「コタンの女達がお礼をしたいと言っている」
村の女達が勢揃いし、こちらに向かって微笑んでいる。アシㇼパが言うには、この時期に採れるオオウバユリで杉元達をもてなしたいそうだ。その言葉に杉元は嬉しそうに笑顔を浮かべ、まずはみんなでオオウバユリの収穫を手伝うことになった。
名前の体調もだいぶ落ち着き、今度はしっかり手伝うことができるだろう。先ほど何もできなかった分、積極的に働こうと名前は意気込んだ。
アイヌにとってウバユリは『食料の背骨』と言うくらい大事な食べ物だとアシㇼパは語る。ウバユリといえば、ヤマシギを食べた時に聞いた恋のお話に出てきた植物だ。杉元曰く『カワイイお話』に出てきた植物がアイヌにとって大事な食べ物だったとは。もしかしたら、大事だからこそ大多数が好む恋物語として語られているのかもしれない。
やがて立派なオオウバユリを見つけ、名前はちょっと捻くれたことを思いついた。
「ふふふ、これが千切れたら今後宇佐美さんに遭うことはないかも」
「……なんで宇佐美なんだよ」
「私の恋人ヅラしてたから、恋占いに適任かなって」
「ハハァ、恋人ヅラね。言うじゃねえか」
引き抜けたら逢えるのなら、千切れれば逢えない。それを逆手に取った恋とは真逆の占いだ。さて、どう引いてみよう、葉の先を掴んだらズルになるかな? などと考えながら、少し楽し気にウバユリを観察する。
「元いた時代に好いてた奴はいなかったのか」
「……はい?」
愛だの恋だの興味がなさそうな尾形から突然恋バナのような話題を振られ、名前は怪訝な顔を尾形に向けた。なんて言った? 好いてたヤツ?
「え、いるわけないじゃないですか。……あ、好きな人がいれば元いた時代に帰れるか占えたかもしれないですね。でも残念ながらそんな人、ひとりもいませんでした、よッと!」
はいはいこの話はもうおしまいです、と言いたげにオオウバユリを鷲掴んで雑に引っ張ると、あろうことかスポッと綺麗に抜けてしまった。
「げっ!」
「ハハッ! こりゃ近いうちに宇佐美に会うかもな」
「えっ、それは困る!」
そんなに宇佐美が嫌いなのか。イヤそうな顔をして慌てる名前を見て、尾形は笑いが止まらなかった。
川のそばでゆり根をつき潰した後、村に戻り調理が始まった。どうやらゆり根を潰して濾してできた澱粉で団子を作るようだ。
ちなみに名前もゆり根をつき潰すのを手伝ったのだが、尾形の「それさっき囚人の頭を殴ってたやつだろ」という言葉を聞いて杵を落としそうになった。正直、知りたくなかった。
濾した澱粉はさらに一番細かい一番粉と二番目に細かい二番粉に分けられる。今日は大事なお客様だからと貴重な一番粉を振る舞ってくれるらしい。モノアがにこやかに笑って一番粉を調理していく。
植物の茎の中に澱粉汁を流し込み表面が焦げるまで火に当てると、クトゥマという筒焼きの団子ができあがった。つるりと茎から出てくる団子を見て、牛山は「くずきりみたいだな」と言った。
できたてのクトゥマを少しかじってみると、餅のような弾力と素朴な甘味を感じた。うん、美味しい。美味しいのだが……どうも食欲がわかない。
それもそのはず、考えたくもないがついさっき偽アイヌと、その、オブラートに包むと一悶着あって、その直後に尾形に吐かされたりもしている。ゆり根をつき潰していた時の尾形の言葉も良くなかったと思う。胃の中は空だしお腹が空いていてもおかしくないのだがどうしても手が止まってしまう。たが、頂いたからには残すわけにはいかない。名前は無理やり口に押し込み、どうにか飲み込み食べきった。
名前がクトゥマに苦戦している間に、二番粉を使った団子が完成したようだ。ご厚意で振る舞われた食事を断るわけにもいかず、その団子もひとつだけ受け取り口にした。杉元の言う通り、筋子を潰したタレをかけたその団子はあまじょっぱくてとても美味しかった。しかし、先ほどの団子と同様に一口食べて手が止まってしまう。……どうしよう、せっかくのご厚意を無下にするわけにはいかない。
杉元とアシㇼパがオソマがどうこう騒いでる片隅で、名前は食べかけの団子を見つめて悩んでいた。一個目はどうにか食べきることができたが、正直二個目はきつい。
すると突然、横にいた尾形に団子を持つ手を掴まれた。驚いて尾形のほうに視線を向けると、尾形が口いっぱいに団子を頬張り黙々と咀嚼していた。しばし間。……え、どうしよう。困った顔で尾形のことを見つめていると、尾形は名前の手を引き食べかけの団子に顔を近づけそのままバクリと口にした。食べかけの団子を、なんの躊躇いもなく。名前は驚いて団子を落としかけたが、尾形が咥えていたため間一髪で落とさずに済んだ。
尾形が一口かじるとタレが糸を引く。なぜだか目が離せない。筋子が落ちそうになり、名前は慌てて左手を出して受け止めた。なぜだろう、なんだかドキドキする。それは筋子が落ちかけてヒヤリとしたからか、はたまた尾形の突拍子のない行動のせいだろうか。尾形は何食わぬ顔で咀嚼している。自分だけ変に意識しているような気がしてしかたがない。
しばらくすると尾形は、再び掴んだ手を引いて残りの団子を丸ごと口に押し込んだ。尾形の唇が名前の指を掠め、その瞬間ドッと顔が熱くなるのを感じた。心臓がバクバクとせわしなく動いている。なんなんだ、本当になんなんだ!!
尾形は名前を一瞥すると、名前の左手のひらに落ちた筋子に視線を落とした。まって。なに。まさか。
次の瞬間、今度は名前の左手をガシリと掴み、あろうことかこぼれ落ちた筋子を名前の手ごと口に運んだ。
尾形のとんでもない行動を前に、言葉が出ない。お行儀が悪いですよ、汚いですよ、いや言いたいことは多分そうじゃない。顔が熱い、熱すぎる。尾形は名前の手のひらを口に当てたまま、名前をジッと見つめている。その視線から逃げ出したい気持ちになった時、手のひらに舌が這うのを感じて名前の肩がビクリと跳ねた。もう、もう……勘弁してほしい……。
真っ赤な顔で動揺を隠しきれない名前を見て、尾形はフッと目を細めた。
手を離されて名前は解放されたが、唇を掠めた右手を、舐められた左手をどうすればいいのかわからず、両手も視線も宙を彷徨い続けている。
みんなは楽しげに団子に味噌をつけて食べていた。名前のみっともない姿に誰ひとり気付いていないようだ。
チラリと尾形を見ると、タレが口についたのか唇をペロリと舐めていた。その舌先の赤に心臓が跳ねる。尾形の一挙一動に過剰に反応してしまっている。心臓はいまだせわしなく動いている。
また尾形から目が離せなくなっていたらしい。視線に気付いた尾形とバチリと目が合い、慌てて視線を逸らしてしまった。どうしよう、わざとらしかっただろうか……。その行動を誤魔化すようにポケットを漁り白いハンカチを差し出すと、尾形は無言でハンカチを受け取った。いつも通りの無言に今はなんだか耐えられなくて、名前は思い切って尾形に疑問を投げつけた。
「……あ、あまじょっぱいものがお好きなんですか?」
「いや、べつに」
「……おかわり、頂いてきましょうか?」
「いらん」
「……そう、ですか」
味が好みなわけでも、お腹を空かしているわけでもない、らしい。名前は上手く回らない頭でどうにか、尾形は見かねて名前の団子を食べてくれたのだと結論付けた。そう、きっとそうだ。概ね間違えないはず。
尾形は名前の水筒を手に取り、我が物顔で中の水を飲んだ。いや、だからそれ私の水筒なんだけど……。と思いつつも、団子を食べてもらった以上なにも言えない。
名前はお礼も文句も言えぬまま、せわしない左胸を両手で押さえることしかできなかった。
◇
「さて、問題は村長に化けていた網走からの脱獄囚、詐欺師の鈴川聖弘をどうするかだ」
先ほどの賑やかな食事会とは打って変わり、偽アイヌの主犯の男であり刺青の囚人である鈴川を皆で取り囲み、彼の処遇を決めている。一番の被害者であるアイヌの女達はこれ以上関わりたくないとのことだ。
名前も正直もう関わりたくない。アイヌの服を身につけている鈴川を見ると、あの凄惨な場を思い出してしまう。名前は金塊も刺青も興味がない。自身は話に混ざる必要はないだろうと思い、尾形の隣で地面を見つめて黙って話を聞いていた。
面倒だから殺して皮を剥ごうと言う尾形。無抵抗の人間を殺すことに疑問を感じるアシㇼパ。そして杉元が何も言わずにいるのが恐ろしい。
話は平行線のまま進まないかと思いきや、だんまりだった鈴川が声を上げた。
「網走から脱獄した他の囚人の情報がある!」
「……ほお」
鈴川の言葉に杉元が反応する。詐欺師の時間稼ぎの嘘かもと尾形は言ったが、杉元は殺さずに連れて行くと決めたらしい。鈴川の処遇は土方たちと合流してから相談することになった。
意気投合し仲間になったわけではない囚人と共に行動することに不安を感じた名前は、無意識に尾形の外套をキュッと握った。
「ここの村は男がいなくなったから、ずっとコタンに居ろと言ってる。チンポ先生が大人気だ。熊に勝ったし、強い子供が出来ると言ってる」
チンポセンセイ、チンポセンセイと牛山を呼ぶアイヌの女達を見て名前はギョッとした。人気の理由はまあわかるが、その呼び名はどうにかならなかったのか。通訳がアシㇼパだったのがよくなかったのだろう。はたして彼女達は意味をわかって言っているのだろうか……。
動揺を隠しきれず、尾形の外套を強く握ってしまったらしい。それに気付いた尾形が名前に視線を向ける。
「そんなことしなくても、俺は残る気はない」
「……ん? えっと、はい」
尾形が笑っている。ん? んんん? なんか誤解された気がするのだが、名前はとりあえず外套をパッと離し「はい」と答えた。
「悪いが用事があるんでね」
尾形がアイヌの女達にそう言うと、行くぞと言わんばかりに名前の背を押した。
こうして一同は彼女達に背を向けて歩き出した。……のだが、牛山が動こうとしない。そうだ、牛山は無類の女好きだった。据え膳食わぬは男の恥と言うが、ここに牛山を置いて行くわけにもいかない。牛山は杉元と鈴川に腕を掴まれ、ズルズルと引きずられる。鈴川、早速役に立ったな。と、名前は密かに思った。
「子種だけ置いていけないだろうか」
「弱みに付け込むのは良くないぞ、牛山」
未練たらたらで引きずられる牛山に、杉元は「責任取れるのか?」と諭す。するとアシㇼパがすかさず「弱くなんかない」と言った。
「アイヌの女だってしたたかなんだ。このコタンは必ず生き返る」
アシㇼパの言葉を聞き名前が振り返ると、アイヌの女達が凛とした表情で微笑みを湛えていた。その表情からはアシㇼパが言う通り、弱さなんて一欠片も感じられなかった。強い女性だ、名前とは比べ物にならないくらい。きっと彼女達は大丈夫だろう。名前にもそう思えた。
「さあ、先を急ごう。白石もきっと杉元に逢いたくて寂しがっている」
土方と合流すべく、杉元一同はアイヌの女達に別れを告げ、旅を再開した。