09

 柔らかい上生菓子を小さく小さく切り分け、尾形の口に入れてあげながら他愛のない未来の話をした。尾形はただただ話を聞き、時折相槌代わりに頷くだけ。話題を誘導されることも深掘りされることもなく、話したいことだけを好きに話すことができた。病室に入るまでは気まずいと思っていたが、この穏やかなひとときはここ数週間で一番心地が良かったと思う。
 途中うとうととし始めた尾形が寝始め窓の外がすっかり暗くなった頃、病室の扉がガチャリと開いた。名前が視線を向けると宇佐美がいた。

「ほら、帰るよ。四十秒で支度しな」

 尾形のベッドに近付きながら宇佐美は言葉を投げつけた。名前は黙っていそいそ身支度をする。無視してるわけではない、断じて。尾形が寝ているからだ。嘘じゃない嘘じゃない。

「なんだ、まだぐーぐー寝てるの?」
「いえ、少し起きてましたよ」
「へえ。なんか話してた?」

 口元に人差し指を添え、しーっとジェスチャーをした尾形が名前の頭に思い浮かんだ。……内緒。

「……いえ、尾形さんは何も話していませんでした」

 尾形は口を開いて話しはしていなかった。事実だ。指文字で教えてくれた『スギモト』という名前もさほど重要なことではないだろう。名前はそう都合よく考える。
 理由はわからないが、尾形の『内緒』を守りたいと思ったのだ。大した理由はない、なんとなく、ただそれだけ。

「おい、百之助起きろよ、コンニャロ」

 不機嫌そうに名前を呼んで尾形を揺さぶる宇佐美を見て、つい笑い声が漏れてしまった。宇佐美が眉をしかめる。

「ふふ、すみません。宇佐美さんって尾形さんと仲が良いんですね」

 名前は尾形のことをどう呼ぼうか迷ったのもあって、宇佐美が尾形を『百之助』と呼ぶのが気になったのだ。名前を呼ぶ仲なんだなと思いそう言ってみたのだが、その言葉を聞いて宇佐美は怪訝そうな顔をした。

「は? 僕と百之助が? ないない」
「そうなんですか? 親しげに名前で呼んでいたので、てっきり」
「あんなやつ百之助でいいんだよ」

 宇佐美は尾形に背を向け早足で歩き始めてしまった。置いてかれないよう慌ててあとを追う。
 名前がチラリと尾形に視線を向けると、目がうっすらと開いていた。どうやら狸寝入りだったようだ。あれだけ騒げば起きてしまうのも無理はない。小声で「失礼しました」と言い、苦笑いで軽く会釈をして病室を出た。
 今、尾形さんが起きたことも内緒にしておこう、と名前は内緒事を勝手に増やしていった。



 兵舎に戻る前に宇佐美と夕食を食べることになった。名前を迎えに行く前に「もう遅いからどこかで食べてきなさい」と鶴見に言い渡されたらしい。この時代に来てから外食は初めてで、名前は少しワクワクとした気持ちで宇佐美について行った。

 連れられたのは和風な佇まいの西洋料理店だった。明治時代なのだから日本建築なのは当たり前だけれど。ガラガラと戸を開け中に入ると、純洋風とは言えない少しちぐはぐな内装が目に飛び込み、なんだかおかしくて心躍った。よく言えば和洋折衷、レトロモダンだろうか。これぞ文明開化。明治の魅力のひとつだろう。
 席に着くと、名前がメニューを見る前に宇佐美が問答無用でライスカレーをふたつ注文した。カレー。嫌いではないが、どうしても脚気がどうこう話した日のことを思い出す。わざとだろうか。
 配膳されたカレーは現代で見慣れたものとあまり変わらず、なんだか安心感のようなものを感じた。明治にきて数週間だが、少し懐かしさすら感じる。コップの水にスプーンが入っていることだけが逆に新鮮だった。

「この時代、洋食ってお高いんですか?」
「カレーは五銭とか七銭くらいじゃない?」
「それって高いんですか? 安いんですか?」

 七銭の価値がわからなくて首を傾げていると、宇佐美に鼻で笑われた。
 現代の金銭を見せた時に、お金の価値が違うことを話したはずだ。しかし、鶴見も誰も明治の金銭や物の価値を名前に教えないのだ。知りたいそぶりを見せても上手く話を逸されてしまう。今回もメニューは見せてもらえなかったし、カレーの価値すら知ることができなかった。

「コーヒーっていくらなんですか?」
「無駄遣いはさせないからな」

 やはり教えてくれない。物価に限った話ではない、明治の暮らしや常識についても全く教えてもらえないのだ。ほとんどの時間を兵舎で過ごしているため、知らなくても何不自由なく生活できている。しかし、兵舎の外に出てしまったらひとりでは生活していけないだろう。
 ――名前がひとりで生きていけないように。鶴見の狙いはそれなのだろうか。

 宇佐美に遅れをとって名前が食べ終えると、宇佐美はすぐさま支払いをした。十銭硬貨一枚と、一銭硬貨二枚が出される。

「あっ」

 硬貨を見て、気付いた。尾形に渡した五百円硬貨を返してもらっていない気がする。いま財布を取り出し確認をすることはできないが、財布にしまった記憶がない。

「なに? どうしたの?」
「病室に忘れ物をしました」
「え、何を?」
「……お見舞い品を包んでいた風呂敷」
「はあ〜〜どうでもいい」

 風呂敷を忘れたのも本当だ。所持品は肌身離さず持っていなさいと言い付けられていたのに、兵舎外で勝手に出した上にうっかり忘れていってしまったことがバレたら面倒だ。上手いこと誤魔化せて一安心した。



 宇佐美と名前が夕食を食べて戻ると、兵舎が轟々と燃え上がっていた。その光景に茫然自失。ただただ兵舎が燃えていく様子を見上げているしかなかった。
 お見舞いに行っている間に何が起きたのだろう。不死身の杉元とやらは一体どうなったんだろう。慌ただしく動き回っている兵士たちの中に鶴見を見つけ、名前は駆け寄った。

「鶴見さん! これは一体……、――っ!?」

 前の開いた鶴見の肋骨服の隙間から、刺青のようなものが目に飛び込み一瞬驚いた。しかし、よく見ると襦袢の立ち襟が首元から見える。人肌によく似た色のそれを名前は鶴見が刺青を入れているのかと思い驚いたのだが、どうやら革製の衣服だったらしい。兵舎を燃やす炎に照らされるそれは、場の雰囲気も相まって嫌に不気味に見えた。
 そういえば、と、名前は鶴見の執務室の壁に似たような革が飾られていたことを思い出した。鶴見が好んでいる作家の作品なのだろうか?

「おお名前くん。無事か? 怪我はないかい?」
「はい、今さっき戻ってきたばかりなので、怪我もなにもありません」
「それはよかった。名前くんの所持品は全て手元にあるかな?」
「荷物はここに……」
「よしよし」

 ごめんなさい、実は一度部屋に全て忘れてきました。……なんて言えない。お見舞いに行く前に自身で気が付いたものの、先に荷物を持ってきてくれた月島に心の中で感謝し、後日改めてお礼を言おうと決めた。
 そして、五百円硬貨を病室に忘れました。……これも言えない。後日どうにかまたお見舞いに行って尾形が持っていたら返してもらおう。それまでバレませんように……と心の中で願った。

「先程からずっと見ているが、そんなにこの皮が気になるか?」

 鶴見にそう言われ、ハッとした。あまり良い趣味とは言えない謎の革製品が気になり過ぎて、無意識に注視してしまっていたらしい。すぐに目を逸らしたが後の祭りだ。

「この刺青人皮は、囚人に彫られていたアイヌの金塊の隠し場所を示す暗号だ」
「き、金塊……?」
「名前くん、この刺青に見覚えはないか? アイヌの金塊に心当たりはないか?」
「い、いえ、まったく、残念ですが……」
「そうか」

 聞いてもいないのに鶴見はその皮について説明する。囚人、アイヌ、金塊、暗号。ニンピって人の皮と書いて人皮? 覚えのない単語の羅列に混乱しながら、鶴見が着ているそれが、囚人の皮……つまりは人の皮であることに気がつき背筋がゾワリとした。少し、気持ちが悪い。夕食が胃から出てきそうだ。

「人の、皮……」
「そうだ、これは囚人の皮だ」
「…………」
「ここでずっと燃える兵舎を眺めていても仕方がない。この話は後にして、今日はもう私の家で休みなさい」

 名前の顔色が悪くなったことに気が付いた鶴見は、労わるように背中を撫でた。名前は黙って頷いた。
 数時間前までは良い時間を過ごせてたのに。今夜はよく眠れないかもしれない。
- hakushi -