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 気が付いたら暗くて狭いところにいた。

 暖かくて柔らかくて、ちょっと生臭い。いや、微かに煙たい? ……どこだここは。直前の記憶が曖昧だ。たしか、白石を奪還して、気球で逃げて、雪山の天気が崩れて……それから? 肝心なところが思い出せない。
 うーん、と唸りながら目の前にある温かいものに触れてみる。布団? いや、布? 柔らかいけど硬い? 考えるように手をするりと動かすと、突然触れてたものがもぞもぞと動き出した。驚いて肩が跳ねる。

「ようやくお目覚めか?」
「え、尾形さん!? なんでッ?」
「ハァ……、俺がお前を鹿の中に入れてやったんだろうが……」

 尾形の吐息を頭上すぐ近くに感じる。尾形が目の前にいる。目の前の温かい壁は尾形の胸板だったらしい。狭くて身動きが取れないものだと思っていたが、尾形に背に手を回されてがっちり抱き止められていたようだ。温かい、が、尾形が近い。近すぎる。だが、離れられるほど広くない。尾形が言うにはここは鹿の中らしい。どうりで血生臭いわけで……。いや、どうして、何がどうしてこうなったんだ……!?
 名前がひとり悶々と混乱していると、突然尾形から問いを投げかけられた。

「白石が笑いながら服を脱いだのは覚えているか? パウチカムイとやらが取り憑いたようだが、これがなんなのかわかるか?」
「…………あ、おそらく低体温症による矛盾脱衣ですね。体温が下がりすぎると生命維持のために体内から体を温めようとする働きが強まるんですけど、この異常な代謝で体感温度との差が生じて脳が暑いと勘違いしてしまうらしいんです。これは脱ぐ体力が残っている低体温症の初期から中段階くらいに起こります。パウチカムイは白石さんが言ったようにアイヌの想像力が豊かというわけではなく、実際に起こることへの注意喚起だったようですねえ」
「ははァ、なるほどな。お前もしっかり正気に戻ったようだ」
「な、そういう確認ですか……」

 己の知る知識から矛盾脱衣について、そしてパウチカムイについての見解を語ったが、どうやらこれは名前の意識レベルの確認だったらしい。なんだか同じような話をしたような気もするが、その時ちゃんと話せたかが曖昧だ。
 記憶が曖昧で、正気かどうかを確認され、これは……もしかして。名前の頭に少しイヤな想像がよぎる。

「あの、正気に戻ったというのは……私も低体温症で錯乱してた、ということですか?」
「……まあ、そうだな」
「な、なるほど……それで直前の記憶が曖昧なんですね……覚えてないんですけど、色々ありがとうございます……」

 大失態だ。きっと記憶にない間に様々な迷惑をかけたに違いない。こんなにも尾形と密着しているのも、錯乱した名前を押さえつけるためとか温めるためで、致し方なかったのだろう。いや、でも、それにしても、それにしてもじゃないか?

「あの、なんで向かい合ってるんですか……。他にこう……背中合わせとか背中からとか……あるじゃないですか」
「あたたかいと言って擦り寄ってきたのはお前の方だろ」
「…………うあ……すみません」

 どうしようもなくて、名前は両手で顔を覆った。つい俯いてしまい、結果的に尾形の胸に顔を埋めるようになってしまった。しかたない、狭いから。物理的に距離を取るのは不可能だ。
 せめて今からでも背中を向けようと身体をひねると、尾形にぎゅっと押さえつけられてしまった。

「おい、動くんじゃねえ」
「お、尾形さん? 体勢、変えません……?」
「今動いたら脚に掛けた鹿の皮がズレる。めんどくせえからじっとしてろ」
「…………はい」

 い、いたたまれない。腕時計のボタンを押し画面を光らせると、良い子が寝る時間が表示されていた。まだまだ夜は長い。きっと朝になるまでここから出れない。それまでこのままなのかと思うと本当に本当にいたたまれない。ならばさっさと寝てしまえばいいものの、変に目が冴えてしまって寝れそうもない。本当にどうしようもない。
 なんてこともないように名前を抱きしめる尾形がなんだかうらめしい。きっと人のことを抱き枕か湯たんぽとしか見ていないんだ。

 そのまま会話が途切れ、しばらくしてふと名前の頭に不安がよぎった。低体温症で錯乱した時、何かとんでもないことしでかしたのではないだろうか、と。幸い服は着ているようだが、何か、言ってはいけないことを言ってしまったのではないだろうか。考えれば考えるほど嫌な想像が頭をめぐる。こういう時に嫌なことばかり考えてしまうのはなぜなのだろう。
 寝ようとしても寝れないし、不安は募る一方だし、そして尾形と無言で身を寄せ合うことにも耐えきれなくなった名前はおそるおそる口を開いた。

「錯乱して、なんか、口走ってなかったですか……?」
「……ああ、父親を殺したって言ってたぜ」

 尾形のとんでもない発言に名前はギョッとした。

「え!! そんな……え!? 絶対違います、やだ、殺してないです!! ほら、だって……犯罪ですよ!? リスクが……ううん、得がないッ。あ、あんなやつのせいで刑務所に入ってこれ以上人生無駄にしたくなかったですも、ん?」
「……くく、くくくッ」
「は、え!? さては嘘をつきましたね!! う〜〜わ、今この瞬間すごい口走った気がします!」

 してやられた。あらぬ誤解を解きたい一心でひたすら言葉を重ねたが、特大級の墓穴を掘った気がする。尾形がくつくつと笑っている。声を出さぬよう堪えているようだが、こんなにも密着していると体の震えが嫌でもわかる。名前は尾形の胸板にボスンと一発頭突きした。

「なら、父親を社会的に殺したってのはどういうことだ?」
「……ッ! そ、そんなこと、言いましたっけ」
「言ったな。盗聴器とやらで殺したんだろ」

 名前は押し黙った。自身がとんでもないことを口走ってしまったことに、いま気が付いてしまった。

「こ、殺した、と言っても正確には殺してなくて」
「『社会的に』ってどういうことだ」
「それは……生きているけど人間社会では死んだも同然というか……表立って外に出れないというか……」
「ははァ、日蔭者ってことか」
「…………」
「それで? お前はどうやって父親を殺したんだ?」

 だから、殺してないと言っているのに。どうしてそんなことを聞いてくるのだろう。一度の失言から、聞かれたくないことをひとつひとつ問い詰められていく。少しずつ、化けの皮をペリペリと剥がされているような気分だ。
 鹿の中に逃げ場はない。黙っていても尾形は納得しないだろう。

「尾形さんは、私についてどこまで知っていますか」
「……約百年先の未来から来た、『残念ながらご存命』な親から『医者になれ』と言われて育ったお嬢様だろ。あと、ヘマして顎を外して額を切っているな」
「まあ、そうなんですけど……尾形さんは鶴見さんから何も聞いてなかったんですね」
「おい、鶴見中尉に何を話した」

 言え、という圧を感じる。もう、すべてを話してしまおうか。……でも。名前は思い悩む。でも、尾形なら。尾形なら、受け入れてくれるだろうか。名前は、意を決して重い口を開いた。

「名字家は代々医者の家系で、威厳な父は名高い医者でした。母も、もちろん医者です。そんな名字家に生まれた私は、医者になるよう言い聞かされ厳しく育てられてきました。出来が良く将来有望なふたりの兄と比べられ蔑まれながら、ね。そして、医学部入学の受験に失敗して父に殴られてから家族とは疎遠に……というのが鶴見さんに話したことです」
「へえ、なるほどな」
「……けれど、鶴見さんに話してないことがあります」

 名前は尾形を見上げた。暗闇に慣れてきた目は、ぼんやりと尾形を捉えた。名前の瞳が不安で揺れる。それを知ってか知らずか、尾形は名前が話し出すのを黙って待っていた。

「私は、わざと医学部受験に失敗しました」

 名前がそう告げると、尾形が笑ったような気がした。
- hakushi -