通算三羽目の鴨は慣れないことに手間取りつつも、二羽目よりも素早く綺麗に捌くことができた。しかし、宣言通り『完璧』に捌けたかと聞かれると、どうだろうか。あはは、と浮かない気持ちを空笑いで誤魔化しつつ、不安な気持ちで尾形の顔を恐る恐る見上げる。
「ど、どうでしょう……?」
「………………」
返ってくるのは、やはり真顔と無言のみ。尾形が無言なのは捌くのが下手だったからだ。そう思った名前の気持ちはどんどん沈んでいき、がっくり項垂れた。役立たず、使い物にならない、と捨てられてしまうのではないだろうか。不安な気持ちが膨らんでいく。が。
「悪くない」
「…………え?」
予想外の言葉が耳に飛び込み、名前は驚いて視線を上げた。尾形はあいかわらず何を考えているかわからない顔をしているが、聞き間違えでなければ彼は「悪くない」と言った。そう言ったのだ。その言葉の意味をうまく飲み込めず、捌いた鴨に視線を向ける。見れば見るほど名前にはお世辞にも上手く捌けたとは思えなかった。これが、悪くない?
「三羽でそこまでできれば上々だろ」
「で、でも『完璧』にはできなかったです、けど」
「べつに食えりゃいいだろ」
「は、え……?」
名前は呆気に取られてしまった。そうか、食べれればいいのか。なるほど。などとすぐには納得できなかった。だが、どんどん膨らんでいた不安な気持ちはパチンと弾けていつのまにか消えてしまっていた。
「だが、このままじゃ食えんな」
そう言うと尾形は野菜が入った鉄鍋をずいっと差し出した。おそらく鴨と野菜を切って調理しろということだろう。名前は鉄鍋を反射的に受け取り、戸惑いながらもそそくさと下拵えの準備を始めた。
撃ちたてほやほやだった『鴨』も『鴨肉』になってしまえばこっちのもの。なんとなく部位ごとに解体して余分な脂身を取ってそぎ切りしていく。そして長ねぎは5センチくらいの長さ、葉物は一口大のざく切りに。にんじんは短冊切り……でもよかったのだが、せっかくなので可愛く花形に飾り切りした。すべての野菜をそつなく切っていき、あっという間にすべての具材を切り終えた。
「こういうのは一丁前にできるんだな」
「そりゃ料理くらいはできますよ。数年ひとり暮らしだったし、キャンプ……ええと、野営ごっこみたいなことをよくしていたので」
「のわりには鴨の解体はさっぱりできなかったな」
尾形が感心したように手元を見てきたかと思えば、鴨解体が全くできなかったことを鼻で笑ってきた。上げて落とすのがお上手なことで。名前はちょっとムッとして、手を動かしながらもすかさず反論した。
「未来では肉は解体も血抜きも済んだ状態で切られて売られているのが当たり前だったんですよ。だから解体なんてしたことなかったんです!」
「へえ。だとしても、この程度で好き好んで野営をしていたとは全く思えんな」
「野営『ごっこ』です、ごっこ。野営と言っても、私の場合はキャンプ場という安全な開けた土地の一角を借りてのんびり過ごしていただけ。未開拓の山に入って自分であれこれ調達するのは未経験です」
「はッ、とんだ甘チャンだな」
「……そういうもんなんです、キャンプは」
所詮キャンプは大人のおままごとだ。それでいい。もっと楽なグランピングなんてものだってある。自然を楽しむことに意味があるのだ。
……星も見えない大都会にある家の自室で文字ばかり見て過ごしてきた。だから、自然の中で過ごしたいと思っただけだ。その方法がたまたまキャンプだっただけだ。
だがそんなことを尾形に話す気にはなれなかった名前は、何も言わずに昆布を浸しておいた鉄鍋を火にかけ始めた。ふつふつと泡が出始めたころに昆布を取り出し、適当にそれっぽく味付けをして火の通りにくいものから具材を入れていく。ぐつぐつと具材が煮えていくにつれ、どんどんといい香りがしてきた。
「……さっき、ひとりで暮らしていたと言っていたが」
「え、そこ掘り返しますか」
今日の尾形はやたらおしゃべりだな、と思いながら名前は言い返す。鍋から視線を上げると、思ってたより近い距離に尾形の顔があり少し驚いた。感情が読み取れない黒い瞳がじっとこちらを見つめている。
「ひとりで暮らしてたってことは、両親や祖父母は死んでるのか」
「……はい?」
質問の意味が一瞬よくわからなかった。……これ、死んでると思って聞いてきてるならとんでもなく不謹慎だな? と思いつつ、名前にはそんな悲しい事情はないのでなんだかおかしくなって笑いが込み上げてきてしまった。ふふふ、と笑っている名前を、尾形は黙って見つめている。返答を待っているのだろうか。
「残念ながらご存命です」
「ははぁ。残念、ね」
ぎくりとした。痛いところを突いてくる。
「……尾形さんのご期待に添えず『残念』でした、ね」
「そういうことにしといてやるよ」
「……本当ですって」
「どうかな」
尾形は先ほどの感情が読めない真顔とは打って変わりニヤニヤとこちらを見てくる。名前は耐えきれずふっと視線を逸らした。これ以上深掘りされるのはちょっと、いや、かなりイヤだ。話を逸らしてしまおう。そう思い鉄鍋に視線を向けると、先ほど入れた具材がいい感じに煮えていた。
「ほ、ほら! 鍋が煮えましたよ! この話はおしまいです。ささ、煮え過ぎる前に食べましょう!!」
「……ああ、そうだな」
名前はサッと尾形から距離を取り、ちゃかちゃかと鴨鍋を取り分ける準備を始めた。取り皿代わりに尾形の飯盒を借りて、本体と蓋とに具材にバランスよく取り分けていく。本体には少し多めに入れて尾形に手渡した。
「さて、いただきます!」
勢いよくパチンと手を合わせて挨拶をする。尾形は黙って取り分けられた鴨鍋を見つめていた。
彩りよし、香りよし。それっぽく作ったわりには美味しそうに見えるのは、ここしばらく適当に焼いた鴨ばかり食べていたからだろうか。さてさて、お味はいかほどか?
「……っ! 美味しい!!」
「大声出すほどかよ……」
一口食べるなり突然大声を出した名前を尾形が呆れた顔をして見ていた。後からじわじわ羞恥心が湧き、名前は誤魔化すようにコホンと咳払いをした。
それにしても美味しい。はふはふと他の具材も次々と口に運ぶ。どれも本当に、本当に美味しい。素朴な味付けだが、素材本来の旨みを感じる。出汁を一口飲むと温かさがじんわり身に沁みわたった。まるで心まで温かくなるようだ。
「なんでだろう。初めて解体から調理まで自分の手でしたからかな。達成感からか、やたらと美味しく感じます」
「そりゃよかったな」
「いままで手の込んだ料理なんて時間の無駄だとか、食事なんて栄養さえ摂れればいいと思ってたのに……」
夫のために息子のためにと料理をする母の背中が思い浮かぶ。手間暇かけて煮込んだシチューや角煮、作るのにやたらと手数が多いポテトサラダやロールキャベツ。母が忙しい中でも時間をかけて調理をする意味が効率重視の名前にはまったく理解できなかった。だから名前の好きな食べ物は卵かけご飯だ。手早く栄養さえ摂れればいい、そう思っていた。思っていたのに。
「……いままで食べてきたもので、一番美味しいです」
ぐつぐつと煮える鴨鍋を見つめながら名前はぽつりと呟いた。鴨鍋の美味しさと温かさ、そしてそれによる幸福感で自然と笑みが溢れる。
「尾形さんのおかげです、鴨を撃ってくれてありがとうございます」
「……ああ」
尾形が鴨を撃ってくれなければ、鴨を捌くことも捌いた鴨を調理することも、そして調理した鴨鍋がとてもとても美味しいということも、どれひとつ体験できなかっただろう。すべて尾形のおかげだ。
その気持ちを素直に伝えることがなんだか気恥ずかしくて、名前は終始尾形の顔を見ることができなかった。
◇
数日後、尾形と名前は久々に山を下りて町の古手屋に来ていた。名前が鶴見からもらった着物を売るためだ。
「北鎮部隊とお嬢さん? なかなか変わった組み合わせだねえ」
「ああ、お偉いさんの親戚の娘の護衛をしてるんだ」
「なるほどなあ、どうりで上等な着物なわけだ。売っちまっていいのかい?」
「あー、なんだ、世話になってる人にこっそり贈り物を用意したいんだと」
店主の問いかけから突然鶴見が考えたトンデモ設定が出てきて名前は少し驚いた。口合わせもしてないのに、よくもまあ流れるように嘘を吐くものだ。機転が利く尾形に感心してしまう。
ここは尾形の嘘に乗るべきだろうか。悩みながらもちょっぴり悪戯心が湧いた名前は、人受けが良い笑顔を浮かべて口を開いた。
「Hello! I'm just kidding. sorry!」
「なに言ってんのかサッパリわからないなあ!」
「ははは」
伝わらないことがわかってて『嘘ついてごめんね!』と英語で言ってみた。尾形は感情の読めない軽い笑い声を発しているが、設定通りだし問題ないはずだ。実際これ以上店主に深掘りされることもなかった。
その後、尾形に「足元見んじゃねえぞ」と圧をかけられ冷や汗を流した店主から多額のお金を受け取り、店を後にした。あいかわらず北鎮部隊様々である。
店を去ったあと、尾形は小声で名前に問いかけた。
「お前、英語が話せるのか」
「あ〜、Just a little bit......なんて」
「日本語で話せ」
「ちょっとだけ、ね?」
洋書で医学を学ぶために、ある程度の英語は身につけてある。だが、読んで聞いて理解できることと話せるかどうかは別問題。英会話はあまり自信がなかったが、今はトンデモ設定の説得力を増すくらいには役に立つかもしれない。
「Here you are.」
名前はふざけて英語を言いながら、先ほど手に入れたお金を尾形に差し出した。尾形は眉間に皺を寄せて名前の手元を見つめていたが、ずいずいとお金を差し出す様子から名前の意図は伝わったようだ。
「それはお前の金だろ」
「『お世話になってる人に用意したい』と思ってたので」
「ははァ、なるほどな」
世話になった人に渡したかったのは嘘じゃない。名前がしたり顔で言うと、尾形は笑いながら髪を撫でつけた。
「あとで返せって言われても返さんぞ」
「言いませんよ」
その言葉を聞くと、尾形は名前の手からお金を受け取った。無事に受け取ってもらえたことに名前はほっと胸を撫で下ろした。
これからきっと尾形に頼りきりになる。着物を売った程度のはした金では路銀の足しになるかも怪しいが、いままで世話になった分くらいは渡せたと思いたい。尾形が店主に圧をかけて頂いたお金だ。きっと多少はいい額をもらえているはずだ。
「少ねえな」
「うっ」
「その耳に大量についてる金属も売ったほうが良かったんじゃねえか?」
「ピアス? いやぁ……私の時代のものは売ったらまずいというか……」
曖昧に首を傾げると、左耳に多数ついたピアスがチャリチャリと音を立てた。着物を着ていた時は外していたが、現代の服に着替えてからピアスホールが塞がらないようにつけたのだ。
明治時代では物珍しいピアスが気になるのか、やれ穴だらけだなだの、やれなんの意味があるだの、尾形に色々言われ続けて名前はげんなりしていた。目立つものをつけた名前も悪いのだが、もうほっといてほしい。
とにもかくにも、文句を言われつつも無事にお金を受け取ってもらえたことだし。「尾形さん」と声をかけると尾形は黙って名前に視線を向けた。
「改めて、これからもよろしくお願いしますね」
「……引き返すなら今のうちだぜ?」
「あ〜、鶴見中尉に捕まって飼い殺しにされるのは勘弁です」
「ははッ」
脱走兵と未来人、尾形と名前の利害が一致しただけのふたりの旅がいま始まった。