真犯人を探すべく尾形と共に森を進む。だが学者らしき人には出会えないし、殺された動物も見かけない。静かな森は平穏にも感じる。
尾形は双眼鏡を使って辺りを見渡している。いいなあ、双眼鏡。あったら便利なんだろうなあと思いながら、名前は肉眼で近くをキョロキョロと見回した。うーん、何も見つからない。
「学者さん、見つかりませんね」
「俺が探しているのは変態学者じゃねえ、谷垣だ」
「谷垣さん……?」
「……! アイヌだ」
アイヌ。谷垣を追っている人達かもしれない。名前は尾形が双眼鏡で見つめる先を目を凝らして見てみたが、肉眼では何も見えない。尾形がアイヌを見つけたほうへ駆け出し、名前も慌ててその背を追った。
しばらく駆け足で森を進むと、次第に人の足音や草木をかき分け叫ぶ声が聞こえ始めた。少し聞き覚えのあるこの響きはアイヌ語だろう。何を言っているのかはわからないが、穏やかな雰囲気ではないのは確かだ。
アイヌの男たちを追っていると、ダァーン! と遠くから銃声が聞こえてきた。
「っ! 真犯人の学者さんでしょうか!?」
「いや、今のは村田銃の銃声じゃない」
「え、わかるんですか……」
音だけで銃の種類がわかるものなのか、と名前は驚く。尾形が「村田銃は黒色火薬の間延びした銃声が鳴る」と説明してくれたものの、それを知ったところで名前には聞き分けられるとは思えなかった。
銃声が聞こえたほうへ向かい、湿地近くで木陰に身を隠す。バチャバチャと水音が聞こえて茂みの隙間から様子を伺うと、谷垣がアイヌの男たちに銃を向けられていた。
どうするのかと思い尾形のほうをチラリと見ると、人差し指を立てて口元に添えていた。静かに待機、ということだろうか。名前はその場から動かず、谷垣らに視線を戻した。
「俺はやってない! 濡れ衣だッ!!」
谷垣は銃を投げ捨て叫ぶ。だがアイヌの男達の怒りが収まるわけもなく、アイヌの男のひとりが無抵抗な谷垣に向けて銃底を振り下ろした。ゴッ! と重い音が聞こえ、名前は反射的に顔を背ける。
ダァ――ン!!
名前のすぐ近くから、銃を撃つ音が聞こえた。ハッとして音の聞こえた先を見ると、尾形が銃を天に構えて立っていた。名前はどうしたらいいのかわからず、静かに尾形の背を見つめる。
「久しぶりだな、谷垣一等卒」
「尾形上等兵!」
アイヌの男のひとりが「オマエ仲間か?」と尾形に問いかけたが、尾形はそれを無視して谷垣を問いただす。
「谷垣、きさまは小樽にいたはずだ。何をしにここへ来た? 鶴見中尉の命令で俺を追ってきたのか?」
「俺はとっくに下りた! 軍にもあんたにも関わる気はない。世話になった婆ちゃんの許に孫娘を無事帰す、それが俺の『役目』だ」
やはり尾形は谷垣を疑っていたのだ。玉井伍長から何かを……おそらく造反について何かを聞いた谷垣が先遣隊の他三人を殺して鶴見の元に戻ったと、そして造反者である尾形を追ってここまできたのだと思っているようだ。だが名前はまだ尾形の見解と谷垣の言葉のどちらを信じればいいのかわからない。
「頼めよ、『助けてください尾形上等兵殿』と」
尾形がジャギリとボルトを操作する。アイヌの男が「銃を捨てろッ!」と叫んでいるが、お構いなしだ。丸腰の谷垣、銃を構える尾形、叫ぶアイヌの男たち。名前は緊張で冷や汗がたれた。
「あんたの助ける方法なんて……あんたはこの人たちを皆殺しにする選択しか取らないだろう。手を出すな!! ちゃんと話せば分かってくれる!」
「ははッ、遠慮するなって」
谷垣が言った『皆殺し』という言葉にアイヌの男たちが反応した。ひとりが「テッポオスラ!」を叫びながら尾形に銃を向ける。
「俺に銃を向けるな。殺すぞ?」
「や、やめてください尾形上等兵殿ッ!!」
「っ! 名字名前!?」
名前はたまらず尾形の腰に飛びつくと、谷垣が驚きの声をあげた。名前は震える手で尾形の腰に抱きつき離れない。ここで人を撃ったら事態が悪化するとしか思えない。……いや、そんなことより人が死ぬところを見たくはなかった。
得体の知れない女の突然の乱入に、場は騒然とした。谷垣は思わぬ人物の登場に目を丸くする。
「テッポ アマ ヤン」
「エカシ……」
すると立派な髭を貯えた老人が現れ、アイヌの男たちは銃を下げた。エカシ、レタンノエカシ……記憶違いでなければこの老人はこのアイヌの村長なのだろう。村長は言葉を続ける。
「コタン オレネ チトゥラ ワ パイェアㇱ」
村長が何かを言うと日本語が話せるアイヌの男が「村に連れて行く、大人しくしろ」と言い、谷垣はそれに従って拘束され連れていかれた。
「おい名前、離せ。追うぞ」
「は、はい、すみません、わかりました……」
名前はすごすごと尾形から離れ、尾形と共に谷垣とアイヌの男たちについて行った。
◇
アイヌの村に着くと、谷垣は小熊の檻に手を縛りつけられた。村の男たちが谷垣の処遇を言い合っている。殺してはダメだ、でも逃がせば同じことを繰り返す、家畜を殺されれば俺達が飢える、和人なんだから警察に連れて行け、と。谷垣に罪はないという意見はもちろんない。
名前と尾形はその様子を高床式の食糧庫の足場に座って見ていた。谷垣と知り合いとはいえ、村にとっては部外者だ。何も口出しできない。
「警察に連れていっても、たいした罪にならないッ! 家畜の次は俺達の女房や子供たちかも知れんぞ!」
屈強な村の男が高らかに叫ぶ。俺達のやり方で裁く、鼻と耳と足の腱を切る、と言ってマキリを取り出した。周りの男たちは同調したように声を上げている。どうしよう、谷垣が捌かれ……裁かれてしまう!
「お、尾形さん! ちょっと!!」
名前が焦った様子で呼びかけ外套の裾をグイグイ引っ張っても、尾形は呑気に見てるだけ。谷垣が言わないのならこっちが『助けてください尾形上等兵殿』と叫びたいくらいだ。もう見てられない、名前はそんな気持ちで彼らの様子を見ていた。
谷垣が「待ってくれ、俺の話を聞いてくれ!!」と叫んでも誰ひとり話を聞いてくれない。
「ちょっと待った」
杉元だ。杉元は谷垣と村の男の間に割って入った。少し離れたところにアシㇼパがいる。きっと犯人が捕まったという情報を聞きつけてアイヌの村にきたのだろう。
「オマエもこの男の仲間か? どけッ!!」
ゴンッ! 屈強な村の男が杉元を殴りつける。名前が反射的に両目を自身の手で覆うと、誰かに両耳を塞がれた。……おそらく尾形だろう。
しばらくそのままジッとしていると、尾形の手が離れてすぐそばから拍手が聞こえてきた。おそるおそる顔を上げると、杉元を殴った村の男が倒れていた。名前が目と耳を塞いでいる間に何があったのか……。拍手をしている尾形をチラリと見ると、なんだか嬉しそうで余計わけがわからなくなった。
「犯人の名前は姉畑支遁、上半身に入れ墨がある男だ。この谷垣源次郎は寝てる間に犯人に村田銃を奪われたドジマタギだ!」
杉元は谷垣の襦袢の前立ての隙間に指をかける。パァン! とボタンが弾け飛び、入れ墨のない胸元が露わになった。名前は思わず自身の手で目を覆い、その指の隙間からちらちらとうかがう。杉元が胸毛を毟ると、谷垣は痛みに呻いた。……な、何を見せられているんだ。
「俺達が必ず姉畑支遁を獲ってくる」
「……くしゅん!」
杉元が毟った胸毛が漂い、アシㇼパの鼻に入ったようだ。アシㇼパは勢いよくくしゃみをした。
「三日やる、三日以内に真犯人とやらをここへ連れてこい」
マタンプㇱを目深につけたアイヌの男が言う。三日間は谷垣の処刑は待ってくれることになり、谷垣は小熊の檻の中に入れられた。
杉元とアシㇼパは出発前に檻の中の谷垣と話をしていた。時間は三日しかない、些細なことでも何か手掛かりになることを知りたいようだ。会話の内容は食糧庫の足場に座る名前のところまでは聞こえない。が。
「……それやばいやばいッ!! ヒグマに恋しちゃったら、入れ墨ごと喰われちまうだろうがッ!!」
突然杉元が叫ぶように言った。……ヒグマ? 恋? 名前には何が何だかわからない。姉畑はヒグマが好きで探しているのだろうか。
「ヒグマに恋……? どういうこと……?」
「さあな。変態学者の考えることなんてわからんな」
「そう、ですよねえ……」
尾形に聞いたところで何もわからなかったが、姉畑がヒグマと出会ってしまったら非常にまずいということは確かだろう。
杉元とアシㇼパはすぐさま真犯人である姉畑を探しに村を出た。