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「痛あッ!!」

 北海道奥地、何かがいそうな道なき道を進んでいると、白石が突然叫んだ。何事かと皆そろって声の聞こえた方に視線を向ける。
 名前は白石が怪我をしたのではと心配になったが、アシㇼパは「オソマをしようとして肛門に小枝でも刺さったのか?」と、杉元は「野糞してて金玉を笹で切ったんじゃないか?」と言い放つ。なかなかに散々な言われようだ。尾形は何も言わない。純粋に心配する名前がおかしいのだろうか、という気持ちになる。

 痛みに顔をしかめながら姿を現した白石の頭からは血がたらりと流れており、手にはヘビが握られていた。

「転んでヘビに頭咬まれた……」
「ヘビ!? ぎい〜〜ッ!!」

 アシㇼパはとんでもない形相で叫び声を上げた。名前はヘビとアシㇼパの声にも驚いて、ささっと尾形に体を寄せた。

「マムシじゃねぇか!! 毒あるぞソレ!」
「そのマムシは死んでるのか? 死んでるのかッ?」

 アシㇼパはフーッフーッと荒い息を吐きながら杉元の背に隠れてしまった。珍しい、どうやらヘビがこわいようだ。
 幸いヘビは石で叩いて死んでいるらしい。白石がヘビをポイッと投げるとなんだか動いたように見えて、名前は咄嗟に尾形の背に隠れた。

「ヘビがこわいのか?」
「ヘビがというか、マムシが。毒があると思うとちょっと……」

 尾形に問われ、名前は答える。爬虫類も得意か不得意かと聞かれたら後者だが、それより毒がこわい。尾形の背からヘビの様子を伺うと、ピクリとも動かなかった。やっぱり白石の言う通り死んでいたらしい。

「咬まれたとこすげえ痛くなってきた、毒で死ぬかも……。アシリパちゃん、名前ちゃん、吸い出してくれ!!」
「いろいろと気持ち悪いから嫌だ!!」

 白石はふらりと倒れ込むと、アシㇼパと名前に助けを求めた。女性陣に頼むところがなんとも浅ましい。しかしヘビが苦手そうなアシㇼパが助けてくれるわけがなかった。

「マムシの毒ではめったに死なないから我慢しろ。日が落ちて暗くなる前に薬になる草を探してくる」

 アシㇼパはそう言って、ピューっと走り去ってしまった。あ、これもしかして逃げた?
 残った名前は呆れ顔であははと空笑いをしている。これは、私がやるしかないのかなあ……。そう思いながら仕方なしに白石に近づこうとした時、尾形に首根っこをがっしり掴まれた。突然のことに背後に倒れそうになったところを尾形に両肩を掴まれ支えられる。危ない、いきなりなんてことをしてくれるんだ。

「おい名前、マムシの毒の致死率は?」
「えーっと、0.1%程度……約千人に一人くらいですね」
「ならほっといても問題ないだろ」

 尾形が名前の肩を掴む力はそれなりに強かった。さて、どうしたものか。少し悩みながら白石に視線を向けると、彼はなんだか焦ったような顔で勢いよく首を横に振っていた。……なに? なんなの? 白石の視線は名前ではなく尾形に向いている気がして尾形の方を見ようとしたが、肩をガッチリ掴まれていたので背後にいる尾形をうまく見ることができなかった。

「もうお前らでいいから吸い出してくれよお!! 毒をチュッチュと!」
「…………めったに死なねぇってよ」
「…………」

 どうやら白石は名前に吸い出してもらうことを諦めたらしい。今度は男性陣に助けを求めたが、杉元は表情も言葉も冷たい。尾形はやっぱり何も言わない。

「まれに死んだのが全員頭を咬まれた奴だったらどうすんだよ!! 網走監獄を知り尽くしていて潜入できるのは俺だけだぞ!! 俺が死んだら困るだろッ!」

 白石は必死だ。そりゃ誰だって死にたくはないだろう。たしかにあれだけ大変な思いをして奪還した白石がこんなところでマムシに噛まれてコロッと死なれても困るし、これだけ懇願しても誰にも相手にされない白石がだんだんとかわいそうに思えてきた。

「だからホラッ、尾形ちゃん吸ってくれよ!」

 白石ははっきり断らなかった尾形に再度要求した。だがしかし、尾形は「歯茎とかに毒が入ったら嫌だから」という存外可愛い理由でそれを断った。

 白石が不憫でどうにかならないかと考えていると、蜂や虻などの虫刺されの応急処置として用意していたポイズンリムーバーの存在を思い出した。

「……あ、毒を吸引する道具があった気がします」
「名前ちゃ〜〜ん!」
「いやいい、白石に使うのはもったいない」
「尾形ちゃ〜〜ん……」

 だが提案した瞬間、すぐさま尾形に止められてしまった。勝手にリュックから取り出そうにも、尾形にガッチリ肩を掴まれていてリュックを下ろすことすらできない。

「う〜ん、致死率0.1%……アシㇼパちゃんが薬草を探してくれてるし……吸引器を使っても応急処置でしかないし……アナフィラキシーショックも起きてないし……」
「なら使わなくていいだろ」

 使わなくて、いいかも……? 白石には申し訳ないが、名前はポイズンリムーバーを使うことをすんなり諦めてしまった。



 しばらくして、アシㇼパはヨモギとショウブを採って帰ってきた。このふたつの薬草を焚き火に入れ、煙を白石の頭に浴びせる。

「これらを火にくべて煙を当ててやるとヘビに咬まれた傷が良くなる」
「もぐさのお灸みたいなもんか」
「苦しいッ、頭は無理でしょコレ……」

 たしかに無理がありそう。煙が目にも口にも入るようで、白石は涙目で咳き込んでいた。もくもくと出てくる煙が名前のほうまで流れてくる。煙のにおいがついてしまいそうで、名前はフードをすっぽり被り外套で体を覆い隠すように座り込んだ。

「あとはこうしてヨモギの煮汁を湿布しておけば、必ず良くなる」
「ほんと? よかった……」

 アシㇼパはアイヌがヨモギを病魔を追い払う浄めの草としてきたことを語りながら、すっかり腫れ上がった白石の頭にヨモギの煮汁の湿布をペタリと貼り付けた。

「でも……咬み付いたのがただのマムシじゃなく『サㇰソモアイェㇷ゚』だったら……シライシは助かっちゃいないんだろうなぁ。おそろしい」
「なんだい? それは」

 聞き慣れぬアイヌ語に杉元が問う。サㇰソモアイェㇷ゚とは『夏に言われぬもの』という大蛇で、胴体は俵のように太く、その姿を見たものは悪臭で髪が抜け落ち全身が腫れ上がるのだとアシㇼパは語った。
 白石と杉元は「そんな馬鹿な」「どんだけ臭いんだよ」とおどけて言うが、今のところアイヌの伝承は全て実在する何かの話だった。そう思うとこれも何か恐ろしいものなのではと思い、名前は少し恐怖を感じ始めた。

 アシㇼパは相当ヘビがこわいらしい。アイヌ語の蛇を指す言葉は絶対に使わない、ヘビが集まるというムックリ鳴らさないなど、アシㇼパは徹底していたようだ。

「夜に口笛を吹くとヘビが来るみたいな話だね」

 白石がそう言うと、杉元はピ――と口笛を吹いてアシㇼパをからかった。アシㇼパは「わぁああ!! やめろッ!」と叫び、本気で嫌がっている。つられて白石までピッピッと口笛を吹き始めた。普段とても勇敢でこわいものなしなアシㇼパの苦手なものが判明して面白がっているのだろう。三人の仲が良い証拠だとも思いながらも、アシㇼパに本気でぶたれる白石を見て名前は苦笑いがこぼれた。

「ピ――――♪」
「やめろッ!」
「ぴぴぴっ♪」
「やめろッ!!」
「もう、杉元さん、白石さん! そろそろやめてあげたらどうですか」

 アシㇼパにはっ倒されても杉元とアハハウフフと笑って口笛を吹き続けている。アシㇼパはフーッフーッと荒い息を吐きながら、ヘビが来ていないか周りを見渡している。さすがに名前もふたりを止めに入った。

「大丈夫だよ、迷信だから」
「夜に口笛を吹くとね、景気が良いと思われて泥棒が寄ってくるからやめなさいって話だよ」

 そう言って白石と杉元は倒木に腰掛けようとして、尻餅をつきゴロンと転がった。ふたりは慌てふためいて、さっきまで座っていた倒木を探している。
 一番驚いたのは当人たちだろうが、名前も驚いた。いくら暗いからって、ふたり揃って座り損ねるなんてことあるだろうか? 倒木が消えるなんてこと……あるのだろうか? そう思いながらふたりの様子を見ていると、杉元の様子がなんだかおかしいことに気がついた。様子というか、顔が……。

「杉元、おまえその顔どうした? お前もどこかヘビに咬まれた?」
「え? いや」

 杉元の顔が白石の頭のように腫れ上がっていることに本人と白石も気付いたようだ。服で見えないが、もしかしたら顔だけではなく全身が腫れ上がっている可能性もある。
 先ほどから不可解なことが続き、名前の恐怖心もどんどんと膨れ上がってきた。そして、静かに事態は急変した。

 杉元と白石の背後に黒光りした巨大なヘビが現れたのだ。

「ぎゃーー!!!」
「いやああーー!!!」
「サㇰソモアイェㇷ゚だ!!!」

 ヘビにいち早く気がついたアシㇼパがものすごいスピードで駆け出す。名前も悲鳴を上げ尾形にしがみ付こうとしたが、尾形が逃げるほうが早かった。名前の手は空を掴み、ついでに外套の裾を踏み、豪快にずっこけた。

「いッ、尾形さん、まって、こわい、こわいッ!!」
「いいから走れ!!」

 尾形も杉元も白石も、アシㇼパに続き走り出す。名前は慌てて立ち上がり、皆を見失わないよう必死に走って追いかけた。
- hakushi -