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「家永さん、でしたよね?」
「ええ、なんでしょう」

 しばらくして、名前は恐る恐る家永に近付き声をかけた。

「おいやめとけ、食われるぞ」
「そんな、今すぐには取って食いはしませんよ」
「どうだかな」

 見かねた尾形が口を挟む。尾形は火鉢の前から動かぬまま、名前と家永の様子を窺った。
 名前は『今すぐには』と聞きづてならない言葉が聞こえ少々怯んだが、ぐっと堪えて話を続ける。怪我をして寝込んでいる家永にどうしても確認したいことがあったのだ。

「不躾なことをお聞きしますが、家永さんは……女性ですか? 男性ですか?」

 名前は家永の性別を聞いた。ただ興味本位で聞いたわけではない。家永が女性なら、男ばかりの集まりの中で同姓である名前が率先して看病するべきなのではないかと思ったからだ。名前は使い物にならないなりに、自身の使い所を手探りで探しているのだ。

「ふふ、私はこう見えて男……新撰組のお二人と変わらぬジジイですよ」
「…………はい?」

 男、しかもジジイ。信じられない返答に、名前は恐怖も忘れてつい前のめりになり家永を見つめた。まつ毛の長い美しい目、色気のあるぽってりとした唇、皺のない陶器肌、艶のある美しい黒髪、年を感じないすらりとした指。見れば見るほど土方達と変わらない老人とは思えない美貌だった。

「名前さんは『同物同治』をご存知ですか?」

 家永はそう言うと、同物同治のこと、自身が医者で患者の血を輸血していたこと、……人を殺して優れた身体の一部を口にしていたことを話した。そして「効果は抜群でしょう?」と微笑む家永を見て、名前の血の気は引いていった。

「ほれみろ、言わんこっちゃない。腕を食われるぞ」

 尾形は名前の首根っこを掴んで家永から遠ざける。信じられないことの連続で固まる名前は、尾形にされるがまま無表情でずるずると体を引きずられた。

「話は終いだ。満足しただろ」
「……いやいやいやいや、待って! ちょっと待った!!」

 名前は大声で待ったをかけた。家永のトンデモ告白の中に気になる言葉があったのだ。男? ジジイ? 同物同治? そんなの今はどうでもいい! 恐怖心はどこへやら、名前は食い気味に言葉を投げる。

「今、医者って言いましたよね?」

 いや、言った。間違いない。家永は自身は医者だと言った。明治時代の医者だ。家永はこの時代の医学に精通しているはず。絶好の好機だ、と名前は思った。

「眼球はふたつしかないから無理ですけど……血ならどうですか?」
「おい、なんのつもりだ」
「血をお渡しする代わりに、私にこの時代の医学について教えてくれませんか?」

 名前のとんでもない提案に、尾形は首根っこを掴んだまま怪訝そうに名前の顔を覗き込む。名前は至って真剣だ。

「なにも開腹手術ができる程の知識がほしいわけじゃありません。最低限の手当てを……とくに被弾した際の正しい処置について知りたくて」

 尾形の左腕、外套に隠されて見えない被弾した二の腕をチラリと見ると、名前はかすかに眉を落とした。

「先日茨戸で尾形さんが撃たれた時、私は何もできませんでした。これでも一応、医者を志していた身なんです。多少の知識はあるのですが……その知識が時代にそぐわなくて」

 名前がいた平成の日本では銃や刀の所持は違法だ。人が撃たれることなど滅多にない。それゆえ名前は被弾した際の処置の仕方を知ろうと思うことがなかったのだ。だが、ここは明治時代。狩猟にも戦争にも銃が使われるこの時代、これからの金塊争奪戦において銃弾を身体に受けることは避けて通れないだろう。現に尾形は二度も被弾している。

「役立たずじゃ駄目なんです。尾形さんのためにも、この時代に合った医療知識が必要なんです」

 意志の強い瞳で懇願する名前に、家永は考える素振りを見せる。やはり血で交渉するのは無茶だっただろうか。
 
「ちなみに頂ける血の量は?」
「あー、三百ミリ……が限度ですかね」
「……いいですね。その申し出、喜んでお受けいたしましょう」

 ニコリと笑って家永は快諾した。その返答に、名前はぱあっと表情を明るくし尾形に視線を向けた。

「よかった!! 尾形さん!」

 名前は喜びを隠せず破綻した笑顔を見せる。尾形はあっけにとられた。そんな喜ぶ程の事なのだろうか。「尾形さんのために」と、他人のために、たかが手当てを教わる程度で血をくれてやることになったのに、名前は嬉しそうに笑う。そんな名前を見て、尾形は「とんだお人好しだな」と呟いた。



「あら、ちょうどいい実験台……いえ、患者様がいらっしゃいますね」

 ならば実際に傷を見て処置してみるのはどうか。そんな家永の提案に、尾形は嫌な顔をしながらも渋々承諾した。実験台にされるのは御免だと思ったが、茨戸で撃たれた傷はあの時から変わらず服の上から止血しかしていない。どちらにせよ処置が必要ならば……と譲歩し、尾形は名前の近くに腰を据えた。

「尾形さんすみません、よろしくお願いしま……」

 家永の怪我の処置にも使用している医療品を片手に尾形に視線を向けると、名前はピシリと固まった。

「ぎゃあああーっ!! なんで服を脱いでるんですかーっ!!」

 横で服をむいむいと脱いでいる尾形を見て、名前は本日二回目の汚い悲鳴を上げた。尾形はすでに軍衣を脱ぎさり襦袢の最後の釦に手をかけている。胸元の肌色が名前には目に毒だった。

「アホか、脱がなきゃ傷が見えねえだろうが」
「いや、腕を捲るとか……」
「どこを被弾したか知ってんだろ、ふざけたこと抜かしてんじゃねえぞ」

 襦袢も脱ぎ、半裸で凄む尾形を色んな意味で直視できなかった。名前は両手で目を覆う。前途多難だ。

「待って、せめて背中、背中を向けてほしい……!」
「チッ、仕方ねえな」

 目を押さえ俯いていると、畳と布が擦れる音が耳に入った。するすると擦れる音が止んだ頃、名前は小さく深呼吸をした。この調子では、せっかく処置を教えてもらう機会を得たのに無駄にしてしまう。意を決して顔を上げると、尾形が胡座で頬杖をついて名前を見ていた。したり顔の尾形と目が合う。名前は声にならない悲鳴をあげて畳に突っ伏した。

「裸も死体も見れねえくせに、よく医者になろうと思ったな」
「私がなりたいと思ってなろうとしたわけじゃないです……っ」
「……親か」
「そうです、医者の家系ですから。『立派なお医者様になりなさい』と言われて育ちました」
「………………」

 突っ伏す名前がどんな表情をしているかわからない。尾形は何か考えるように名前を見つめていた。



 紆余曲折ありつつ、名前はどうにか家永の指示に従い尾形の傷を処置していった。処置に集中すれば裸も気にならない。というわけでもなく、内心ドキドキしながらひたすら手を動かした。
 あの時尾形が言った通り、弾が貫通していた為さして問題はなかったらしい。弾が体内に残されていた場合、内臓に損傷があった場合、様々なパターンを想定し、その処置の方法を聞きながら尾形の腕に包帯を巻いていった。

「尾形さん、やっぱりやぐらから落ちました?」
「…………」

 尾形は答えない。だが、狙撃するために登った高所から落ちたのだろう。チラリと尾形の背中に視線を向けると、打ち身の青紫色のあざがうっすらと見えた。

「痛みは?」
「べつに」
「べつにって……。手足の痺れは、なさそう。息苦しさや吐き気は?」
「ねえな」
「うーん。あとは、肋骨ってヒビが入ってても入ってなくても処置はそんな変わらないし……」

 もうできる処置はないなあ。と思いながらも、先日何もできずに悔しい思いをしたばかりの名前は己の持つ知識を絞り出し、尾形の背にそっと手を当てた。

「『痛いの痛いの飛んでいけ』って、実はただのおまじないなだけじゃないんですよ」

 手を当てても、尾形は痛がる様子も嫌がる様子もない。それをいいことに、ゆるゆると尾形の背を撫でながら名前は話を続けた。

「実は、痛みより触覚のほうが伝達の優先順位が上なんですよ。だから触ることで触覚が優先されて痛みが和らぐんです。まあ〜他にもプラシーボ効果……思い込みとかもありますけど」

 家永の『同物同治』もプラシーボ効果が起きてるのだろう。だが、わざわざ言う必要もないことなので、名前はそのことは胸の奥にしまい込んだ。

「とにかく、理に適ってて効果があるってことです。ほら、処置や治療のことを『お手当て』とも言いますしね」

 こんなことしかできないけれど、尾形の背中の痛みも和らぐといいな。そう思いながら名前は尾形の背を撫で続ける。痛いの痛いの飛んでいけ。口には出さずに心の中で唱える。痛みが和らぎますように、どこかに痛みが飛んでいきますように、と。

「もしかしたら手を当てるくらいしかできない時もあるかもしれない……けど、痛い時は痛いと言ってほしい……なんて」

 ぽつり、と小さな声で名前は呟く。尾形が振り向くと、名前は照れて目を逸らしながら「終わり、早く着てください」と言って尾形に襦袢を押し付けた。
- hakushi -