ただ、君が為とは戯言の

「秋夜さまへのご報告は終わった?」

 天都の邸の離れ――そこに彼女は居た。広く高い天井を支える黒く太い梁。日当たりが良く、心地よい風が入る縁側。職人が丁寧に筆を入れたであろう、美しい模様の踊る襖。
必要以上に整えられた部屋は美しいというより逆に無機質に見える。それが何故かと言えばそこには『彼女』の性格や生活が垣間見えないからなのだろうと、沙紀は思う。

「終わったよ」
「そう」

 沙紀は行儀良く端座する少女――彩咲六花の隣に同じく腰をおろす。縁側から差し込む光を背景に微笑む彼女は、物言いたげな沙紀の顔を見て、問うた。

「――なあに」
「いや、」

 芝居小屋のようだと思った、とは言えなかった。
 何を何処に置くのか。誰がそこで喋るのか。誰がそこに居るべきなのか。すべて他人が決めている。

「お芝居みたいだ――とか思ってたんでしょう」
「こわっ。なんでばれてるの」
「あなた、自分で思ってるほど表情にでないわけじゃないもの」
「気を付ける」 
「ご苦労様。大変ね。秋夜さまは」
「この場合、労うのは俺じゃないの?」
「秋夜さまは沙紀に手を焼いてるだろうなあって思って」

 この二人は幼馴染である。そして彼女の存在が沙紀の立場を少しだけ複雑にした。

「花姫にも手を焼いてるよ」
「ひどいなあ」

 ――花姫。そう呼ばれる彼女の地位と立場を説明するにはこの国、瀬那の成り立ちから説明する必要がある。







 天都の一族が治める瀬那国はその昔二つの民族に別れていた。それを瀬伊の民と、那津の民と言う。このふたつの民族は土地繋がりで暮らしていながら生活様式がまるで違った。
 探求心と好奇心に富み、外向きな性向で新しいものを吸収して貿易の幅を広げていった瀬伊の民に対し、那津の民は他者に取り入るのを嫌い、自分たちの文化に固執し、排他的だった。当然諍いが絶えることはなく、やがて起こった『内乱』によってその多くの民と文化、歴史が失わる。

 瀬伊の民がこの戦に勝てた要因は二つ。

 瀬伊の民が格段に大きい兵力を有していた事。そして那津の民が餌人(えさびと)と呼ばれる『人ならざるもの』から常に脅威に晒される存在であった事。

 瀬伊は那津を併呑し、国名を『瀬那』と改める事となった。
 以上を以て瀬那の嚆矢とする。







「餌人の扱いにはまだ困っているのかしら。未来の旦那様は」
「――さあな」

 雨の子を捜し、祈雨師の血を代価に降る瀬那の雨には欠点がひとつある。降らせた雨が止むという保証がないことだ。一定の期間で止む事が断然多いのだが、まるで災害のように豪雨となって止まないという事も歴史上では確認されている。

 それをどうやって止ませるか?
 そこで単純な方式が出来上がる。
 雨の子は、人外である。そして餌人は、人外が死にもの狂いで欲する『餌』である。

「餌に思考回路を与えるなんて、神様は意地悪ね」

 餌人の姫君。――血が一番濃い――元那津人の王家。その直系血族の娘を贄に捧げることで強制的に雨を止ませる。それが今、この国で一番効率が良い事とされているのだそうだ。

 葉良乃沙紀は花姫の監視役として幼い頃より彼女と共に在る。
 監視役とその対象ではあったが、寧ろ仲は良く、

「沙紀。暇だから、また外に連れ出してくれる?」

 悪戯を思いついた子どものように、悪い笑みを浮かべて見せる。大人しくこんな部屋に収まっている性分でもない六花はまるで、彼の共犯者だ。

「いいよ」

 手を取り、彼女を立たせて、抱きしめる。
 秋夜はわかっているのだろう。こうして沙紀が六花を連れ出している事を。
 彼は此処から『花姫』を『連れ出す』ことを『沙紀』に望んでいる。
 彼の君主は優しくて少しだけ残酷だ。だって秋夜は知ってる。沙紀が六花を

「いいよ。お前がそう、望むなら――」

 こうして甘やかしてしまう程度にはほだされてる事を。



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