「贋物は……おそらくこの六体の剥製を利用して作られた」
ここは江渡貝邸の一室。六体の『人間』の剥製のど真ん中で、尾形は手を広げて偽物の刺青人皮が作られたと語る。名前は尾形の近くで、彼の小銃を抱えて俯いていた。……人間剥製、キモチワルイ。本当はこんなものがある部屋に入りたくもなかったのに、尾形が近くにいろというから仕方なく人間剥製のすぐ側に立たされている。牛山の「なんてこった、気色悪い……」という言葉に心の中で激しく同意した。
よくもまあ、こんな気味の悪い人間剥製を前によく平静でいられるものだ。明治と平成ではこんなにも感覚が違うものか、と名前は思った。――特に、前の方にいる青い瞳のアイヌの少女。十歳から十二歳くらいだろうか、まだまだ幼く見える少女が血生臭い金塊戦争の場にいる。そのことが名前には気になって仕方がなかった。名前はちらちらとアイヌの少女を見た。
「贋物か本物か……。この忘れ物がどっちなのか、判別する方法を探さねば」
聞き覚えのある声に顔を上げると、名前の思った通りの人物が猫と刺青人皮を持って現れた。
「ジイさん、あんた……見覚えがあるような……どこかで会ったかな?」
「いや……!! 会ったことがあるわけねえ。こいつは……土方歳三だぞ」
怪しむ杉元に白石が慌てた様子でその人物の正体を明かすと、場の空気が凍りついた。杉元が静かに小銃を肩から下ろすと、尾形は半歩名前に近付く。名前はさりげなく、預かっていた小銃を尾形側に持ち直した。
「アンタに会ったら聞きたいことがあった」
のっぺらぼうが土方歳三だけに伝えた情報について、のっぺらぼうは本当にアイヌなのか、そして尾形と同じように「もう一度、蝦夷共和国でも作るのか」と杉元は問う。
「私の父は……!」
アイヌの少女が発した言葉を遮るように、土方は素早く刀を抜き凄んだ。
「手を組むか、この場で殺し合うか、選べ」
杉元が小銃の銃口を握る。ふたりから鋭い殺気を感じ、名前は反射的に尾形に体を寄せた。尾形のほうを見上げると、彼はアイヌの少女の背を見つめていた。名前も視線を辿り、少女を見る。金塊戦争の場に似つかわしくない、青い瞳の少女。聞き間違えでなければ、彼女は「私の父は」と言った。のっぺらぼうの娘、なのか? と、名前の頭に確信に近い疑問が思い浮かんだ。
続いて現れた永倉が刺青人皮を買い取ろう、売った金で故郷で嫁でも貰って静かに暮らす道もある、と杉元を説得する。だが、杉元の返答は「のっぺらぼうに会いに行って確かめたいことがある」だった。
会いに行く? そこに疑問を持つ者も多かったが――
「なぁに? コロコロって!?」
今までスルーされていたアイヌの少女のお腹の音に、杉元はついに耐え切れず鋭いツッコミを入れた。グルグルコロコロとお腹の音は鳴り続ける。実は名前も気になって仕方がなかった。
「私が何か作りましょうか?」
「家永生きてた!!」
どうやら家永と杉元は顔見知りだったらしい。ひょこりと現れた家永にまたまたツッコミが入り、凍てついていた場の空気が完全に崩れてしまった。
「お話の続きは食事の席でされてはいかがでしょうか……」
きっとお腹を空かせていたのはアイヌの少女だけではなかったのだろう。家永のこの一言で、場は一気に食事モードになった。名前は少し和らいだ空気を吸い込み、ハアと吐き出し安堵した。
「名前さん、食事を作るのを手伝ってくれませんか?」
「あ、はい! ちょっと待ってくださいね」
家永に声をかけられ、名前は預かった小銃を返すため部屋の隅で邪魔な剥製を退かす尾形に駆け寄った。
「尾形さん」
片手で小銃を抱えながら、他の人に見えないよう口元に人差し指を立てる。それを見た尾形が小銃を受け取る素振りをしながら名前に耳を寄せた。……理解が早くて助かる。
「後天的に瞳の色が変わることはない、と話したことを覚えていますか? 彼女が娘なら、のっぺらぼうはパルチザンの可能性が高い、のかな、と」
名前の言葉を聞き、尾形はひそかに口角を上げた。
◇
テーブルを横並びにし、その真ん中に大きな鍋を置いた。なんこ鍋、夕張の郷土料理で腸を味噌で煮込んだいわゆるもつ鍋だ。白石が『大丈夫な肉』なのか怪しんでいたが、家永が「馬のものを使ってます」とにこやかに答えると、なぜか隣のキロランケが勢いよく吹き出した。
「作るのを手伝いましたが、変なものは入ってないと思いますよ」
名前はそう言いながら湯呑みにお茶を注いでまわる。最後に尾形の隣の席に湯呑みを置き、三角巾を外しながらそこに腰掛けた。美味しそう、ひと足遅れてやっと食べれる。そう思いながら手を合わせ「いただきます」と小さく呟き、なんこ鍋を食べ始めた。
「……あんたらその顔ぶれでよく手が組めてるな」
杉元が土方一派が座るほうを見ながら言う。確かに個性が強すぎる寄せ集めのような集団に見えるよなあ、と名前も思った。土方と永倉はなんだか近寄り難いし、初対面で色んな意味で名前を食おうとした牛山と家永には今でも少し恐怖心を持っている。
「特にそこの鶴見中尉の手下だった男……。一度寝返った奴はまた寝返るぜ」
名前にとっては一番信頼できる人物である尾形を「特に」と怪しむ杉元の発言。名前は顔をしかめて小首を傾げた。尾形は笑う。
「杉元……お前には殺されかけたが、俺は根に持つ性格じゃねえ。でも今のは傷ついたよ」
「あ、やっぱり『ふじみ』って彼のことだったんですね……」
傷ついてるんだかそうじゃないんだか。そう思いつつ、名前が一番引っかかったのはそこではなかった。
尾形に重傷を負わせた『ふじみ』の正体。名前は薄々そうかと思いながらあえて聞かずにいたから、尾形の口からハッキリと杉元に殺されかけたと聞いたのは初めてだったのだ。話の流れからつい杉元に視線を向けると、バチリと目が合ってしまい肩が跳ねた。
「あんた……」
「はい! 名字名前です! 家族が嫌いなので『名前』と呼んでくださいッ!!」
「…………」
「あ、その、素敵な傷ですね! なんて、はは」
「……………………」
名前は反射的に自己紹介をした。そして場を和ませようと杉元と初めて会った時に言った失言をあえて言ってみたものの、杉元の目は冷ややかだった。おまけに尾形には舌打ちされた。失言はやっぱり失言だ。言わなきゃよかった。だがしかし後悔しても遅い。手が震えて箸でモツが掴めない……。
「なあ、アンタも鶴見中尉のところに――」
「おかわり」
杉元の言葉を遮るように、尾形はモツを頬張りながら空のお椀を名前に差し出した。名前は目をぱちくりとさせて空のお椀を見つめる。早くしろと言わんばかりにぐいぐいとお椀を押し付けられる。まって、まってってば。慌ててお椀を受け取ると、距離が近づいたその拍子に尾形に肩を抱かれグイッと引き寄せられる。
「悪いな杉元、こいつはお前に殺されかけた俺を見つけた『命の恩人』だ。恐がらせないでやってくれよ、かわいそうだろ」
杉本の目が見開かれ、少しばつが悪そうに名前を見つめた。名前はお椀を持って固まり、視線だけで杉元と尾形をチラチラと見る。尾形に顔を覗き込まれながら「なァ?」と聞かれたら、名前は「そ、そうですね」と苦笑しながら答えるしかなかった。ちなみに今の肯定は尾形を見つけたことに対しての肯定だ。
「……おい、」
「食事中に喧嘩はやめなァ?」
杉元は追及しようとしたが、白石に止められ口を噤む。どうやら話の腰は完全に折れてしまったようだ。
名前は立ち上がり、尾形のお椀におかわりをよそう。ちらりと杉元を見ると、釈然としない顔でお椀の汁を啜っていた。うーん、このままでいいものか……。
「あの、後で色々と弁解……いや説明させてください。こう、お前なんなんだっていうの……もう慣れっこなんですけど、準備というか見せたいものがあるというか……なので食後に……」
「………………」
「俺も名前ちゃんのお話し聞きたいなァ〜〜?」
名前が眉を下げて言ってみたものの、杉元は無言でモツを噛んでいる。誰か助けてえ、と思っていたら白石が間に入ってくれた。白石はいい潤滑油になる居てくれて助かるタイプの人だなと名前は思った。大変有難い。すけこましだけど。
尾形におかわりをよそったお椀を渡して、食事を再開する。さて、おっかない杉元にどう弁解しようか。心の中で作戦会議をしながら、名前はモツを頬張った。
◇
「なにこれェ? すごぉ〜〜い!!」
名前の不安は一瞬で杞憂に終わった。結果から言おう、杉元と白石、そしてアシㇼパの文明の利器への食いつきが尋常ではなかった。過去一わかりやすく驚き、目を輝かせてくれる。
「はい! ここで渾身の変顔をお願いします!」
スマホ片手に三人に無茶振りすると、一瞬で三者三様のとんでもない変顔が披露された。笑いを堪えて震える手でシャッターボタンを押す。撮れた写真を彼らに見せると、大笑いしながら何コレすげえッ!! とものすごく驚いてくれた。正直に言おう、めっちゃくちゃ楽しい。
尾形はその様子をすこぶる面白くなさそうに眺めていた。
「……というわけで、ひょんなことで未来から来てしまった私は第七師団に身柄を確保されて、その後尾形さんに連れられ脱走して、今は第七師団から逃げ回り続けているんです」
「名前ちゃんも苦労してきたんだね……。でも、これからは脱獄王であるこの白石吉竹がいれば一安心だぜ!」
「あはは、ありがとうございます。頼りになるな〜」
本当に頼りになるのかわからない白石に、名前は愛想笑いを振りまく。今までいなかったムードメーカーなところは頼りになりそうだ、とは思った。
「アイツも第七師団だろ」
鋭い口調で杉元は言う。アイツとは、尾形のことだろう。杉元は尾形のことを疑っている。……もしかしたら、名前のことを心配してくれているのかもしれない。杉元に「何を考えてるかわからないよ、信用しないほうがいい」と言われ、名前は考えた。たしかに尾形の真意はわからない。信用できないところもあるのかもしれない。
「……それでも、私を逃してくれて、共に過ごして、ここまで生き延びることができたのは事実なんです。何を考えているかわからないことも確かにあるけれど……恩を感じています」
名前は柔らかく微笑む。これは事実であり、本心だ。
「……そう、名前さんがいいならいいけど」
「うん、いいんですよ。金塊なんてどうなるか知らないしどうでもいい。私はただただ第七師団から逃げ切って生き延びたいだけなんです。……まあ、人生ラクしたいし、そのために勝ち馬には乗りたいとは思ってるかも」
「なら尾形じゃなくてもいいんじゃない?」
「あはは、そうですね。でも今は尾形さんがいい。私にとって現状一番信用できるのは尾形さんなんです」
「……そっか」
名前の意思は堅い。杉元は少し困ったような顔をすると、離れたところからこちらをずっと見ていた尾形に鋭い視線を向けた。
◇
大はしゃぎで広げた未来の道具たちを淡々とリュックにしまいながら、名前は手のひらを尾形に向けた。毎度恒例のあれである。今日こそ決着はつくのだろうか。
「尾形さん」
「なんだよ」
「わかってるくせに。硬貨ですよ、五百円硬貨」
「チッ、しつこいな」
「私のです! まさか、なくしたんですか?」
「いいや」
尾形はどこ吹く風で、名前が求めるものを出す気はないようだ。なくしてはなさそうだが、どうしてこんな頑なに返してくれないのか。名前はぬぐぐと顔をしかめた。
「どこですか」
「あー……胸の隠し、いやポケットか」
胸ポケット! その言葉を聞いて名前は尾形の両胸に手を当てた。さわさわぺちぺちしてみたが、
「……ない! ポケットすらない!!」
「見りゃわかるだろ、お前の目は節穴か」
尾形の旧式の軍衣には胸ポケットはついていなかった。今度こそと思ったのに、またまた騙されてしまった。いや、名前だって馬鹿じゃない。わかってた、冗談だろうと思ってた。けど微かな望みにかけて探してみたけど尾形の思う壺だったようだ。悔しくて尾形の胸をポカポカ叩く。尾形はニヤニヤ笑っていた。
「お前は俺が『褌の中に隠している』と言ったら、そこにも手を突っ込む気か」
「尾形さん、私のことなんだと思ってます?」
「助平女」
「はっ倒しますよ」
「できるもんならやってみろ」
売り言葉に買い言葉、名前はグッと尾形を押してみたが、悲しいことにぴくりとも動かない。
「いい加減、返してくださいよ!」
「ハッ、まだ返せねえな」
「まだって何!?」
悔しそうにぐいぐいと押してくる名前を見て、尾形は髪をかき上げうすら笑った。