この想いにふたをする
死ねないのならば知らなければならない。
知らなければ思い出すこともできなくなっていくだろうから。
自分の傷にさらに刃を突き立てて、傷口を広げながらも生きなければならない。
――わたしはあなたを忘れたら、生きていけない。
「笹岡さん、山科さん、来てくれてありがとう。ごめんね」
「いいえ。沙織さん」
「先輩、お久しぶりですね」
話があると、沙織に再び呼び出された。先日も会ったカフェでだ。今日はしのぶも来てくれたのでとても心強い。
みさきはちらりと沙織の隣に座る男性に目を遣った。
「紹介するね。これ、あたしの彼氏。涼介っていうの。こいつ小浜と仲が良かったんだ」
紹介された男性は、沙織の年下の彼氏だった。髪はワックスでお洒落に遊ばせてあるし、髪色は明るい茶髪だ。耳元にはシルバーのピアスが光っている。
そして目つきが、とても悪い。
「初めまして、笹岡みさきです」
内心こわごわと挨拶をしたが、みさきの自己紹介を聞いて涼介は大きく目を見開いた。
「斎藤涼介。よろしく。あんたが琥珀のカノジョか」
「……はい。彼女、でした」
過去形になった言葉に涼介は顔を顰めてみせた。
「あいつのことは残念だった。良いヤツだったのにな。今日沙織に呼ばれたのは、あいつのバイトについてなんだ」
「こいつ知ってたんだよ、小浜のバイト内容。なのにあたしに黙ってたの」
どうもこの二人の力関係は沙織の方が強いらしい。本気で憤ってる恋人を前に、涼介は小さな声で呟いた。
「……そうそう言える内容じゃねえよ」
「なに!?」
「あの、沙織先輩ちょっと落ち着いて下さい。ちょっと怖いですよ」
黙って聞いていたしのぶが見かねて間に入った。
「涼介さんは、琥珀さんのバイトが何かご存知なんですよね」
「知ってる」
涼介は勢いよくアイスコーヒーを飲み干してから、声を潜めた。
「さっきも言った通り、あんまり大っぴらに言える仕事じゃない。だから、琥珀の為にもできれば俺は言いたくない」
「お願いします。教えてください」
「そうだよ。涼介、教えてよ。確かに死んだ人の事、根掘り葉掘り聞くのは良い事じゃないってあたしにも分かるよ。でも笹岡さんはこれからも生きてかなきゃならないんだよ。言いたくないならあたしには言わなくていいよ。でもせめて笹岡さんにだけは教えてあげてよ」
「……煙草吸ってもいい?」
「どうぞ」
煙草に火をつけた涼介は一度大きく吸い込んで煙を吐き出した。
「ふー……。言っとくけど、他言無用だからな。説教もやめてくれよ」
「説教って、あんたまさか……」
「そうだよ、俺も小浜と同じバイトをしてたんだ」
それを聞いた沙織はさらに何か言いつのろうといていたが、みさきを見てぐっとこらえた。
「わかった。説教なんてしないから、言いなさいよ」
「占有屋ってわかるか?」
「せんゆうや?」
しのぶがきょとんとした顔で首を傾げるのを見て、涼介ははあと大きなため息をついた。
「住み屋とも言う。簡単に言うと、他人が買った家とかアパートとかを不法占拠して、立退料を求めたりする。ふんだくった金は『悪い奴ら』の資金源になる」
「あんった!馬鹿じゃないの!」
「うるせえな。わかってるよ。今はもうしてないって。で、話はもどるけど、すげー給料良いんだよね。居座るだけで10万とか簡単に貰えるんだ」
「こうちゃんは……」
「あいつも同じさ。金がどうしても必要だったんだ」
「どうしてか、知ってますか……?」
涼介は煙草を灰皿に押し付けた。
「弟のためだ――って言ってた」
「弟って……」
「小浜海斗。あんた幼馴染だろ。どうして弟の為に大金が必要なんだって聞いたらあいつこう言ってた『あいつには、早く家を出て幸せになって欲しいから』って」
「はやく家出てって……小浜は双子だから、弟も大学二年でしょ?あと数年すれば社会人じゃない。なんでそんな……」
沙織が絶句する。
「そうだけど、琥珀の口ぶりだと今すぐにでも家を出してやりたいみたいだった。事情は知らない。でもよっぽどの理由なんだろう。じゃなきゃ、あんな臆病なやつが占有屋のバイトなんかするもんか」
「こうちゃんは、海斗の為にバイトしてたんですか」
「そうだ。少なくとも俺はそう聞いてる」
「あんた信じらんない!馬鹿じゃないの!こんな大事なこと黙ってるなんて!」
再び喧嘩を始める二人をよそに、みさきは考え込む。
「みさき……大丈夫?」
しのぶが心配そうに問う。みさきは平気だよと頷いた。
「『必要』の意味を深読みするな、か……」
おばさんの言っていた『あの子が必要』の意味を、きちんと理解する必要がありそうだ。
「私、ほんとうにあの二人のこと、なんにも知らなかったんだなあ……」
あの事故から、何回そう思ったことだろう。
気づくチャンスはきっと何回もあったはずなのに、私はそれを見逃していた。
思えば、琥珀は怪我をしている時治るまで会いに来ないように徹底していたんだろう。私自身も勉強やピアノで忙しかったから、会う回数が少ない事にたいして不満がなかった。
(それがおかしかったのかな)
普通の恋人同士なら、密に連絡を取り合って、会えないと寂しくて辛くて、一秒でも傍にいたいはずなのに。
あの人は私の手から離れていかないと、勝手にそう思っていた。
そして彼もまた、私を縛り付けて居ようとはしなかった。
(やっぱり、私たちは歪だ)
『そっか、俺達はあいつに殺して欲しかったのか』
みさきの腕のなかで、そう泣いた『彼』が誰なのか、みさきにはわかりつつあった。
そしてゆっくりと身体を蝕みつつあるものが、何なのか気づく。
目の前で喧嘩をしているカップルが羨ましかった。
だって私にはもう、あの時間は帰ってこない。
――喪失感。
紙に染み込む墨汁のように、じわりじわりと滲むその感情を、今はただいとおしく思った。
※占有屋についてですが、現在は法改正によってほとんど姿を消しているそうです。またこの話は犯罪行為であるこの仕事を推奨するものではありません。
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title 彼女の為に泣いた
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