしてしまうのだ。自分でもわかるほどに身体が力む。緊張した四肢を宥めながら、深く呼吸を繰り返す。

「姉様、待ってー」
「おそいわよ、もう」

 姉の方が振り向いて、妹の手を引いて再び走り出す。

「静音様?」

 様子がおかしいことを訝しんだ水城が手を伸ばす。
 それを静音は払いのけた。

「――触らないで頂戴」

 くだらない矜持だと思われても良い。
 陰険だと言われてもいい。
 
 花姫に与する人間の助けなど借りぬ。
 天都の使う甘言に落とされた赤橋の一族の、悲願の為。これからの娘の為。なにより自分自身の為に、静音は『彼等』の手を拒む。

 呼吸を正した。瞳は閉ざさない。耳も塞がない。

 静音は水城を見据えて言う。

「雨は必ず止むでしょう。花姫はこれから不要な存在になります。それを護る、お前たちもきっと」

『そうでなかったら、いったい私達は何の為に?』

「勘違いしない事です。赤橋は、いつまでもこの状況に甘んじているつもりはありません。国より先に、自分たちの心配をすることですね」

 着物の裾を翻して、静音はその場を後にする。

 恨めばいい。憎めばいい。好きにすればいい。

「よくも――よくも私達にこんな呪いを」

 涙が滲みそうになる。
 拳を強く握りしめて、歩みを止めぬまま、静音は呪詛を吐き出した。

「赤橋の二姫め」

 誰が妹などと、呼んでやるものか。

(お前が、裏切ったからだ)

 あの男を好いて、あの男の子を産んだからだ。赤橋早葵。お前のせいだ。

『理由なんて単純でいいじゃないですか』

 早咲きの葵のように、お前は早熟で、愛も恋も、一族の未来も単純に捉えていたね。
 姉様と私を呼ぶくせに敬いもしない。優れているくせに、好きなことしかしない。

 そうして好きなように、好きなようで、好きなばかりの。単純な生で終えてしまったね。

「――天都秋夜」

 あの女の、二姫の、子。

 あれは、お前の呪いの象徴だ。


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