両者の思惑が一致した杉元一派と土方一派は手を組むことになった。茨戸の抗争の後から土方と手を組んだ尾形と名前を含めると、なかなかの大所帯になったものだ。
だが、月島の死体を確認するまでは夕張から動けないと土方は言う。死体がなければ月島は鶴見に贋物の刺青人皮を鶴見に届けたということになるのだ。その時は贋物を判別できる可能性がある人物、熊岸長庵という贋札犯に会いに樺戸監獄に向かうこととなった。
まずは月島の死体と贋物を見分ける手掛かりを探すために、二手に分かれてそれぞれ炭坑と江渡貝宅を捜索する。名前は尾形、土方、家永と共に江渡貝宅に居た。それは尾形の指示でもあったが、沢山の炭坑夫の死体と数体の人間剥製を比べたら後者の方が圧倒的にマシだと名前も思ったからだ。名前は大人しく尾形の指示に従った。
「名前、皮について何か知らねえのか」
「皮……革製品は扱いづらさや手入れが手間なのが自分には合わないと思って手を出したことがなくて。『かわ』のことはサッパリですね」
一生物の良い物だとはわかっていても買うことはなかった革製品。手にしたことがない革、しかも今回は人の皮だ。名前には無縁過ぎて手掛かりになりそうなことは何ひとつ知らなかった。
名前が薬品が並ぶ棚を物色している時、ガシャンと窓ガラスが割れた音が聞こえた。尾形が音がした部屋を見に行くと、火炎瓶が投げ込まれたのか六体の人間剥製がごうごうと燃えていた。
「家永ッ、外に出るな! 撃たれるぞ!」
尾形は玄関に向かった家永に大声で指示を出しながら窓の陰から外をうかがう。その後家永は他に外に出られるところがないか探しに行ったが、名前は全く動くことができなかった。この家の出入り口は玄関しかない、窓には鉄格子がある。名前はそのことを知っている。家が燃えているのに外に出ることができないことに恐怖心を抱いた名前の足は震えていた。
「いま外にチラッと軍服が見えた。数名に囲まれているようだ」
「贋物製造に繋がる証拠を隠滅しにきたか」
尾形と土方がボルトを操作し給弾を行い臨戦態勢をとる。外には軍服の……おそらく第七師団の兵士が数人いるようだ。どうやら月島は生きて炭坑を脱出していたらしい。江渡貝宅から脱出するには、彼らと戦うしかないだろう。
「窓は鉄格子がある。外の連中にとっても突入するならば玄関以外は無い」
出入り口がひとつしかないことは、欠点でもあるが利点でもあるようだ。ならば、戦闘において無能な名前は玄関から離れるべきなのかもしれない。まず戦闘の邪魔にだけはならないようにしないと。そう名前は考える。
「外の連中を玄関まで追い込む。名前、ついて来い」
尾形に声をかけられハッとする。階段を駆け上がる尾形を名前は足がもつれそうになりながら追った。
「お前は使い物にならん。お荷物は荷物らしく物陰で大人しくしていろ」
尾形はそう言うと、玄関側の窓ガラスを割り小銃を撃った。そのまま撃ち続け、外にいる兵士を追い込む。すると一階から発砲音。外から「ひさしから出るな!」と叫び声が聞こえる。どうやら誘導作戦は上手くいっているようだ。名前はその様子を、尾形に言われた通り物陰から大人しく見ていた。
一階からの発砲音が止んだ後、家の中がドタドタと一気に騒がしくなった。土方が弾を装填している間に兵士に突入されたのかもしれない。階段を駆け上がる音が聞こえてくる。
「名前」
尾形は小銃を置き、銃剣を抜きながら名前を見る。尾形が言わなくても、誰かが二階に上がってきていることはわかった。尾形がドアの横の死角に銃剣を構えて立つ。おそらく、尾形は不意打ちするつもりなのだ。名前はこくりと頷くと、邪魔になりませんように、見つかりませんように、と念じながらさらに身を縮ませて物陰に身を潜めた。
シンと静まり返った部屋にコツコツコツ……と足音が響く。そして、微かな衝突音の後にバタンッと誰かが吹っ飛ぶような音。「おのれッ!」と聞き覚えのない声がして、一撃では敵兵士を倒せなかったのだと悟る。尾形の無事が気になり物陰から微かに顔を出すと、敵兵士が馬乗りになり銃床を尾形めがけて振り下ろす様子が名前の目に飛び込んだ。直後にゴッ! と打撲音が聞こえ、反射的に顔を逸らし目を瞑った。ドカッ! ガッ!! 何度も繰り返される重い音に、名前は震える手で額を押さえてうずくまる。……音が、殴る音が、こわくてしかたがない。
「死ねッ!! コウモリ野郎がッ!!」
部屋に響く罵声に、打撲音に、名前の記憶が鮮烈にフラッシュバックした。
――死ねッ! この出来損ないが!!
――お前なんかッ、生まれてこなければよかった!!
どうしよう、殴られている。私が。違う、尾形さんが。
思考が現実と過去を飛び交い、視界がオーバーラップする。父が、無抵抗な名前を殴っている。何度も、何度も。
違う、私じゃない。あそこにいるのは私じゃない。尾形さん。どうしよう。あの時、誰も助けてくれなかった。助けてほしかった。今は? 助けたい。私を、私が。違う、尾形さんを。助けなきゃ。私が、どうやって? どうしよう、どうしようどうしよう。殴られてる。やらないと、誰が、誰か助けて、私が。――私がやらないと。
気付けば名前はナイフを振り上げて飛びかかっていた。
尾形の目に映るのは、真っ黒な瞳をした名前。尾形は微かに目を見開く。
だが、平成の一般女性である名前が明治陸軍の兵士に不意打ちできるはずもなく、名前の気配に気付いた敵兵士はすぐさま振り向き小銃で名前の脇腹をぶん殴った。呆気なく名前は吹っ飛ばされ、床に転がりうめき声をあげる。
女はもう動けない、そう判断した敵兵士が尾形に向き直ったその時、炭坑を捜索していたはずの杉元が部屋に飛び込み、敵兵士の後頭部を銃床で勢いよく殴り飛ばした。あまりの衝撃に、敵兵士は意識を失い倒れる。
「名前さん! 大丈夫!?」
「……う、なんとか。ありがとうございます」
杉元は名前に駆け寄り声をかけた。名前は痛くもない額を押さえながら起き上がる。ああ、情けない。全然上手くいかなくて、みっともなくて、顔をあげられない。
「なんだよ、お礼を言って欲しいのか?」
「お前が好きで助けたわけじゃねえよ、コウモリ野郎」
杉元が一階に向かう背を見ながら、尾形はペッと血を吐き捨てた。
「おい、なんで助けた。荷物は荷物らしくしていろと言っただろう」
「……ごめんなさい」
名前は立ち上がることができず、ぺたりと座り込んだまま床を見つめていた。尾形と、過去の自分を助けたかったからなんて、言ったところでわかってもらえるわけがない。名前の口から溢れ出たのは謝罪だけだった。
コツリ、尾形の革靴が視界に入り、しゃがみ込んだ尾形の右手には名前が落としたナイフが握られている。……ダメだ、顔が見れない。
「……だが、あの目は嫌いじゃねえ」
「…………え?」
目。名前にはなんのことだかわからなかった。尾形に右手首を掴まれ、腕を引き上げられる。名前は引かれた腕につられて顔を上げ、目を見開いた。
「この細腕じゃ、人を殺したくても殺せるわけがないよな」
ぞくり、名前の背筋が凍る。尾形は血で汚れた顔でニタリと笑っていた。
掴まれた右手にナイフを持たされる。尾形は名前の左手を取ると、名前にナイフを握り込ませるよう、自身の両の手で包み込んだ。
「……わ、私は、そんなつもりはッ」
「ははッ! 刃物を人に向けた奴が何言ってんだよ」
尾形の言葉にドキリとした。動揺して尾形から視線を逸らし、握り込まされたナイフをただただ黙って見つめることしかできなかった。クツクツと笑う声が聞こえてくる。
助けたかっただけ、それが結果的に人にナイフを向けることになっただけ。だか、そこに本当に殺意はなかったのか? 殺してやろうと、欠片も思ってなかったと言い切れるのか? 考えれば考えるほど、名前は自分の気持ちがわからなくなっていった。
名前の手を撫でるように、尾形の手がするりと離される。尾形は無言で立ち上がると小銃を手に取り、何事もなかったように狙撃を再開した。
「なんで、そんなに嬉しそうなんですか……」
尾形が笑った理由がわからない。何もわからない。震える自身の手に握られたナイフを見つめて小さく呟かれた疑問は、尾形の小銃の発砲音にかき消された。
どのくらい時間が経っただろう。尾形は狙撃をやめ名前にずんずん近づき、急かすように名前の手を掴み立ち上がらせた。
「行くぞ」
「ま、まって」
待ってと言ったところで待ってくれるはずもなく、尾形は階段を駆け降りて行く。名前は倒れた敵兵士を一瞥し、尾形の後を追った。
「逃げるなら今しか無い! 急げ!!」
「行くぞジイさん」
尾形の言葉を聞き、杉元が土方に声をかける。尾形が用心深く後方を確認する間に、杉元と土方は先に脱出したようだ。杉元が居たということは、他に何人か増援がいたはずだ。他の皆は、家永は脱出できただろうか。名前が振り向き辺りをきょろきょろと見渡していると、尾形に早くしろと言わんばかりに肩を叩かれた。
「ぐずぐずするな、早くしろ」
小銃を構え周囲を警戒しながら玄関に向かう尾形を追う。そうして名前と尾形も一足遅れて江渡貝邸を脱出した。
「永倉たちを探して合流する。お前たちは月形に向かえ」
「何の話だ?」
息も絶え絶えで土方と杉元に追いつくと、知らぬ間に話が進んでいたようで土方が「月形に向かえ」と杉元に言っているところだった。何か訳あって、ここからは別行動ということなのだろう。
「名前、こっちに来なさい。馬に乗せてやろう」
話の流れがいまいち掴めないまま、土方に手を差し出されて名前は目を丸くした。どうすればいいのだろう。戸惑う名前に、土方が「婦女子と牛山を一緒に行動させるわけにはいかない」と言う。名前は肩をびくつかせた。それはそう、かもしれない。納得させられて土方の手を取ろうとした時、胸元まで上げた手首を尾形に掴まれた。
「お前はこっちだ」
グイッと手を引かれ、土方から離される。名前は困惑した表情で土方と尾形を交互に見た。どちらと行動すべきか、名前には判断できない。
「わりぃなジイさん、コイツをそっちにやるわけにはいかない」
「牛山に食われるやもしれんぞ」
「させねえよ」
尾形は腕を離してくれない。
「名前も、俺と一緒がいいだろう?」
感情が読めない真っ黒な瞳が名前を射抜く。
名前は考える、私は尾形と一緒にいたいのだろうか。……それは、わからない。では逆に、尾形と離れてもいいのだろうか。そう考えたら、少し嫌だと思った。名前は誰がどう思っていようが、尾形が一番安全で一番信頼できると思っている。それなりに長い時間を尾形の側に居続けた名前は、尾形から離れるのは少しこわいと感じたのだ。
名前が無言でコクリと頷いたのを見て、尾形は満足げに笑って髪をかき上げた。