彼は絶望の傍らで
墓参りにも季節なんてあるんだろうか。ふとみさきは考える。
みさきの両親は墓を必要と考えない人たちだった。彼等は人は死んだらただ塵に還るというのが信条だったので、死後の世界など信じていなかった。
みさきもまた同様だった。死とは道の終わりである。そして始まりは永遠に来ない。
まあ、信条は自由だろう。他者と墓と死者の定義について討論したいとは思わない。
つまり、みさきにとって墓とは大した価値のあるものではなかった。
みさきにとっての墓の定義とはシンプルだ。
道を歩き終えた人が、ひっそりと休む場所。意味はそれだけで充分だった。
だからこそ、此処にくるのが怖かった。
時間が過ぎるのはとても早かった。涼介から琥珀のバイトについて聞いて、それからみさきは日常に戻った。復学にむけて塾やリハビリに忙しい。ピアノは片手だけでも練習を続けている。いつか、何かに繋がると信じて。
そうこうしている間に年が明け、今は冬。
吐き出す息は白く――ずれたマフラーを巻きなおしてくれたあの暖かな手を今でも思い出す。
「来てくれたんだ――久しぶりね」
背後に生じた気配に、振り返らないまま言えば微かに笑うような気配がした。
「そりゃ、お前。呼び出された場所が場所だからな」
みさきは改めて振り返り『彼』を見る。
寒そうにネックウォーマーを頬のあたりまで上げて、コートのポケットに手を突っ込んでいる。
マフラーじゃなくて、ネックウォーマーを好む所もそっくりだった。
(そっくり、か)
何度も何度も、そう思った。でも、もうやめよう――。私は目の前にいる『彼』を受け入れなければならない。
「事故にあったばかりの時、誘われたけど断っちゃったでしょう。お墓参り」
「……そうだったな」
「私なりに、答えがでたの。だから、答え合わせをしたい。貴方と」
夕暮れの墓地は不気味というよりは寂しい。
『彼』は手に持っていた花を墓前に添えると、先を促した。
「いいよ。答え合わせ、しようか」
「――海斗」
みさきは希望も期待も込めず、その名を呼んだ。
「あなたは、海斗。それで間違いないよね」
「……」
「あなたは誰の為に琥珀のふりをしていたの?」
そう、琥珀のふりを彼はしていた。
嘘をつくときに口元に手をあてる癖、ふとした瞬間の仕草、飲み物の好み。
「両親さ――お前の為じゃないよ」
海斗はあっさりと答えてくれた。
「うちの両親は極端でさ。二人もいっぺんに愛せなかったんだよなー。なのに双子でてんてこ舞いだっただろうよ」
「『必要の意味を深読みするな』あれは単純に考えて良かったのね。ほんとうにただ、こうちゃんが『要る』だけだったんだ。子どもだからとか、愛情とかじゃなくて。何かに使うような意味で――要る、だったんだね」
「あたり」
あは、と海斗は笑った。乾いていて感情も色も見えてこない、ただの笑みだった。
「分からないなら考えればいい。子ども二人に望む役割を。二人が出した結論はこうだ。可愛がるのは琥珀、搾取するのには海斗を使えばいいって」
「……そんな風には見えなかった」
「そうだろうな。だって虐待してるわけじゃねえから。同じように扱って、一緒に過ごすし飯も食う。会話だってする。でも、俺とこはじゃ求める先が違うんだ」
つうと墓石をなぞる。
あのスマホに残ってた写真。
琥珀はチョコレート一枚。自分はチョコクッキー一本。
自分たちの違いはその程度だ。菓子は平等に与える。しかし与えるものの内容に大きな差がある。でも周囲から見れば大した差ではない。
「一見して、悪気がないような言葉使いをしながら色んなものを俺は奪われたよ。バイト代、時間、友人。そしてしまいには『俺』自身すら、あいつらは奪おうとした」
――どうして琥珀みたいにできないの
――もっとお兄ちゃんみたいになりなさい
――スポーツなんてやめてしまえば
――琥珀は、琥珀は、琥珀は、琥珀は、
――琥珀のようなら、もっといいのに
「見かねた琥珀は何度も両親に抗議していたよ。でも、意味なかったな。だから時々入れ替わることでなんとかしてた。母さんが俺と琥珀の飲み物の好みを間違えたのは、俺たちが時々入れかわった時に勘違いしたからなんだろう」
「じゃあ、なんでこうちゃんが死んでからは……」
「なあ、みさき」
海斗はあえて彼女を名前で呼んだ。琥珀が大事にしていたこの子を、自分もまた違う意味で愛していた。
彼女の肩に手を掛けて、縋るように呻いた。
「それでも――俺は両親を愛してる」
何故だろう。楽しかった記憶なんてひとつもなかったような気がするのに、琥珀が死んでから塞ぎ込む両親を見ては胸が痛かった。
人は周囲の人間に合わせて自分を作り変えてしまう。
それを嘆く必要はない。むしろ生きていくのに必要なスキルですらある。
でもきっと自分の『これ』は違った。
「御両親があなたを愛していなくても――?」
「俺が愛されていなくても」
指先の震えを隠すように、細い肩にぎゅっと指が食い込む。
「琥珀がいない今、俺があいつの代わりをしなきゃいけない。俺たちは別の人間だ。当たり前だけど、入れ替わりなんて永遠に続けるのは無理だ。両親は琥珀の死を受け入れた。だからあいつがいなくなった時の為に育られた俺が、今その役目を果たす必要がある」
「こうちゃんは、そうして欲しくないからバイトしてたんだろうね」
「バイト?」
海斗が顔を上げる。驚愕の表情を浮かべて問う。
「こははバイトしてたのか?」
「知らなかったの?」
これにはみさきも驚いた。
「怪我して帰ってきてたでしょう?」
「友達と喧嘩したって言ってたから」
「それ信じてたの?あんたも単純ね――私と一緒」
可笑しくて、ちょっとだけみさきは笑った。
だって私もまったく気づいていなかったし、疑いもしなかった。そういう鈍くさいところが私たちは似ているのかもしれない。
背伸びをして、海斗を抱き寄せる。大きく息を吸うと冬の匂いとどこか懐かしい『彼』の香りがした。
「こうちゃん、危ないバイトしてたんだって。カイに早く家を出て欲しくって。それでね、私の所にこんなの届いた」
懐から封筒を取り出す。
「涼介さんっていうこうちゃんの友達がね、こうちゃんの通帳を預かってたんだって。涼介さんすごくこうちゃんと仲良かったんだよ。知ってる?」
「あんなヤンキーくずれな男とか?」
「そうだよ。意外だよね?でも誰とでも仲良くなれるこうちゃんらしいね」
ふふっと笑って海斗の肩に頬を預ける。姉のような気分で海斗の背をとんとんと叩きながら、幼子を宥めるようにみさきは言う。
「自宅にあると勝手に覗かれたり、両親に使われたりするかもだからって。それで何かあったら海斗に渡して欲しいって言ってあったみたい。私の所に沙織さん越しから渡してくれって手紙つきで送られてきたんだよ」
「……金なんか要らねえよ。俺はあいつがいれば良かったんだ」
「……それは私も同じ。ねえ、海斗。色々ごめんね。こうちゃんじゃないかって言う期待は、海斗が死んでも良いって言ってるのと同じだったね。言い訳なんかしないよ」
「……みさき」
「それでも、ねえ、私――今此処に海斗が生きていてくれて嬉しいって思うよ」
失くした?失くさない。だって私は生きている。
だって同じようにあなたも琥珀を愛しているもの。
私と同じように、琥珀を愛しているあなたを――大切に想って何が悪い。
「だからもう、やめよう?こうちゃんの真似するのも、なにもかも」
「あ、ああああ……うあああああ……――!!」
そう言えば、海斗は答えずにみさきの腕のなかで声をあげて泣いた。
それは兄を亡くして、周囲から自身を望まれなかった彼の産声なのかもしれない。
それを見ていて、みさきももう声を殺すことはやめた。目の前の彼を抱き締めて、失くしてしまったものを実感して、泣いて泣いて泣いて――そうして、以前の自分を殺してはやがて新しい自分を造り上げていけばいいのだと、ようやくそう思えたから。
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title 彼女の為に泣いた
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