エンドロールを蹴飛ばして
『彼女』
未だ咲かない君は
きっといつか美しく咲く
***
「おばさん、病気なんだって。結構ひどいみたいで、今入院してるの」
笹岡が泣いていた理由はこれだった。母は――俺が失踪したあとから体調を崩し始め、そして現在は不治の病を抱えているのだという。
「私もお母さんから聞いたの。言っていいのか迷ったけど、後悔したくないから……」
辛そうな表情でそう言う彼女からは『自分』が後悔したくないからそれを俺に伝えた事に対する罪悪感が見て取れた。
本当にどこまでも優しい奴だと思う。伝えたい、伝えたくないという自己問答で泣いてくれるんだから。そんな事を気にする必要はないのに。
「いいよ。教えてくれてありがと」
「うん……カイは、御見舞いとか……行かない、よね?」
歯切れ悪く、笹岡は問う。母の顔を思い浮かべて、俺は瞳を伏せた。
「……どうだろ」
行かないと断言できなかったのは、やっぱり心のどこかでまだ母を愛していたからだった。
弱くて、既に壊れていて、危うく脆いひと。琥珀という『神様』に縋って生を繋いでいた彼女に、俺はいつも自分を重ねていたのかもしれない。
(可哀想なひとだって思う事で、自分を慰めてたっていうのも、あるか……)
可哀想なひと。そんな彼女と似ている俺も、可哀想。自己愛に満ちた感情は、決して優しさとか尊敬とかそう言った綺麗なものではなかったんだ。今思えば。
「カイ。私言ったよね。あのお墓で、こうちゃんの『最期』の日に」
俺が琥珀のふりをして囁いたあの言葉は、今も彼女を縛り続けているんだろうか。泣きはらした目で、それでも微笑む笹岡は綺麗だった。
「『それでも生きていてよかったって、いつか思えるといいね』って」
あの日のように、俺の頬を両手で包んで彼女は言う。
「こうちゃんの真似も結局は海斗の一部なんだよ。だってそこに親への、こうちゃんへの愛があったんだから。理由はともかく、あいだったんだから。それを否定したら、悲しすぎるでしょ」
「前に、琥珀の仕草をしたら怒ったくせに」
「そりゃそうだよ。意識して真似てるのと、無意識にこうちゃんになってるんじゃ訳が違うでしょ」
「同じだろ」
「同じじゃないよ」
「……」
潤んだままの瞳から、また涙がこぼれ落ちる。笹岡の頬を伝うそれを親指で拭うと、彼女はそっと俺の手に自身の手を重ねて、すりっと頬を寄せた。そしていつか俺がしたように、掌にそっと口付けて言う。
「『あい』を捨てないでね」
そう微笑む彼女に、俺は琥珀の姿を見る。性別も年齢も顔も違う、一人の女性に、あの兄の姿を見る。
彼女のなかの、兄が笑う。琥珀がくれたもの、琥珀が遺していったもの、それをひとつひとつ思い出す。
涼介は、なんだかんだと言いながら良い友人になれたと思う。あのピンクの薔薇は綺麗だった。今思い起こせば、あいつはあの花を俺の為に買ってきたのだ(だって、会いに来る少し前に好きな花を訊かれたんだ。心理テストだとか適当な事を言いながら)。
そして笹岡は休みの度にこうして家に来て気にかけてくれる。俺を想って、泣いてくれる。笹岡は、いつも俺を奈落の淵からすくい上げてくれる。
「あんたがどんな決定をしても、私はあんたの味方だから」
彼の世界は、未だ此処にある。琥珀が愛していた、あの色彩鮮やかな水槽のなかのように。
まるで何かの童話みたいだ。散々探していたものが、実は自分のすぐ傍にあるなんて。
「うん、ありがとう――」
だから、兄への憎しみもなにもかもが愛おしくて。
***
さて。
幸いにして、俺は自分の『設定』が解けたばかりである。今ここで、客観的に考えてみようか。
――俺のなかに、母への愛は本当にあったのか?
答えは『あった』である。でも同時に、猛烈に憎んでいたことも事実だ。だって当たり前だろう。双子だからって、兄貴の真似をさせるとか普通じゃない。夜泣きがひどいからって、片方を可愛がらないなんて理由にもならない。
俺はいつも琥珀が両親にぶつかり続けるのをただ見ているだけだった。
言っても無駄。理解してもらう事も、理解する事も不可能だと、傍観者に甘んじていた。
でも、伝えてみてもいいかもしれないと、今少しだけ思える。
出来そこないなりに、愛していた事と。心の底から、それはもう、殺したいくらい憎んでいたことを。
俺に――『俺達』に始まりを与えた、あの人に。
20170130
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