12

 君に会わせたい人がいる。

 鶴見にそう言われ、ご指定の現代の服を身にまとい応接室に向かっている。が、正直気が乗らない。前に串団子を運ぶよう言われた時は不死身の杉元とやらが尋問されていたし、鶴見に紹介された腹心達は、そう、良く言えば個性派揃いだったからだ。……月島はいい人だけれど。そして、現代の服で人に会って良いことがあった試しがないのが余計気持ちを不安にさせる。
 次はどんな変人……失礼、どんな個性的な人に会うことになるのだろうと少し憂鬱な気持ちで襖を開けると、鶴見と月島と共に褐色肌の好青年がいた。……待て、見た目に惑わされてはいけないぞ名前。

「名前、待っていたぞ。さあさあ、座って」

 鶴見の前には月島、その隣に褐色の青年が座っている。名前は空いていた鶴見の隣に腰を下ろした。

「彼女が名字名前、先程話した百年先の未来からきた娘だ」

 鶴見が名前を紹介する。どうやら名前がくる前にある程度の話は進めていたようだ。軽く挨拶と会釈し顔を上げると、褐色の青年がしかめ面で名前を見つめていた。未来から来ただなんて話、信じがたく疑うのはわかるけれど……睨むほどだろうか?
 鶴見は「見ろ、不思議な手触りの衣服だろォ」と名前の肩や腕をなでなでさすさすしている。褐色の青年の眉間の皺は深まり、歯を噛み締めて名前を睨みつけた。

「そして彼は、陸軍少尉の鯉登音之進。父は海軍少将、大湊要港部の司令官。彼は縁あって陸軍を志し、士官学校を卒業し現在旭川で任務をしている。優秀な薩摩隼人だ」

 褐色の青年……鯉登はハッと表情を変え、笑顔を浮かべてぺこぺこと会釈した。笑った顔が爽やかだ。まさに貴公子。当たり前だが、先程のしかめ面よりこの顔のほうが素敵だ。

「わっぜよかにせ、ですね」
「キエッ」
「きえ?」

 薩摩隼人だと聞いて、つい鹿児島弁がぼろりと口から溢れてしまった。母がよく兄たちに言っていた言葉だ。鶴見と月島はよくわからないという顔をしていたが、鯉登はよくわからない奇声を発して身を引いた。

「そういえば名前の母君は鹿児島出身だと言ってたな。薩摩弁がわかるのか?」
「うんにゃ、こてこての薩摩弁はさっぱりですね」

 わなわなと震えている鯉登をよそに、鶴見の問いかけに答える。
 鹿児島出身の母の実家に行くのは年に二度ほど。鹿児島弁を聞く機会は母がついつい言ってしまう時くらいだし、名前自身は話すこともない。なので、鹿児島弁もとい薩摩弁は簡単なものしかわからないのだ。

「こん娘!ないごてそげんげんねことをゆんだッ!!」
「ええ……」

 と思ったところで鯉登の口からこてこての薩摩弁が飛び出た。全然わからないが、どうやら機嫌を損ねてしまったようだ。『わっぜよかにせ』は褒め言葉なのに。そんなに怒るほどのことだっただろうか……? 色々気になるが、このままでは会話にならない。

「すみません、標準語は話せないんですか?」
「かたいがなっに決まっちょっじゃろ!!」
「も〜〜わかりもはん!! 母はかごんま出身ですが、私は東京生まれ東京育ちなんです! 標準語でお願いしも……ハッ!! し、失礼いたしました……」

 そう、名前が鹿児島弁を聞く機会といえば母の口からついつい出てしまった時……つまり大半が母が怒っている時なのだ。それもあってか、つい鯉登の大声につられて声を荒らげて言い返してしまった。名前はしゅんと縮こまる。鯉登の顔を見れない。

「鯉登少尉は興奮すると早口の薩摩弁になるんだ。こら鯉登、名前にちゃんとわかるように話してやりなさい」

 名前の見たことのない一面を見たからか、鶴見はおかしそうに笑いながら言った。鯉登はものすごい勢いで「すんもはんッ! すんもはんッ!!」と繰り返し頭を下げている。恐らくこれは鶴見に向けての謝罪だろう。また薩摩弁が抜けてないのがなんだかおかしくて、ちょっぴり気が抜けた。鯉登もやはりなかなかの変人なのかもしれない。

「これから私は昼夜不在にすることが多くなる。その間、ここを鯉登少尉に任せようと思っていてね」
「キエッ」
「名前、困ったことがあったら鯉登少尉に頼りなさい」
「はい、わかりました」

 なるほど、鶴見の代わりのお目付役か。名前は返事をして新たなお目付役の鯉登をちらりと盗み見ると、今度はわかりやすく項垂れていた。なんだか忙しい人だ。この反応の数々、おそらく鯉登は鶴見を強烈に慕っているのだろう。鶴見と共に任務に就けないことが残念とか、そんな感じかもしれない。鶴見が不在になるのが少し不安になってきた。

「せっぺいっぺきばいもすッ!!」
「分からんッ!落ち着け!」
「月島ァ!」

 鯉登は月島に耳打ちすると、月島は「精一杯頑張らせていただきますと言っています」と鶴見に伝えたい。なるほど、月島は通訳だったのか。月島の顔に面倒くさいと書いてある気がした。

「さて、名前は今日も見舞いに行くんだろう? 先に部屋に戻って着替えてきなさい。あとで月島に送らせよう」
「はい、ありがとうございます」

 結局標準語で会話ができなかった鯉登とこれからうまくやっていけるか不安に思いつつ、名前は自室に戻った。



「さて、鯉登少尉。名前のことだが……」

 名前の足音が聞こえなくなった頃、鶴見は口を開いた。

「あの娘は実の父に見向きもされず、何をしても叱られることはないらしい。出来の良い兄に劣等感を抱き、父のような医者になれなかった自身のことを期待外れの出来損ないだと言っていた。……鯉登少尉にはこの気持ちがわかるんじゃないか?」
「……ッ!」

 鯉登はまるで鶴見に救われる前の自身のことのようだと思った。彼女は暗く冷たい塩水に浸っているような気持ちで居続けているのか、そう思うと鯉登は心がひどく痛んだ。

「私は名前を救ってやりたい。彼女に共感できる鯉登少尉なら、気持ちに寄り添い名前の傷付いた心を開くことができるはずだ。優しく、親身に接して、力になってあげなさい」

 鯉登も名前が暗闇から抜け出せるよう力になれればと本心から思った。鯉登は頭を下げて声を上げる。

「おいに任せてたもしッ。かならし力になりもすッ!!」
「早口過ぎて全く聞き取れんぞ」
「月島ァ!!」

 鯉登の本心は鶴見に伝わらなかった。

 ◇

 名前は着物に着替えた後、月島に送ってもらい病院に向かった。あの日から昼過ぎに尾形のお見舞いに行くのが日課になっている。
 見慣れた病室の扉の前で、いつも通り外套を脱いで一言声をかけて入室する。尾形にベッドに近づくと、これまたいつも通り手のつけられていない食事が棚に置かれていた。

「こんにちは。顎が動かしづらいうえに毎日お粥で食欲わかない気持ちもわかりますが、食べなきゃ治るものも治りませんよ?」

 尾形は名前の発言を無視して、黙ってスプーンを名前に差し出した。名前は、ハァ……とため息をついてそのスプーンを受け取る。なぜだかわからないが、尾形に昼食を食べさせるのもいつの間にかいつも通りの日課になっていた。

「今日は何かあったか?」
「あ〜、今日は鯉登さんに会いました」

 鯉登の名を聞いて、尾形が反応した。

「旭川にいるはずのボンボンがなんのために……」
「鶴見さんの不在が増えるらしくて、私の新しいお目付役ですかね」
「ははァ」

 ボンボン。その悪口とも取れる一言で宇佐美が海軍のボンボンがいると言っていたのを思い出した。おそらく鯉登のことだろう。ボンボンねえ……。もしかしたら宇佐美も尾形も、鯉登のことをあまりよく思っていないのかもしれない。

「尾形さんも私のお目付役をさせられてる気がしますね」
「なら金取んなきゃだな」
「えっ。私、無一文です」
「そりゃ残念だ」
「請求されたらこの着物売ろうかな」
「冗談だ、やめとけ」

 鯉登の悪口を聞く気はないので適当に話を逸らしてしまおう。そう思い冗談を言ってみたら、お金を請求されて一瞬驚いてしまった。冗談をわかりやすい冗談で返されただけなのに、馬鹿正直に真に受けてしまったのがちょっと恥ずかしい。

「鶴見中尉がいつどこに行くか知ってるか?」

 せっかく話を逸らしたのに、尾形によって話を戻された。まあ、鯉登の話からは逸らせたので結果オーライだ。しかし、いつどこにと言われても……。

「そこまでは知りません」
「じゃあ聞いとけ」
「なぜ……」
「あんたが困るだろ」
「それは確かに、まあ」

 たしかに、鶴見の予定を知らないと困ることもあるかもしれない。たぶん。帰ったら一応確認してみようと名前は思った。

「あ、五百円硬貨返してください」
「………………」
「無視ッ!!」
「うるせぇ」

 ちなみに五百円硬貨を返してもらえないのもいつも通りだ。いい加減、早く返してください。
- hakushi -