ゴトン、と石の落ちる音と同時にピッ!! と甲高い鳴き声が響く。ナキウサギが罠にかかったようだ。アシㇼパが喜びの声を上げる。
当たり前だが名前の持っていた防災用の保存缶だけでは四人分の食事をまかなうことはできないため、下山しながら罠猟を続けていた。しかし、だんだんとナキウサギの鳴き声があまり聞こえなくなってきた気がする。
「そのネズミ、下山するにつれてだんだん獲れなくなってきたな。山の上にはいっぱいいたのに」
「高いところにしかいないのかもしれない」
「ナキウサギは高山帯に生息してるらしいですからね。まあ、無事に下山が進んでるってことで」
今のところ第七師団の追っ手や熊に出くわすこともなく下山できている。アシㇼパの罠猟の知識もあって、食事もまあ……なんとかなっているなという感じだ。
アシㇼパがぺったんこになったナキウサギの毛を焼いて取り除いていると、白石は「またネズミかぁ……」とぼやいた。……いやまあウサギなんですけど。
「我慢しろよ。銃声が追っ手に聴こえちまうかもしれないから、鹿や鳥がいても撃たない方がいい」
「せっかく腕も目も良い尾形さんがいるのに、銃猟ができないのは非常に残念ですねえ」
「名前さん? 俺も銃使えるからね?」
「あ、そうでした」
あらうっかり、といった様子で名前は杉元が背負う小銃を見た。でもどちらかというと杉元は接近戦が、尾形は遠距離戦が向いてる気がする。そこから自然と銃猟なら尾形を頼りたくなるのは許してほしい。
「あとで『くくり罠』を見回ってこよう。木ねずみが獲れてるかも」
「ねずみばっかり〜ッ!」
アシㇼパの『ねずみ』という言葉に、白石はご自慢の軟体を活かしてゴロリと転がった。うん、大自然と罠猟ならアシㇼパ、白石は脱獄王兼ムードメーカーかな。ならば名前は……と思ったところで考えるのをやめた。
「少ないけど尾形も食べろ」
アシㇼパは焼いたナキウサギの片足を尾形に差し出した。尾形は無言でそれを受け取り、少ない肉を齧り取りながら食べていく。
「尾形ぁ、『ヒンナ』は?」
「…………」
「ほっときなよ」
アシㇼパに言われても、尾形は無言でナキウサギを齧るだけ。『チタタㇷ゚』も言わなかった尾形だ、口にものが入っているから何も言わないわけでもないだろう。
ヤマシギを食べた後に聞いたのだが、『ヒンナ』はアイヌ語で食べ物に感謝する言葉らしい。和人でいう『いただきます』や『ごちそうさま』に近い言葉なのだろう。そのくらい言ってあげればいいのに、と思いつつ、言うか言わないかは尾形の自由なので名前は黙ってその様子を見ていた。杉元の言う通り、ほっとくのが一番だろう。
「尾形はいつになったらヒンナできるのかな? 好きな食べものならヒンナ出来るか?」
それでもアシㇼパは尾形をほっとくことなく、目をシパシパと瞬きながら問いかけた。
「尾形の好物はなんだ?」
名前も鹿の中で聞いた質問だ。結局その問いには答えてもらってなかった気がする。尾形はアシㇼパの問いも無視してただ黙々と食べるだけだった。
「名前の好物はなんだ?」
「えっ、わ、私ですか……?」
突然話題を振られてしまい、少しどもってしまった。好物、好きな食べ物、好きな食べ物……。簡単な質問なはずなのに、名前はウンウンと思い悩んで答えを絞り出した。
「……卵かけご飯?」
「なぁにそれ?」
「その、鶏の生卵を白米に割り入れて、醤油と混ぜて食べるんです」
「生卵と白米……? 名前さん、やっぱりお嬢様だったんだね」
「え、いや、そんなっ! 庶民の味ですよ!?」
杉元に見当違いなことを言われ、名前は慌てふためいた。そうか、白米は言わずもがな、卵もこの時代では高級品だったのか……!
現代では卵かけご飯は贅沢品ではない。庶民の手抜き料理だ。ひけらかすような、そんなつもりはなかったのだ。誤解だと伝えたくて、名前はぶんぶんと首を横に振った。
「その『卵かけご飯』とやらは、そんなに美味しいのか?」
「いえ、味は……普通」
「ええ……じゃあなんで好きなの?」
「手軽に良質な栄養をかき込めるから、ですかね」
「それって好物じゃなくない……?」
アシㇼパ、杉元、白石に順々に問い詰められていく。皆がわけがわからないという顔をしている。尾形は何も言わずにいつも通りの顔でこちらを見つめている。……どうしよう。『回答』を間違えた気がするが、もう後に引けない。うまいこと着地点を見つけたい。が、どうすればいいのだろう。
こうなるなら嘘でも「美味しい」と言えばよかった。それ以前に適当にそれっぽい好物をでっち上げればよかった。だが名前は嘘をつけない性格だ、悩みに悩んで馬鹿正直に答えてしまった。
「……す、好きって……よくわからなくて…………」
名前は親が敷いたレールの上で、親が言うままに生きてきた。親が選んだものを与えられるがまま育った名前の人生に選択肢は存在しなかったのだ。だから名前は『好き』がわからないし、そのせいで選ぶことがとても苦手だ。そのくせ『愛』は与えられることなく育ち、そんな名前は『好き』を理解しようとも思わなかった。
なんでもいいじゃないか。食べれればなんでもいい、使えればなんでもいい。でも、それならば良いものをと、食事は手軽に栄養を摂取できるものを食べたし、キャンプ道具は評判が良いものを手当たり次第買って揃えた。名前は効率のいいものを他人任せに選んできた。名字家から解放されてもなお、名前は自分の考えに自信が持てず、自身では何も決められないままなのだ。
「……じゃあさ、美味しかったな〜とか、また食べたいな〜とか思う食べ物はないの?」
「また、食べたい?」
少し顔色が悪くなってきた名前に、白石は優しく問いかける。美味しかったもの、また食べたいもの。皆は名前の答えをゆっくり待っていてくれている。名前が考えを巡らせていると、ひとつその条件にかするものがあった。
「……あ、鴨鍋。尾形さんが獲った鴨で作った鴨鍋」
谷垣狩りの後、三回で鴨を完璧に捌くと意地を張った時に食べた鴨鍋だ。一から自身で捌いて作った、手間も時間もかかる鍋料理。卵かけご飯とは正反対の一品だ。
「へえ、鴨鍋。いいじゃん。美味しかったの?」
「今まで食べた中で、一番、美味しかった……と思う」
「なら、それが名前の好物だな!」
名前は目をぱちぱちと瞬かせた。鴨鍋が、名前の好物。それはストンと腑に落ちた。ずっとわからなかった難問の答えがわかったような気がした。
「名前は鴨鍋がまた食べたいのか?」
「……うん」
「そうか! それなら鴨を撃てるようになったら尾形に獲ってもらおう。それでまた鴨鍋を作ればいい」
「お、こりゃ腕の見せ所だね、尾形ちゃん!」
「いやだから俺も銃使えるからね?」
尾形の名が上がりふと彼のほうを見ると、尾形は目を伏せ髪をかき上げた。何度も何度も髪をかき上げている。
「……まあ、獲ってやらないこともない」
「も〜、尾形ちゃん素直じゃないなァ〜〜」
名前はアシㇼパに「よかったなァ〜」とヨシヨシナデナデされながら、じっと尾形を見つめた。めんどくさいと思われただろうか、嫌だったのだろうか。名前はおずおずと声を出した。
「あの、尾形さん。嫌だったらいいですからね……?」
「……鴨を撃ったら、鴨鍋を作ってくれるんだろ」
「は、はい、鴨があれば、私が鴨鍋に」
「なら、何羽でも撃ち落としてやる」
尾形の真っ黒な瞳が名前を見つめている。少し圧を感じる、が、この時ばかりは喜びが優った。名前の『好物』をまた食べることができるのだ。名前の『好物』を作るために、名前のために尾形が鴨を獲ってきてくれるのだ。どちらも名前にとって初めての経験で、気分が高揚して自然と口角が上がっていく。
「……うん、楽しみにしてますね!」
名前は顔を綻ばせて至極嬉しそうにそう答えた。