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 杉元一同は大蛇から逃げ走り、しばらく山道を進み足を止めた。

 名前は尾形に追いつくとすぐさま彼の腕にしがみついた。尾形が嫌がらないことをいいことに、ずっとしがみつき続けている。だって、こわいじゃないか、ヘビが。いくら距離をとったとしても、この森に大蛇がいることには変わりないのだ。

「やっぱりヘビがこわいんじゃねえか」
「あんな大きなヘビ、こわくないほうがおかしいですよッ!」

 こちとら、もうさァッ無理だよ毒があるかもわからないんだからさァッ! と叫びたいくらいの気持ちなのだ。とてつもなくこわかった、というか現在進行形でとてつもなくこわい。それなのに、一番こわかった時に一番頼りたかった尾形にしれっと置いてかれて、名前はそれなりにショックだった。

「尾形さんだって、待ってって言ったのに一目散に逃げたじゃないですか!」
「お前がひっついてたら走って逃げられんだろ」
「うっ…………」

 それは、たしかにそうだ。そう言われると何も言えない。尾形の返答に納得はしたが不満は残り、名前は気持ちを押さえ込むよう口を噤み、腕にしがみついたまま尾形の外套をギュッと握った。



 アシㇼパは白い小さな花が咲く植物を集めてきた。山ほど集めたその花草を、鉢巻きや懐にこれでもかというほど詰め込んでいる。

「アマニュウだ。樺太ではこの草をヘビが嫌うと言われてるので、帯や襟に挟んだり手にこすりつけたりする」

 そう言いながらアシㇼパはアマニュウを自身の頬にゴシゴシとこすりつけた。ここまでくると筋金入りのヘビ嫌いなのが一目瞭然だ。あまりに徹底的に対策するものだから、ちょっと微笑ましくも感じる。

 辺りはもう真っ暗だ。今日はこの場で野営することになった。各々集めた葉を地面に敷き詰めて寝床を作っていく。名前もしぶしぶ尾形から離れ、焚き火の近くで寝る準備を始めた。

 ヘビ除けのために再度ヨモギを燻し、焚き火がすっかり消えた頃に眠りについた。皆ぐっすり寝入っている。……だが、名前はどうしても寝付くことができなかった。何度でも言おう、この森に大蛇がいるのがおそろしくて仕方がないのだ。ヘビ嫌いのアシㇼパもすっかり寝ているというのに、なんとも大人げない。名前はのそりと起き上がると、すやすやと寝ている皆を見渡しため息をついた。

「こわくて寝れないのか」
「……っ!」

 少し離れたところで皆に背を向け寝ていた尾形に声をかけられ、自分でも驚くくらい大袈裟に肩が跳ねた。尾形は半身を起こし、肩越しに名前の方に視線を向けている。声を出したら誰かが起きてしまう気がして、名前はかけていたブランケットを引っ掴んで尾形に近づいた。

「あ、あの巨大なヘビが、この森のどこかにいるかもしれないんですよ……?」

 口元に手を添え、尾形の耳元でコソコソと小声で答えた。名前の言葉を聞くと、尾形はハァとため息をついた。情けないと思われただろうか。自分でもそう思っていたが、他の人にそう思われるとなんとも言えない恥ずかしさがこみ上げた。

 すると突然尾形に腕を引かれ、気付けば名前は尾形の腕の中にすっぽりとおさまっていた。

 目の前に尾形の胸板。この状況、デジャブを感じる。ピアスを開けて寝れなかった夜か。……いや、鹿の中か。谷垣を追った寒い夜に湯たんぽにされた時か。名前は突然のことに混乱している。

「お、尾形さん? その、近いというか……」
「さっきまで俺からひっついて離れなかったくせに、今更なんだ」
「それは、その」
「俺とひっついてたいくらいヘビがこわいんだろ」
「…………こ、こわい、ですけど」

 ヘビはこわい。だが、これは、ちょっと。こんなに体を寄せ合う理由が、今はないじゃないか。耳は痛くない、寒くもない、なのに距離がどうも近過ぎる。
 名前が固まって動けずにいると、尾形は名前の背をトントンと軽くたたき始めた。

「いいから寝ろ」
「だから、ヘビがこわくて寝れないって、」
「あのでかいヘビがきても俺が撃つ」

 尾形の言葉に、名前は目を見開いた。名前の背を叩くたびに、尾形の腕にかかっている小銃が小さく音を立てる。

「ヘビだけじゃ不満か? なら全部だ。お前が殺したくても殺せないのなら、俺が全て撃ってやる」

 なんて物騒な言葉。だが尾形の言葉を聞いた瞬間、なら安心だなと思ってしまった。尾形が撃ってくれる、ここにいれば何があってもきっと大丈夫だろう、と。そして名前は、尾形の腕の中が一番安全な場所だと思ってしまった。とたんに、この温かさに心地よさすら感じ始める。ああ、どうしよう。ひどく落ち着く。そう思ったらもうここから出ようとは思えないじゃないか。

「だから、もう寝ろ」

 名前は背をたたく尾形に身を任せ、顔をうずめて目を瞑った。

 ◇

 朝。名前が目を覚ますと、尾形はすぐ近くで小銃の動作点検をしていた。静かな森にカチャカチャと小銃を動かす音が響く。なんかよく眠れたなあ、と思いながら起き上がって伸びをする。ふと周りを見渡すと、杉元とアシㇼパの姿が見られなかった。白石は少し離れたところでまだ眠っている。

「杉元達は食料を探しに行った」

 名前が思った疑問を言う前に、尾形は小銃から目を離さぬまま答えた。なるほど、食料調達、納得。名前が呑気に寝てる間に猟に出てくれるなんて、なんだか申し訳なさを感じる。おそらく尾形はまだ銃を使った猟ができないからこの場に残ったのだろう。
 ひとつ疑問が解決したが、名前はまだ思い悩んだ様子で視線を漂わせていた。気になることが、もうひとつあるのだ。

「あの、一番に起きたのは尾形さんですか……?」
「……まあ、そうだな」

 その言葉を聞いて、名前はそっと胸を撫で下ろした。尾形と名前が体を寄せ合って寝ているのを見られたらどう思われるか、それが不安だったのだ。もしかしたら尾形も同じように考えていて先に起きてくれたのかもしれない。

「いつも俺が最後に寝て、俺が最初に目を覚ます」
「え、そうなんですか」

 尾形の言葉に名前は目をぱちくりとさせた。なら、尾形にとっては通常運転だったということか。でも、なんでなんだろう。名前がブランケットを畳みながらそう考えていると、尾形は名前を見つめて「どいつもこいつも警戒心が足りなさすぎる」と呟いた。その言葉にグサリときた。
 名前は慣れない環境と変化の連続からか、最近寝つきがあまり良くない。そのせいなのか朝起きる時間がずれ込み、気づけば皆が先に起きていることが多かったりする。今日だってそうだ。先ほどの言葉が自身に向けて言われている気がして、名前は思わず「すみません」と謝罪の言葉を溢した。

 尾形は小銃の動作点検を済ませると、名前に手のひらを差し出した。名前はリュックにブランケットをしまいながら、その手のひらを見て首を傾げた。

「簪」
「え、あ、はいっ」

 突然言われたものだから、名前は言われたまま慌てて簪を取り出し尾形の手のひらに乗せた。渡したところで尾形は簪をどうするんだろうと思い始める。
 尾形は簪を受け取ると名前の背後に回り、名前の髪をスルリと指で梳いた。少しドキリとした。尾形は名前の髪をまとめ上げるつもりなのだろうか。

「あの、もう自分でできますよ……?」
「別にいいだろ」

 名前は止めたが、尾形は手を止めない。止めなければいけない理由もなくて何も言えなくなる。名前は早々に諦めて尾形に任せることにした。

 寝起きで髪が乱れたのだろうか、尾形はしばらく名前の髪を梳いていた。時折り指に髪が引っかかるのを感じる。
 今更ながら、名前は寝起きの見苦しい姿を見られることに恥を感じ始めた。尾形とはそれなりに長い期間を共に過ごしている。本当に今更だ。もう割り切るしかないだろう。名前はそう思いながらも、せめてもと自身の衣服の皺を手で伸ばし身なりを整えた。

 ……それにしても、よく寝れたなあ。尾形が髪に触れているから動くことができず、他に何もすることがなく名前はぼーっと考える。
 夜中に何度も起きることなく、気付けば朝だった。思い返してみると、尾形に身を寄せた夜はいずれもよく寝れたような気がする。尾形の側は安心できる、人肌は温かくて心地良い。これは事実だろう。でも、男女が体を寄せ合うなんていかがなものか。けれど、尾形は誰よりも先に起床するらしい。……いやいや、だからなんだ。こんなこと考えて自身はどうしたいのだろう。ぐるぐると思考が回る。

 ――もう割り切っちゃえば? と心の奥底から声が聞こえた気がした。

「……尾形さん、その、あのですね」
「なんだよ」

 話を切り出してみたものの、言葉が続かない。名前がまごついているうちに、尾形は名前の髪をひとつにまとめ始めた。……終わる前に早く言わないと、面と向かって話せる気がしない。

「あの、また眠れない時は、その……昨夜みたいにまた、だ、一緒に、ううん……側で寝ても、いいですか……」

 尾形がひとまとめにした髪を持ち上げると、名前のうなじも耳も真っ赤に染まっていた。

 尾形は一瞬手を止めたが、すぐさま手を動かし始めた。尾形は何も言わない。どうしよう、無言に耐えられない。

「ハグ、あ、抱擁にはリラックス効果……えっと癒し効果があって、幸福感を感じたりもして。オキシトシンやドーパミン、セロトニンという脳内物質が分泌される結果、自律神経が整って落ち着いて眠くなるという……本当にそういう効果があって……」

 名前はしどろもどろに弁解をした。いや、でも、いくら科学的根拠があるとはいえ、よく寝れるからってまた体を寄せたいだなんて、……だ、抱きしめてほしいともとれるような、馬鹿でとてつもなく厚かましいお願いをしてしまうだなんて。

「いや、すみません、ごめんなさい」

 さっきの言葉は忘れてください。そう言おうと思った瞬間、髪を強く捻り上げられて言葉が詰まってしまった。

「好きにしろ」

 尾形は一言そう言うと、名前の髪にグッと簪を挿しこんだ。
 肩を軽くポンッと叩かれる。髪をまとめ上げるのはお終い、ということだろう。名前は錆びついたブリキのような動きで振り返る。先ほど言われた言葉が信じられなくて、おそるおそる聞き返す。

「いま、なんて?」
「だから、好きにしろと言ったんだ」

 信じられない。自分で頼んだことなのに良しとされるとは思っていなくて、名前は言葉が出なくてパクパクと口を動かした。

「ハハッ、マヌケ面」

 尾形が笑う。名前は自身がおそらくとんでもないマヌケ面を晒しているということにマヌケながら今さら気が付き、慌てて顔を正面に戻し顔を覆った。

 その日から、尾形の了承を得たことをいいことに名前は尾形のすぐ近くで眠るようになった。
- hakushi -