赤子がにぎる剣のように

 雨の降る国都。
 人通りの多い北門からの道を二人の男女が歩いていた。
 

「嫌なもんだね、雨なんて」

 背の高い男が言う。
 見た目は三十になったばかりといったところか。
 使い込まれて色褪せた蛇の目とがらんがらんと音を立てる下駄。口に咥えた団子の串。はっきり言って粗野な風貌だが、それがどこかこの男には似合ってる。

「しかし、止むかね。この雨は」
「止む。じゃなきゃ困る」

 小柄な少女が傍らで応えた。まだ二つ団子の刺さった串を持っている。前髪も襟足もぱつりと揃えた特徴的な髪型に、人形めいた白肌が印象的な美少女だ。

「左之は雨が降るといつもそわそわしてる」

 話しかけるというより、完結した独り言のように少女は呟く。

「雨が嫌いなんだよ。俺は」
「そう」
「ああ」

 左之と呼ばれた大男は深く頷きながら、

「しかし相変わらず綺麗だね。国都は。それでもまあ、」

 そう言って張り巡らせた水路に目を遣る。そこをちろりと鼠が走るのを視界に捉えて笑った。

「溝鼠にもきちんと住処がありそうだ」
「どこもそんなもの」

 この水路は憐花の滝から流れるもので、餌人が人外に襲われた時僅かながら結界のような役目をするらしい。国都に住む餌人の数はそう多くないが、例えば花姫のような要人や傀儡となったその『王家』たちを匿うのにはとても重要なものなのだそうだ。
 その有り難い水路にすら、やぶ蚊や鼠がうろちょろしている。そして重要なものの正体とは大概にしてそんなものである。

「それで三枝(みえ)。俺の溝鼠の様子はどうだ」

 三枝は、団子を噛みちぎりながらもごもごと声をだした。

「高尾のこと?」

 数日前蛇の目に捉えられた男である。餌人解放の扇動を危険視した蛇の目が捕えに来るだろうと、敢えて野放しにした左之にとっての蜥蜴の『尾』である。
 
「そう」
「ぺらぺらと喋ったみたい」
「まあ予想通りだよな」
「良いの?」
「良いんだよ。そもそもあの男とうちの組とは接点がねえんだ。親父殿があちこちに手をまわして、漸く見つけたいい囮だからな」
「左之ももう少し、自覚持った方が良い」
「やくざもんの自覚かい」

 そんなもの胸を張って持ってた方が笑われるに決まってる。任侠の世界もなかなかに狭いものだ。勝手もできやしない。そう、無粋な世界だ。

「そりゃ無理だ」
「無理じゃない」
「じゃあお前もここで生きてる自覚持てよ」

 三枝はぎゅっと眉を寄せた。

「持ってるから心配してる。左之のとこにくるかもよ、あの――」
「そうそう。あの色男――なんて言ったっけ?」

 女物の煙管。長い髪。女のように線の細いかんばせ。

「葉良乃沙紀」

 三枝は苦虫を噛み潰したような顔でその名を告げる。彼女が心底あの男を嫌っている事を左之は知っていた。

「高尾から漏れた情報は、良い目くらましになるだろう。餌人たちの解放とその目的……せいぜい慈善活動程度にしか思わないだろうよ」
「左之はそれでいいかもしれない。でも私は、確実に花姫様を助けたい」

 いつもは多くを語らない妹分の、はっきりとした意思表示はそれだけ強い思いが感じられた。

「だって私も――」

 言いかけた三枝の肩に、すれ違った男がぶつかる。

「きゃっ」
「あぶねえ!」

 よろめいた三枝を左之のがっしりした腕が受け止めた。蛇の目が地面に落ちる。

「おい、兄ちゃん。雨んなか走るなよ。あぶねえな」
「あ、あ……すみません!すみません!」

 ぶつかった男は左之の露わになった腕を見て青くなり、慌てて走り去っていった。

「左之。見えてる」

 三枝を支える逞しい腕に見えるのは、鬼と桜の入れ墨だ。

「ああ、」

 すばやく袖を戻す。

「ていうか、かなり怖がられたな……」
「なに落ち込んでるの。当たり前。誰だって私達のこと、怖がるに決まってる」

 傘を差し直して、三枝が呟く。

「やくざで、餌人の為に祈雨師を殺そうなんて考える人間」

 透けるように白い肌に栄える赤い唇が、はっきりとうごいた。

「こわいにきまってる」
「言うねえ」
「左之は人が好きすぎる。しょせん、同じ世界に生きてない人間なんて他人と同じ。動物と同じ。情を移すだけ無駄」
「そう言うなよ」

 三枝の場合は極端に仲間とか身内の括りが狭いのだ。左之はそれが少し心配であったし、しかしながら三枝のその狭い括りの中に自分が居る事が嬉しくもある。

「三枝よ、お前も雨は嫌いか?」
「きらい」

 いつもよりもややはっきりと応えるその声には、仄かな憎悪が宿っていた。


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