殺めたのは錆び付く心臓

 雨乞いの儀から五日後、雨は無事に止んだ。

 秋夜は花束をそっと憐花の湖の上に浮かべた。水は優しく花を受け止めてくれる。ほの暗いこの場所は、自分を受け入れてくれた人たちのように、ふわりふわりと重さなんて与えずに、ただ秋夜に優しくしてくれた。
 彼にとって憐花の滝は、いとおしくも痛い場所だった。

 傍らに寄り添うのは六花。今日は護衛も監視も下がらせてある。
 ふたりはある報告をしに此処へ来たのだ。

「母上、参りました」

 秋夜の母は、ここで死んだ。
 王の半身として、死んだ。
 その母に告げる。

「母上。雨が止みました。予定通り、じきに祝言をあげます」

 妻となる娘は、憐花の滝の水流を真っ直ぐな眼差しで見つめている。

「六花。後悔はないか」
「ないですよ。秋夜さまこそ」
「俺は……」

 雨が止めば、六花は平和に暮らしていける。それはつまり、雨が降る限り秋夜は蝶子と一緒に居る事はできなくなるという事だった。
 しかし蝶子は祈雨師を辞めることはしないだろう。

 赤橋蝶子が祈雨師なのではなく、祈雨師が赤橋蝶子なのだから。

 ――わたくしが、いかなければ。それが花姫としてのつとめですから

 死を悟りつつ、どこか安堵した表情で母はそう言い残した。

「秋夜さま、冷えてまいりましたよ。戻りましょう」
「そうだな、帰ろう」
 
 手を差し出せば、六花は微笑んでそれを握り返す。

(『――きっとここを出ても、新たな檻が貴方を囲う』)

 座敷牢で出会ったあの女が言っていた言葉を思い出した。きっとこれは檻だ。秋夜と六花、双方にとっての。隣にしか居場所がない。前に出て護ることも、後ろに隠れて休むこともできない。
 となりで、おなじ場所で、同じように痛みを分け合うしかできないという、檻だ。

(俺は、母と同じように六花を差し出すのか)

 ひやりと、ただひやりと心の奥底でそれを問うて秋夜はその言葉の冷たさに瞳を閉ざす。

「私達、戦友ですよね」
「戦友、か。共犯者といった方がしっくりくる気がする」

『妻』は笑った。

 重ねるのは肌ではなく、共に戦う刃。
 見つめるのは瞳ではなく意志の先。
 
 そして共に抗うのは、一族の、血。

「『旦那様』どうか私と共に、」

 この握る互いの手がどんなに血で染まろうと、常に共に。


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