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 数か月前、夕張の炭鉱事故で妙な入れ墨の炭坑夫が病院に運び込まれ、じきに亡くなったらしい。そんな噂を聞きつけ、土方一派そして尾形と名前は夕張に訪れていた。
 夕張での聞き込みでその炭坑夫が埋葬された墓地を突き止め、土方と永倉は遺体を掘り起こしに墓地に向かった。牛山と家永を含む残りの四人は、夕張の町で再度聞き込みをしているところだ。

 尾形とおそろいの外套を着て誤魔化しているものの少し目立つ身なりをしている名前を見て、家永は疑問を投げかけた。

「名前さんはこの時代の衣服を着ようと思ったことはないんですか?」
「あ〜、着物はチョット……」
「あら。なら私のような洋装はいかがでしょう?」
「あ〜〜、洋装もチョット……」

 この時代の洋装はコルセットとかキツそうだし。家永が身にまとう鹿鳴館スタイルのドレスをまじまじと見ながら名前は思った。可愛い。じゃなくて。家永は涼しい顔をしているが、きっと男性的な体型を補正するためにコルセットをきつく締め、重そうなバッスルを腰に当てているのだろう。だったら和装のほうがいくらか動きやすくて良い気も……と思いつつ、かといって和装を着る気もないので名前はキュッと口を結んだ。

「残念、きっとお似合いですのに」
「あはは、すみません」
「いつか、一度だけでもいいから着てみませんか?」
「一度だけなら、まあ……」

 家永が口を窄めて可愛く残念がるものだから、断りきれずに適当に生返事をしてしまった。く、可愛いんだよな……と思っていたのが筒抜けだったのか、尾形に「ジジイだぞコイツ」と指摘された。わかってる、わかってるんだけど、脳がバグるんだよなあ……。

 そんなちょっとくだらないやり取りをしながら夕張の町を歩いていると、突然尾形にぐっと腕を引かれた。そのまま抱え込まれて近くの物陰へ連れ込まれる。人差し指を立ててシィ、と耳元で尾形が囁く。一瞬の出来事に、尾形の腕の中で名前は混乱した。

「前山がいた」
「だ、誰ですかそれ」
「第七師団の連中のひとりだ」
「……っ!」

 はるばる夕張に、第七師団が。おそらく第七師団も噂を聞きつけ夕張にやってきたのだろう。鶴見がいる可能性、自身が捕まる可能性を考え、胸がざわついた。

「俺は前山を尾行する」
「はい」
「だが、お前に勝手にふらふらされて捕まりでもしたら面倒だ。俺について来い」

 正直、気付かれないように尾形と尾行する自信がない。けれど、尾形が言うように聞き込み中に第七師団の誰かに見つかったら即捕まるのが目に見えている。ここは尾形と行動を共にするのが最善なのだろう。「俺から離れるな」と念押しされ、名前は眉間に皺を寄せながら「はい」と返事をした。



 前山をつけていくと、『江渡貝剥製所』と看板を掲げた家屋にたどり着いた。前山が中に入るのを見届けると、尾形と名前は家屋の裏の森に身を隠し中の様子を伺った。

「月島もいるな」
「ええぇ、月島さんかあ……」

 月島は名前をよく知る人物だ。いそいそと外套のフードを被ってみたものの、一瞬でも顔を見られたら名前だとすぐにバレるだろう。尾形もそう思ったのか、月島の存在に気付くと名前を木の陰に押し込み頭を押さえて姿勢を低くさせた。
 しばらくすると剥製所のドアが開く音が聞こえた。身を隠している名前には誰が開けたかがわからない。

「風呂か?」
「おふろ?」
「月島が桶を持って出て行った」
「おふろ……」
「あとは前山だけかな」

 そう言うと尾形は木の幹に銃剣を刺し、そこに小銃を乗せて構えた。程なくして尾形が発砲し、ひっそり笑って銃剣を引き抜く。この瞬間に既視感を感じた。三島の時のように、この瞬間にひとりの人間の命が失われたのかもしれない。前山を撃ち殺したのか、なんて名前には聞けなかった。

「剥製屋の坊やがいた」

 尾形に手を掴まれ引っ張られる。一緒に来いということなのだろう。名前は手を引かれるままそのまま着いていく。この家屋の出入り口は玄関しかなさそうだ。前山と月島と剥製屋以外に人はいないと判断した尾形は剥製所に侵入するため玄関に向かう。

「月島は長風呂だからしばらく戻ってこない。ここで何を企んでいるのか、剥製屋に吐かせる余裕はあるだろう」

 月島は長風呂。そんなに重要ではない情報が名前の頭の中で反復する。おそらく現実逃避だ。正直、剥製所に入るのはいやだ。前山の死体が転がってるかもしれないし、他に兵士がいるのかもしれないから。
 名前がそう思っている間に、尾形はドガッ! と豪快にドアを蹴り開けた。音に驚き、名前の体が跳ねる。尾形が拳銃を構えながら中を確認すると、手招きして名前を呼んだ。……やはり一緒に入らないといけないのかあ。名前は覚悟を決めておっかなびっくり剥製所に足を踏み入れた。

 尾形が先導してくれているおかげか、前山の死体にも別の兵士にも遭遇せずに済んでいる。視界に入るのは様々な動物の剥製ばかりだ。
 奥に進むと、部屋の壁に小銃が立てかけられているのを見つけた。数はふたつ、おそらく前山と月島のものだろう。尾形はすぐさまボルトを引き抜き名前に投げ渡した。これでこの小銃は使えない。が、ボルトを取り返されてしまったら撃たれてしまうかもしれない。……谷垣に撃たれた尾形が脳裏をよぎる。名前は渡されたふたつのボルトを上着のファスナーポケットにしっかりとしまい込んだ。

「名前、お前は二階を見てこい」
「え、ひとりでですか」
「今ここにいるのは、ひ弱そうな剥製屋だけだ」

 ここにきてひとりで見てこいと言われて、名前は冷や汗をかいた。何度も言うが、正直いやだ。名前は剥製屋を一度も見ていない。いくら尾形が『ひ弱そう』だと言っても、名前がひとりで遭遇しても対処できるとは思えなかった。だが尾形は名前の返事を聞く前にズカズカと他の部屋の捜索を始めてしまい、名前はぽつんと取り残されてしまった。はああ〜〜、と名前は目元を押さえて重いため息を吐く。……まあここまで騒ぎ立てても出てこないということは、剥製屋はコソコソ逃げ隠れしてるということなのだろう。相手はひ弱そうな逃げ腰の坊ちゃんだと自身に言い聞かせて、名前は二階に上がっていった。



 二階にある部屋のドアをひとつひとつ丁寧にノックしてもしも〜しと声をかけて開けて歩くも、人がいる様子はなかった。とある部屋にあった鶴と亀の剥製を見てなんだか縁起がいいなあと思っていた時、一階から何かが崩れるような派手な音と、それと共に銃声が何発か聞こえてきた。慌てて物陰に身を隠し、聞き耳を立てる。何が叫ぶ声が聞こえる。この声は、おそらく月島だ。長風呂にしては短過ぎると思ったが、今はそんなことどうでもいい。声は聞こえるが、何を言っているかはわからない。続けて銃声が一発聞こえ、騒動は収まった。
 尾形は無事だろうか。あまりの静けさに心配になり一階に降りようとした時、尾形でも月島でもない声がかすかに聞こえてきて、名前はピタリと足を止め身を屈めた。……聞き覚えがある声のような気がする、が、思い出せない。やがてドタドタと走る音が遠退き、またも静寂が訪れた。
 ……どうしよう。あまりの人の出入りの多さに尾形を心配しつつも一階に降りようか踊り場で思い悩んでいると、階段下に現れた尾形と目があった。よかった、ひとまず無事だったようだ。

「怪我はないですか」
「アンタはいつもそればかりだな」

 階段を降りながら聞いてみたが、尾形は怪我の有無は言わずに呆れ顔で髪をかき上げた。だって、心配じゃないか。あんな派手な音がしていたのだから。名前はめざとく尾形の右手の人差し指と中指の間に切り傷があることに気付いた。

「右手の指の間が切れてます」
「……はあ、今はそれどころじゃねえ」

 尾形はうんざりした様子で右手を外套の中に隠してしまった。ちらりとしか見えなかったが、急を要する傷ではないのは確かだろう。他に目立つ怪我は見られなかったので、名前はこれ以上追求するのはやめた。

「剥製屋の坊やに逃げられた。白い熊を追うぞ」
「しろい、くま……?」

 なんで白い熊? と、頭に疑問符を浮かべながら、名前は尾形と共に剥製所を出た。
- hakushi -