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「もうすぐ樺戸監獄が見えてくる。監獄から一番近い宿で落ち合う約束だ」

 杉元一同は月形に到着し、牛山を先頭に監獄近くの宿に向かっている。名前はあいかわらず尾形のすぐ隣を歩いていた。

「網走の脱獄囚にもこんなザコがいたんだな」
「俺は詐欺師だ、頭を使う。暴力で人から何かを奪うような野蛮な脱獄囚と一緒にしないでもらいたいね」

 尾形の発言に、鈴川はすぐさま反論した。詐欺師だろうと暴力犯だろうと囚人は囚人だろう、と名前は思ったが、詐欺師なりの誇りのようなものがあったのだろう。
 続いて杉元にも煽られ、鈴川の言葉は止まらない。「変装は基本」「権威を利用するのも大切」「人は肩書のある者の言うことを盲目的に信じがち」と鈴川は語る。

「……現にあんたはおれがアイヌの村長であることですっかり騙されたじゃないか。『思い込み』によって、多少怪しいことがあっても都合よく解釈しただろ?」

 鈴川がそう言うと、あの場で偽アイヌを盲信していた杉元は黙ってしまった。実際に杉元が鈴川の思惑通りに騙されてしまったのだから、鈴川の持論に納得せざるを得ない。「頭を使う」と言った鈴川は、本当によく使える頭の持ち主なのだろう。『ずる賢い』というのが正しいのかもしれないが。

 ふと尾形と肩がぶつかり視線を向けるとバチリと目が合った。……尾形はあの場で偽アイヌを疑い続けていたなあ。

「尾形さんは騙されなかったから、一枚上手ですね」
「……フン」

 名前がにこりと笑ってそう言うと、尾形は満足げに髪を撫でつけた。

 ◇

 ……そんなやりとりをしていたからだろうか。監獄近くの宿で永倉と合流すると、鈴川は永倉のすぐ横に並び顔付きを変えた。

「どっちがどっちだか……」

 杉元が声を震わせて呟く。鈴川の顔付きが永倉と瓜二つになったのだ。すごい、本当によく似ている。先ほど鈴川が語ったように、彼の詐欺師の技術は本物のようだ。詐欺師に感心などしたくはないが、あまりのすごさに敵ながら天晴れと思ってしまった。

 皆が驚く中、永倉は気にせず「悪い知らせがふたつある」と語り出した。ひとつ目は熊岸長庵は死んだということ。だが、熊岸はヤクザが乗っ取ったアイヌの村で杉元とアシㇼパの目の前で亡くなっている。どうやら樺戸監獄では、熊岸は外役中に脱獄を企て射殺されたことになっていたらしい。どちらにしろ熊岸は本当に死んでしまったため、贋物を判別するのはほぼ不可能となったということだ。

「それで……もうひとつの悪い知らせとは?」

 アシㇼパが問う。……もうひとつの悪い知らせは、白石由竹が第七師団に捕まったという内容だった。

 ◇

 白石を奪還するために行動を別にしていた土方とキロランケと合流したが、そこに白石の姿はなかった。どうやら奪還は失敗に終わったらしい。

 旭川に着いてしまっているであろう白石が自力で脱出できたとしても、それを待つわけにもいかない。そもそも脱出できるかもわからない。もしかしたらこの瞬間、皮を剥がされているかもしれない。各々意見を出すが、どれも消極的なものばかりだ。

 元第七師団のキロランケは奪還作戦中に顔を見られ、現第七師団の尾形も今は脱走兵扱い。第七師団と関わりがあった人が様子を見に行ったり潜入して連れ返すのも難しいだろう。
 同じく第七師団と関わりがあった名前にも白羽の矢が立った。とはいえ名前も尾形と同じく脱走者扱い……または尾形に連れ去られた重要人物だ。そして名前自身は第七師団から逃げて自由になることを旅の目的としているため、第七師団には極力関わりたくはない。本拠地に潜入などもってのほかだ。
 ただそんな名前個人のわがままが金塊を前に通じるとは思えずしどろもどろになっていると、尾形に「コイツにできるわけないだろ」と言い捨てられて首根っこを掴まれてしまった。親猫に首を噛まれた子猫のようだ。

 ……そして、しばし間。きっと各々が白石のことを思い浮かべているのだろう。そんな気がする。
 白石、白石由竹かあ。名前にとっては夕張で少し話した程度の関係だ。お調子者で女好きのすけこまし、脱獄王だと言っていたが現に捕まってしまっている彼の実力はいかがなものか。というか「脱獄王である白石由竹がいれば一安心だぜ!」と調子のいいことを言ってたくせに、私より先に捕まるなんてどういうことなんだ。
 皆の考えは多少違えど同じようなものだったのかもしれない。まあ……いいか……、というような空気が場に流れる。牛山もそう思ったのか「あいつの入れ墨は写してあるし」とぼやく。だが、その言葉に反論する者がひとりだけいた。

「いや……俺は助けたい」

 杉元だ。その一言に皆の視線が杉元に集まる。「この詐欺師を使おう」と言いながら、杉元は隣にいた鈴川の頭を掴んだ。

 素敵な役目をもらえてよかったネ、鈴川!!
 
 ◇

 ところ変わって森の中。鈴川は山道を必死に駆けていた。走り疲れた鈴川が水を求めて川に駆け寄りフキの葉を使い水を掬い上げた瞬間、フキの葉が弾けて水がこぼれ落ちた。葉に銃弾が命中したのだ。ひゃああと鈴川の情けない悲鳴が上がる。名前はその様子を双眼鏡を覗いて見ていた。

「お見事」
「当たり前だろ。ククッ、逃げろ逃げろ」

 鈴川に怪我をさせることなくフキの葉だけに命中させた尾形は、名前の隣でクツクツと笑っていた。

 その後も尾形の銃弾とアシㇼパの矢によって誘導されながら鈴川は逃げていく。笹の葉で覆われた家屋に鈴川が駆け込むとキロランケがキセルの灰を足に落とし、杉元が尻に銃剣を刺し、たまらず家屋から飛び出た瞬間土方が足をかけ、転んだところに牛山が飛び乗り、鈴川の逃亡劇は幕を下ろした。サルカニ合戦のようなおちゃらけた作戦は大成功。鈴川も気付いたようで、「サルカニ合戦か!!」と牛山の下敷きになりながら叫んでいた。

「鈴川聖弘よ、この三十年式歩兵銃の表尺を見ろ。二千メートルまで目盛りがあるな? 二千メートル先まで弾丸が届くってことだ。二千メートル以上、俺から逃げきれるか試してみるか?」

 尾形が小銃の表尺を見せつけながら言うと、鈴川の顔色がみるみる悪くなっていった。
 よく考えれば、二千メートル先まで弾が飛ぶというだけで命中するかは別問題だ。だが、尾形からは『俺なら撃てる』という自信や圧が感じられ、尾形なら本当にやれるんじゃないか……? と名前にも思えてしまった。

 二千メートルも弾が飛ぶという小銃に少し興味が湧き、鈴川と尾形の間にしゃがんで覗き込む。それに気付いた尾形が、名前の目の前に表尺を向けた。
 表尺とは? と疑問に思っていたが、真ん中に覗き穴らしき穴が空いている四角い金属の板だった。左右に数字が表記されていて、上部真ん中に『20』とある。これがおそらく二千メートルの目盛りなのだろう。へえ、と声が漏れる。

「こんな小さな板で狙いを定められる、ってことですよね」
「お前も俺から逃げる気か?」
「え゛、逃げませんよ!? そんな気ないですし、仮に逃げたとしても私には三百メートル離れるのも無理だと思います!」
「ハッ、だろうな」
「はあ……純粋にこの板で狙い撃ちできるってすごいな〜って話だったんですけど……」
「そうかそうか」

 以前、尾形は「俺は三百メートル以内なら確実に相手の頭を打ち抜ける」と語った。きっと名前は尾形の射程範囲内から出ることすらできないだろう。まず逃げるだなんてそんな気はさらさらないのだけれども。感心したつもりが変に誤解されてしまい、名前はニタニタ笑う尾形をジト目で見つめた。

 ◇

 旭川の道中では目立つだろうということで、一同は近くのコタンで潜伏して作戦を考えることになった。のだが、声を荒げる者もいればはおっかない顔で凄んでいる者もいるものだから、家主がなんともいえない顔をして彼らを見ている。名前はなんだか申し訳なくて家主にぺこぺこと頭を下げたが、アイヌの作法的にこれで正解だったかはわからない。

 乗り気ではない鈴川に「熊岸長庵を脱獄させたように白石を助け出せ」「方法は考えろ」と土方と永倉は言う。そんなこと言われたって協力する気が全く見られない鈴川だったが、杉元に「協力しないなら俺が皮を剥ぐ、失敗すれば第七師団に皮を剥がれる」などと脅され、鈴川はおとなしく引き下がった。

 まずは白石がどこに捕えられているのか中に潜入して探らなければならない。鈴川が関係者に成りすます案が出たが、前回の奪還作戦で警戒してるであろう第七師団から居場所を聞き出すためにはよほどの関係者でないといけない。だが、軍は上に行くほど横のつながりが強く架空の上級将校はバレると尾形は語る。となると人選がとても難しい。
 ここで話し合いは行き詰まる。場はシン……と静まり、外からアイヌ犬が吠える声が聞こえてきた。沈黙し続けていた鈴川が口を開く。

「……イヌ。犬童四郎助はどうだろうか」

 犬童、誰? と名前は首を捻ったが、どうやら網走監獄の典獄……監獄の長らしい。名前と同じく犬童を知らない杉元が「似てるのか?」と問うと、網走監獄の脱獄囚達は「似てない」と口を揃えた。

「誰か実在の人物に成りすますってのは、その人物と似ていない部分を減らすってことだ」

 詐欺師魂に火がついたのか、鈴川が自信あり気に語る。似ていないところを減らすために、まず髪を切り眉毛も薄くする。記憶を頼りに髪の毛を前に流すと、牛山が「なんとなく似てきたかも」と呟いた。犬童を知らない名前にはよくわからなかったが、だんだんと別人になってきている気がしなくもない。

「犬童……。厳格で潔癖、規律の鬼といわれながらも個人的な恨みで私を幽閉する矛盾を持ち合わせている、心の歪みが顔に現れている」

 土方が犬童について語る。厳格、潔癖、心の歪み……今の鈴川はその人物像からかけ離れていると名前は感じた。

「ふむふむ。ならば、これでどうかな」
「……!!」

 鈴川が口髭を整えながら顔を上げると、一瞬で纏う空気感が変わった。犬童四郎助を知る人達が息を呑む。誰も何も言わないが、それはきっと鈴川がそれほど犬童に似ているということなのだろう。これが網走監獄に収容されていた詐欺師の実力なのか、とあまりの凄技に名前も驚いた。……そして同時に恐怖を感じて、尾形の外套の裾をギュッと握ってしまった。

「……なんだ」
「あ、すみません、ごめんなさい……。あ、ああいう人は、ちょっと苦手で……」

 厳格で潔癖、そして纏う雰囲気が、顔は似ていないのに父親を思い起こす。名前は左耳のピアスをいじりながら俯いた。
- hakushi -