「そのケツアゴぐるっとケツまで切り裂いて全身ケツにしてやろうか」
「意味がわかりません!!」
本当に意味がわからない。名前はそう思いながらケツアゴ署長……失礼、警察署長の髪を鷲掴み意味のわからない脅し文句で恫喝する尾形を眺めていた。隣にいる馬吉も警官達も冷や汗をかきながらその様子を見ている。ほら〜みんなも困ってるじゃん〜、やめなよ〜。と思いながらも、そんなこと言えるわけもなく。
それでも身の危険を感じたのか、署長と馬吉は刺青について知っている情報を話始める。彼らは日泥の番屋の隠し部屋に隠されているであろう刺青人皮を引っ張り出すために妾をさらうつもりだったらしい。いや、警察署長が人さらいをするなよ……。と思っても、そんなことも言えるわけがなく。
「妾の家に案内しろ」
まさか、尾形は妾をさらう気なのだろうか。いや、兵士が平民をさらうなよ……。と、思っても、言えるわけないよね……。
◇
尾形が妾の家の戸を開け、名前が何も考えず一緒に入ろうとした瞬間、突然目の前が真っ暗になりグッと横に引き寄せられた。目元を覆う何かに触れてみると、ゴツゴツとした男の手。おそらく、尾形によって目を塞がれたのだ。
「……尾形さん?」
「お前は外で待っていろ」
「え?」
すん。ふと、鉄のような臭いがした。その瞬間、尾形の手のひらに閉ざされた先には凄惨な光景が広がっているのではないかと名前は気付いてしまった。
そうだ、妾は? 妾の女性とお腹の子どもは無事なのだろうか? うっ……と、胃の中のものが迫り上がるような感覚がした。吐くなと言いたげに尾形に口まで塞がれ、そのまま外に連れ出されてしまった。
「……ありがとうございます」
「ここで吐かれても困ると思っただけだ」
尾形は名前を心配する素振りも見せず、再び妾の家に入っていった。本当に困るからだけだったんだろうな、と名前は思った。
妾の家から「誰かが先に妾をさらいやがった」「勘違いした日泥が攻めてくるかも」と馬吉の焦る声が聞こえてくる。そうか、妾はいないのか。妾とその子どもは死んではいなさそうだと知り、名前は胸を撫で下ろした。
◇
「用心棒たちに武器を持たせて準備させろ! 日泥が来るかもしれん!」
初めての抗争でもないだろうに、馬吉がアワアワと右往左往しながら指示を飛ばす。
「ヤクザが喧嘩におたついてどうする」
雇われた用心棒も皆が皆困惑した顔をしている中、尾形だけは悠然と構えているように見えた。さすが死線を潜り抜けてきた北鎮部隊と言うべきか。
名前自身も渦中にいるにも関わらず、どこか他人事のようにその様子を眺めていた。のだが。
「名前。お前は日泥の番屋に行ってこい」
「えっ! そ、それは、なぜ……?」
尾形の口から予想だにしない言葉が飛び出し、名前は驚きうろたえた。戦いの場では役立たずになること間違いなし、そう思った名前は馬吉の屋敷で待機する気満々だったのだ。
「日泥の番屋の隠し部屋を探せ。でかい抗争だ、日泥の用心棒共も揃って出払っているはずだ」
「は、ははは……そんな無茶な……」
あまりの無茶振りに乾いた笑いしか出てこない。正直言ってご遠慮願いたい、と思う。日泥の番屋に誰か残っている可能性も充分あるじゃないか。だが、そんなこと名前には言えなかった。名前がまごまごととしている間に尾形はまくし立てる。
「ヤクザの抗争を目の前で見たいってんなら、俺について来てもいいぜ? 死体の山でも見てみたいか?」
「そ、それはちょっと……」
「いや、その前に流れ弾に撃たれてお前が死体になるのが先かな」
「冗談でもそんなこと言うのやめてくださいよっ!!」
「ははッ」
第七師団に追われ発報された際に「死んだら死んだで都合がいい」と言われたことを思い出す。尾形なら確実に名前を見捨てるだろう。絶対。名前にはそう思えた。
「……馬吉の屋敷で待機という選択肢は?」
「ねえな」
即答。尾形は笑っている。一方、名前は顔面蒼白だ。
馬吉の屋敷で待機することはできない。尾形について行ったところで足手まといになり最悪死ぬ。死体の山も見たくない。他の案は何も思い浮かばない。となれば――
「さあ、どうする?」
「………………日泥の番屋に行きます」
たっぷりと間を置いて、渋々そう答えた。尾形は満足げだ。その笑みがなんだか小憎たらしい。
「なら決まりだな」
話は終わった。そんな素振りで尾形は背を向ける。
「刺青人皮を、いただきに行くとするか」
◇
と、いうことで。やってきました、日泥の番屋。陰からキョロキョロと辺りを見回してみたが、辺りはしんとしていて人の気配はないように思える。ひとまず、尾形の「揃って出払っているはず」という予想は合っていたようだ。
それにしても、立派なお屋敷だ。名前は日泥の番屋を見上げながら思う。小さなニシン場とはいえ大勢の漁夫が寝泊まりできる広さがあり、番屋の裏には倉庫らしき建物もある。
平成の世で育った名前には明治のニシン番屋の造りが何ひとつわからない。なのに、尾形は「隠し部屋を探せ」と言う。名前は想像以上に広い日泥の番屋を前に、どこから探せばいいのか、どうすれば隠し部屋を見つけることができるのか、何もわからず途方に暮れた。
まず、隠し部屋って何? どんな場所? どんな仕組み? 本棚が動く? いや、日本なら忍者屋敷の板がくるりと回るどんでん返しみたいなもの? なら倉庫より番屋のほうがある確率が高い、のか?
そう思考しながらゆっくりと番屋の近くまできたが、寸前でぴたりと足が止まる。……まだ人がいるかもしれないのだ。堂々と正門から入るのは躊躇してしまう。
それに、仮に隠し部屋への扉がどんでん返しだったとして、その扉を探すための方法が壁を叩いてみることしか思い浮かばなかった。板の奥に空間があれば音が違うはずだ、という単純な素人の考えだ。しかし、音の違いがわかるほどの力で何度も壁を叩けば人がくるかもしれない。名前は思慮する。
……いっそのこと、探したことにしてどこかに隠れてしまおうか。そう思い立ち尽くしていると、遠くからカァァンと鐘の音が聞こえた。尾形の顔が脳裏をよぎる。鐘を撃ち得意げに笑う尾形の顔。そして「隠し部屋を探せ」と言って笑う、小憎たらしい尾形の顔。
「……くそおがた」
ここにきてムカついてきた。なんだよあの顔。私に何を期待してるんだ。名前は思う。けれど、ここで何もやらずにいたら「使い物にならんな」と馬鹿にされるのが目に見える。それもムカつく。はあ〜と重い鬱憤と共にため息を吐いた。
自身の嘘のつけなさも考慮し、形だけでも探す誠意を見せてやろうと意気込んだ。が、尻込んだ名前は自身の予想とは裏腹に番屋裏の倉庫に足を運んだ。