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 どうやら剥製屋の坊やこと江渡貝は白熊の毛皮を被って逃げているらしい。あまりにも目立つものだから目撃証言が多く、探すのにあまり時間が掛からなかった。尾形と共に町行く人に白熊の行方を聞きながら辿り着いたのは炭坑。そこには一匹の白熊が線路の近くを駆けていた。

「江渡貝くーん」

 尾形がゆったり大声で声をかけると、白熊……いや江渡貝が振り向いた。息が上がっている。焦った様子でこちらを見ているが、この距離では小銃を持つ尾形からはもう逃げ切れないだろう。

「鶴見中尉という死神に関わったのが運の尽きだ」

 尾形が銃口を江渡貝に向けたその時。

「乗れ、江渡貝ッ!!」

 一瞬の出来事だった。江渡貝は線路を走るトロッコにさらわれた。同時に聞こえてきた江渡貝を呼ぶ声はおそらく月島だろう。このまま坑道に入るつもりなのか、止まる気配が一切ない。グングンと距離を離されていく。

「追うぞ」
「え、嘘!」

 同じ線路に置かれたトロッコにぐいぐいと押し込まれ、名前は焦った。一緒に追う意味はあるの!? ないでしょ!! いい加減そろそろ置いて行ってほしい!! と名前は心の中で叫んでいたが、尾形に異議を唱える間もなくトロッコの中に自身が転がり落ち、打った頭を押さえている間にトロッコは動き出してしまった。ひっ、なかなかのスピード。ゴオオォォと響く風切り音が名前の恐怖心を煽る。

「リアルビッグサンダー……」

 何度か乗ったことがあるアトラクションを思い浮かべたが、残念ながらこのトロッコには安全バーは存在しない。おそろしい。名前はトロッコの中で小さく丸まった。



 トロッコは坑道の中をすごいスピードで走っていく。名前と尾形が乗るトロッコは前を走るトロッコから少し距離が空いているようだ。名前が恐る恐るちらりと顔を出して先を見ると、先方を走るトロッコから軍帽と坊主頭が見えた。……坊主頭?

「江渡貝さんって坊主でしたっけ」
「あれは白石だ。土方のジジイが話してたろ」

 聞き覚えのある名前を記憶の底から探り出す。白石、確か油紙に写した複製の暗号のひとつ、土方と手を組んで別行動している、その白石だろうか。

「ということは、こちらの仲間?」
「いや、不死身の杉元がいる」
「えッ!?」

 不死身の杉元。小樽の兵舎で鶴見に尋問されていた、尾形に重傷を負わせたらしいあの不死身の杉元。もう一度先方を見ると、見覚えのあるマフラーがなびいているのが見えた。名前はあの時兵舎で見た男だと確信した。
 どうやら彼は燃える兵舎から無事脱出していたらしい。杉元に関することにあまりいい思い出がない名前は顔をしかめた。尾形に聞きたいことは山程あったが、月島と彼らがドンぱちする派手な音が聞こえてきて、名前は黙って縮こまってしまった。
 しばらくして、尾形が小銃を構えて発砲した。どうやら分岐器のレバーに当てたようだ。ルートが変わり、尾形と名前が乗るトロッコは右に進む。得意げに笑う尾形を見て、名前は「お見事」と言ってパチパチと気の抜ける拍手をした。

「伏せてろ」

 尾形は名前の頭を押して姿勢をさらに低くさせた。前方から別のトロッコが走る音と微かに声が聞こえる。どうやら江渡貝と月島が乗るトロッコに追いついたようだ。杉元と白石はおそらく分岐器があった左の線路を進んでしまったのだろう。江渡貝と月島が乗るトロッコにもうすぐ追いつくと思った時、周りの炭坑夫達の叫ぶような声が聞こえた。

「マイトに火を点けたぞォ! 止まれーッ!! 発破に巻き込まれるぞッ!!」
「……!? いかん」

 炭坑夫の慌てて叫ぶ声を聞き、尾形はすぐさま小銃を前輪に当てた。ギャギャギャと嫌な音がし、緩やかにトロッコは止まった。直後に大きな爆発音。名前は耳を塞ぎ、ギャァと叫んだ。

「おい、名前! 降りてトロッコを押せ!」
「は、はい!!」

 腰を抜かしている暇もなく慌ててトロッコから降り、尾形と共にトロッコを押す。一度止まってしまったトロッコは平坦な線路の上ではなかなか動かない。「クソ」と尾形が小言を漏らす。

「オイ、なんか臭わんか?」
「金属が焼けたにおいが……」

 近くにいた炭坑夫達が言う。尾形がスンスンと鼻を鳴らし、名前もつられてスンとにおいを嗅いだ。なにか、変なにおいがする。……ガスのにおいだ。視線をあげると、辺り一面に炭塵が舞っていた。サァーと名前の血の気が引いていく。

「『ガス吐出』だ!! 発破がガス溜まりを当てちまったッ!! 逃げろおッ、爆発するぞぉぉ!!」

 ガス吐出、爆発、その言葉を聞いた瞬間、名前は勢いよく尾形に覆い被さろうとした。が、姿勢を低くする間もなく大きな爆発音と同時に凄まじい爆風が吹き、名前は尾形を抱えたまま吹き飛ばされ、炭坑の壁に背中を強く打ちつけた。
 ……痛い、苦しい、動けない。勢いよく壁と尾形に挟まれた。あまりの痛みと衝撃に一瞬息が止まり、息をするのと同時にゲホゲホと咳を吐く。

「どうして庇ったッ!!」

 尾形が叫ぶ。どうしてと言われても、咄嗟に体が動いたのだから名前にもわからない。答えたくても口から出るのはひどい咳ばかりだ。

 ビュウゥゥと勢いよく風が吹き抜け、炭坑の奥に引きずりこまれそうになる。力が入らず転がりそうになる名前の身体を押さえ込むように尾形が覆い被さる。

「『もどし』だ!! さらにでかいハレツが来るかもしれん!! 早く外へ逃げろっ!!」

 炭坑夫が叫ぶ。尾形は咄嗟に名前を抱きかかえた。

 ズズンッ。

 大きなガス爆発により、山が揺れた。



 ゲホゲホと咳き込みながら尾形は身を起こす。

「おい! 名前!! 生きてるかッ!!」
「……っ、う、なんとか……ゲホッ」

 尾形に庇われたのだろうか、一度目の爆発より身体の痛みが少ない。とはいえ二度も突風に吹き飛ばされた名前の身体は思うようには動かなかった。ガスのにおいがする。息が苦しい。……すごく、眠い。

「姿勢を、ひく……く、げほ、しゃべらないで、ガスで、酸欠に……」
「わかってるしゃべるな、絶対に寝るな」
「精進しま、す」

 尾形はすでに姿勢を低くしたまま身体を起こしているが、名前はどうにも起き上がることができない。使い所がないと言われ続けていた名前は、この瞬間最高に最悪に足手まといになっていた。名前は自身に向けて心の中で嘲笑する。もう、だめだ。

「おいてって」

 名前はニッコリと笑って尾形に言った。それを見た尾形の眉間に深く皺が寄る。

「……ふざけんな」

 尾形はイラついた様子で名前を乱暴に背負った。そんなにイライラするなら捨てて行ってくれればいいのに。名前はそう思っても、猛烈な眠気と戦うのに必死で口を開くことができなかった。

 一際ひどく崩れた瓦礫をこえた時、尾形は瓦礫の下に死んだ江渡貝が横たわっていることに気がついた。月島は、いない。

「おい! そっちじゃねえぞ、ついて来い! 通風口がこっちにある!!」

 近くにいた炭坑夫に声をかけられ、生きてここから出るのが先決だと思った尾形は江渡貝を横目に炭坑夫に着いていく。
 助かった、そう思った名前は、安心したと同時にあっけなく意識を手放してしまった。

 ◇

 気付けば名前は水を飲まされていた。意識が浮上する。水、おいしい。ぼやけた視界に映るのは黒曜石。いや、尾形の瞳だ。尾形の顔が近い。心配して顔を覗き込んでいたのだろうか。

「目が覚めたか」
「……はい、なんとか」

 声が掠れる。尾形に背を支えられながら、どうにか身体を起こして自力で座り込んだ。すぅ、と息を吸う。なんてことのない空気が美味しい。助かった。生きてる。それがすごく幸せに感じられた。
 尾形は柄杓に入った水を飲み干すと、桶から水を掬い上げ「飲め」と言って名前に柄杓を押し付けた。名前は与えられた水をちびちび飲みながら、鬱陶しそうに髪をかき上げるひどく汚れた尾形を見た。明るいところでこうして見るとなかなかに大惨事だ。

「尾形さん」
「……なんだ」
「助けてくれて、ありがとうございます」

 尾形があのまま名前を置いて行ってしまっていたら、そのまま死んでしまっていただろう。誠心誠意、気持ちが伝わればいいなと思い、名前は尾形をしっかりと見つめて感謝の気持ちを伝えた。
 尾形は名前の目の前にしゃがみ込むと、名前の口元を乱暴にごしごしと擦った。少し痛いと思ったが、抵抗せずに受け入れる。その後尾形は立ち上がると、はらりと落ちた髪を撫でつけ名前に背を向けた。
 なんだったんだろう、口に水でも付いてたのだろうか。名前はよくわからないまま、柄杓の水をまたひとくち飲んで尾形の背を見つめた。

 尾形の視線の先に、大きな背広の男がいた。あれは牛山だ。あんな大男、滅多にいない。間違いないだろう。尾形はスタスタと牛山の元に歩いて行ってしまった。名前は慌てて柄杓を桶に突っ込んでその背を追う。

「しょうがねえ、そいつら連れてついてこい」

 どうやら牛山以外の人物がいるらしい。そこには驚いた顔をした白石と不死身の杉元と、見知らぬアイヌの男性と少女がいた。

「……どなた?」

 一方的に知っている人物もいたが、名前は素直な感想をぽつりと呟いた。

「シライシヨシタケです。独身で彼女はいません」
「…………はい?」
「付き合ったら一途で情熱的です!」
「えっと、宜しくお願いします?」

 ずいっと前に出てきて突然自己紹介をし始めた白石が、目を輝かせて手を差し出した。うわ、これは女好きのすけこましだ。困り顔で愛想笑いをしつつ握手くらいならと名前が手を差し出した時、尾形は白石の手を叩き落とした。掴むべきものがなくなった名前の手が空を掴む。どうしようこの手。

「いくぞ」

 その手は尾形に掴まれた。グイグイと手を引かれる。名前はそのまま尾形に手を引かれて江渡貝邸へ向かった。
- hakushi -