17

 アイヌの家を出たあと駆け足で高台に登り、尾形は座り込み先程行ったアイヌの家に向けて銃を構えた。二階堂はその横で片膝をつき双眼鏡を覗き込みながら状況を伝えている。名前は何がなんだかわからないままただただ見ていることしかできない。なぜ、どうして、そんなこと聞けるような雰囲気ではない。
 二階堂の合図に合わせ、ダンッ! と尾形が銃を撃った。……谷垣は撃たれてしまったのだろうか。

「外れたようです」

 双眼鏡を覗く二階堂が淡々と報告する。名前は内心ほっとしてしまった。二階堂の「手っ取り早くあの場で殺してしまえばよかったのでは?」という言葉に、名前はビクリと肩を揺らす。……目の前で人が殺されるのを見たいとは思えない。

「あの場でやれば目撃者も殺さなければならん。バアチャン子の俺にそんなことをさせるな」

 バアチャン子かどうかは少々怪しいと思ってしまったが、どうやら尾形は無駄な殺しはしたくない人なのかもしれない。人をばんばか撃つような人ではなくてよかった、助かった、と名前は胸をなでおろした。

「それに……いかにも殺しに慣れてないような嬢チャンもここにいるからな」
「え、あ、私?」
「あんたしかいないだろ」
「えっと、その、ありがとうございます……?」

 尾形は照準から目を離すことなく口角を上げて言った。馬鹿にされてると思ったが、尾形の気遣いのおかげで安堵したのは事実だ。そう思い感謝の気持ちを伝えたものの……やっぱりからかわれただけな気もして疑問形になってしまった。

「玉井伍長たちは谷垣の説得に失敗し、返り討ちにあったと考えるのが自然だろう」

 谷垣は回復を待って我々の謀反を伝えるつもりだったと尾形は語る。どうやら玉井という兵士は尾形たちと共に謀反を企てる仲間だったようだ。

 たしかにあの真面目そうな谷垣が謀反を起こすことに協力したりはしなさそうだと付き合いの浅い名前ですら思う。しかし、真面目で情に厚い人間がだからといって、謀反者だからと殺しまでするのだろうか。……だが、谷垣は先程尾形に問い詰められた際に小銃に視線を向けた。兵士である谷垣は玉井や他の謀反者を殺したように、尾形ら三人を殺そうとしたのだろうか……? 兵士は理由があれば簡単に人を殺せるのだろうか……?
 そんなことをうだうだ考えても、何が正解で何が正しいのか名前にはまったくわからない。それに、谷垣との付き合いも洞察力も尾形たちの方がはるかに上だ。何か思うところがあったとしても、名前には尾形たちを止めたり口出ししたりはできないだろう。ここは彼らに任せるしかない。

 ……しかしやることがなくて退屈だ。名前に手伝えることがあるようには見えない。手持ち無沙汰になった名前は、ただなんとなく尾形の横に無造作に刺さっている小銃のボルトを拾い上げた。それを知ってか知らずか、尾形は小銃について話し出した。

「この三十年式歩兵銃、優秀な銃だが並の兵士では百メートル先となると相手に致命傷を与えるのは難しい。でも俺は三百メートル以内なら確実に相手の頭を打ち抜ける。俺と相性が合うというわけだ」
「三百メートル……すごい……」

 約電柱十本分、名前は人を見るのもやっとの距離だと思い素直に感心し、控えめにぱちぱちと拍手をした。

「気が抜けるからやめてくんね?」
「……すいません」

 二階堂が双眼鏡から目を離さず呆れた声色で言った。たしかに緊張を欠く行為だったかもしれない。名前は一言謝るとスッと手を下げて尾形と二階堂を見守った。

 その後、カギ爪のようなもので窓が塞がれていきアイヌの家の様子がわからなくなってしまった。それから動きはないようだ。

「…………。そろそろ移動しよう」

 尾形がそう言い銃を下ろすと、何かに気付いた二階堂が声を上げる。

「待ってください。今度は一番左の窓……わずかに動きが。……双眼鏡でこちらを見てます!」

 先程尾形が双眼鏡は反射すると言っていた。名前も左の窓に視線を向けると、キラキラと反射したような光が見えた。その瞬間、尾形はその光に向けて狙撃し光は見えなくなった。

「え、今の当てたんですか?」
「………………」
「当たりましたが……悲鳴も無いですね」
「双眼鏡の動きがうそ臭い」

 尾形はあのわずかな光を狙い撃ったのか。名前は「すごい」と一言ぽつりと呟き、拍手をしようとあげた手を直前でスッと止めた。いけない、やめてくれと言われていたんだった。

「真ん中の窓」

 何かに気付いた二階堂がそう言うと、窓から丸めたゴザが次々と投げ捨てられもくもくと煙幕が広がっていく。二階堂は谷垣は煙幕を作って正面から飛び出すと予測した。

「…………先手を取られた」

 しかし、尾形はすぐさま立ち上がり駆け出した。



 家の裏が見える場所に移動すると、家の壁に人ひとりが通れるくらいの穴が開けられていた。

「やられたな」

 尾形は煙幕は罠で死角から逃げる準備をしていると言っていたが、その予測は的中していた。……すごい。名前は先程から尾形に感心してばかりだ。尾形は狙撃の腕も心理戦も長けている優秀な兵士なのでは、と名前は思い始めた。やはり、名前は何も口出しせず尾形の言う通りに行動したほうが吉だろう。

「谷垣狩りだぜ」

 こうして谷垣狩りは始まったが、マタギである谷垣はすごかった。山でどう行動すべきか知り尽くしている谷垣は、足を怪我していても一枚も二枚も上手だったのだ。尾形ら三人は日暮れ前に谷垣を完全に見失ってしまった。

 ◇

 すっかり日が暮れ、尾形ら三人は山で野宿をすることになった。明かりのまったくない山の中、目を凝らさないとなにも見えない闇の中で名前はなんともいえない恐怖を感じた。

「尾形さん、二階堂さん……? そこにいますか……?」

 名前が小さな声で囁き、手を伸ばす。すると、控えめに伸ばした手を誰かに掴まれ、名前はビクッと驚いた。

「ここにいる。夜目がきかんのか」
「尾形さん……。すみません……未来は夜でも明かりに溢れてるんです。暗闇に慣れていなくて……」
「……隣に座れ。どこにいるか何度も確認されてはたまらん」

 尾形の言葉に甘えて、体を少し動かして尾形の隣に座り体を丸めた。
 夜の山はとても冷える。名前はそれなりに着込んではいたが、それでも寒いものは寒い。少しでも体の熱を逃がさないようにと小さく縮こまる。時折隣に座る尾形の肩があたり、彼も寒さで体が震えているのがわかった。

「火を起こしていいですか」
「焚き火なんて居場所を知らせるようなものだ。闇にまぎれて襲われるぞ」
「上等ですよ。探す手間が省ける」

 二階堂はそう言ったが、火をつけることは尾形が許さないだろう。
 そういえば、と名前は手探りでガサゴソとリュックのポケットを漁りだす。目的のものを見つけポケットから取り出し、パリッと包装を開けた。

「なんだ?」
「カイロ、という暖をとるための道具です。鉄の酸化反応で発熱するので光ったりはしません。安心してください」

 そう言いながら揉まなくてもいいと分かっていながらもカイロを揉んでいると、じわじわと熱を持ち始めた。凍えた指がじんわりと温まっていく。尾形が未来の未知の道具に興味を持ったのか、横からスッと手が伸びてカイロと名前の手に触れる。

「へえ、いいもん持ってんじゃねえか」
「ふふふ、でしょ? 使い捨てですけどね」

 かじかんだ手が少し温まったところで、名前はのそりと腰を上げた。

「二階堂さん、これ。ないよりはマシだと思います。直接肌につけると低温やけどをするかもしれないので、軍服と襦袢の間に挟んで使ってくださいね」

 暗闇の中手探りで二階堂に押し付けるようにカイロを手渡す。少しして小さな声で「あったけえ」と言う声が聞こえて、名前はほっとした。
 カイロたったひとつではあったが、今日一日役に立つどころか足を引っ張ることしかできなかった名前が今やっと役に立つことができたのだ。それがとても嬉しかった。

「おい、俺のはないのか」
「え、あ、すみません。ひとつしかなくて……」

 尾形の言葉を聞き、名前は焦った。つい寒がる二階堂に渡してしまったが、尾形も寒さに体を震わせていた。ひとつしかないカイロは立場が上である尾形に渡すべきだったのかもしれない。

「ああ、そういやちょうどいい湯たんぽがあったな」
「湯たんぽ?」

 そんなものあっただろうか? と思った瞬間、肩を掴まれグッと引かれて背後に倒れ込んだ。地面に背中をぶつけると思い身構える。……が、痛くない。ぼすり、と温かいものに包まれるような感覚。突然のことに混乱していると、腹に何かが巻き付いた。驚きそれに手を伸ばすと、布の感触。なんなのか確認するようにたどって手を動かしていくと冷たい何かに触れた。……手だ。そう思った時、名前の手がその手に絡めとられる。

「しっかり温めてくれよ?」

 頭上から尾形の声が聞こえ、名前は尾形に抱き止められていることに気付いた。驚愕。羞恥。混乱。突然のことに名前は困惑したが、暗闇の中で感じる背中の温かさや触れる手にこの上ない安心感を感じてしまった。だからだろうか、抵抗する気が出なかったのは。

「よく見えないからっていちゃつかないでくれません?」
「ははッ、羨ましがるなよ二階堂一等卒」

 二階堂に茶化され尾形はそれを否定しなかったが、名前は何も言い返すことができなかった。



「うんざりだ。クソ寒い北海道も屯田兵も何もかも……。故郷の……静岡に帰りたい」

 名前が人肌の温かさに眠気を感じ始めた頃、全てに嫌気がさしたように二階堂が呟いた。

「なあ、名前。あんたは元いた時代に、故郷に戻りたいとは思わないのか?」
「……ああ、故郷」

 尾形に突然話を振られ、少し考える。

「そういえば、そんなことまったく考えたこともなかったなあ……。誰も私のことを知らないところに来れたのが、少し嬉しいとさえ……。もう、戻りたくないなあ……」
「……そうか」

 名前を抱き止める手に少し力が入ったような気がした。……もう眠気の限界だ。名前は眠気に身を任せた。
- hakushi -