杉元達は釧路の海の近くでハマナスの実を収穫していた。アシㇼパがいないと思ったら、どうやら朝から海に出てマンボウを獲っているらしい。
ハマナスは夏の時期をマゥタチュㇷ゚……『ハマナスを採る月』と呼ぶくらい重要な食料だとインカㇻマッは語る。その横でチカパシはハマナスの実を美味しそうに頬張っている。名前も一粒食べてみると、甘酸っぱさが口いっぱいに広がった。見た目も味もトマトに近いかもしれない。
ある程度ハマナスの実を収穫をした後、名前と尾形は浜辺を歩いていた。名前はオカヒジキを見つけ、アシㇼパが喜ぶかなと思いながら手で持てる分だけ摘み取った。
「……っ! まずいぞ、これは……」
「え、追っ手ですか……!?」
双眼鏡で遠くを見ていた尾形が焦った声を出した。慌てて名前も尾形が見ているほうに視線を向けると、遠くに土埃のような茶色いモヤが見えた。なんだ、あれは。そう思いながら遠くの空を眺めていると、胸元に何かがくっついた。
「なに……ぎゃあ虫ッ! なになに、バッタ!?」
服にくっついたバッタに驚き、名前は慌てて払い落とした。オンブバッタとか小さくて可愛いやつではない、立派すぎてちょっとこわいトノサマバッタだ。名前は他にもどこかにくっついている気がして外套をバサバサと振る。
どうやら杉元にもバッタがくっついたらしい。「やだぁ〜〜バッタきらーい!!」と言ってバッタを指で弾く杉元を見て、白石は「不死身のくせに」と笑っていた。
だんだん羽音のような音が近付いている気がして名前が視線を上げると、バッタの大群がもう目の前まで迫ってきていた。
「ひッ、イヤぁああ!! バッタの大群ッ!!!」
「ぎぇえええッ!! いっぱい飛んでくるッ! 気持ち悪い!!」
気付いた時には大量のバッタが辺りを飛び回っていて、名前は悲鳴を上げながら尾形の外套の中に潜り込んだ。尾形の外套越しにバッタがバチバチと当たる感触がする。ヤダッ、本当に気持ち悪いッ!!
「番屋だ! あの番屋に避難だ!!」
谷垣が声を上げ、この場にいた五人は大慌てで近くの番屋に避難することにした。尾形の外套の中に潜り込み前が見えていない名前は、走る尾形にしがみ付き引きずられるように走ってして番屋に向かった。
番屋に避難し、とりあえずバッタに襲われる心配はなくなり名前はほっと息を吐いた。窓から外を見ると、辺りはバッタまみれ。バッタの羽音や壁や窓にぶつかる音がバチバチと聞こえ、ゾゾゾ……ッと鳥肌が立った。本当に気持ち悪い。
「一体何が起きてるんだ……?」
「飛蝗ってやつだ。洪水やら何やらで条件が重なると大発生するときがある」
「農作物とか食い荒らしちゃうやつですね……」
「そうだ」
このバッタの集団は移動した先々で農作物や草木は食い尽くし、それどころか家の障子や着物までも食べてしまうらしい。明治初期から何度か大蝗災が起こっており、屯田兵もバッタ退治に大砲持って駆り出されたことが第七師団では語り草になっていると尾形は話した。
「通り過ぎるまでどんぐらいかかるんだ? ハラ減ったぜ」
「アシㇼパさん大丈夫だろうか」
杉元と谷垣はアシㇼパとインカㇻマッを心配しているようだが、白石は呑気に腹の音を鳴らしていた。
「お! おふたりさん、イイもの持ってんじゃ〜ん」
すると白石が目を輝かせて谷垣と名前を両手で指差した。ふたりは手に持っていた物を胸の高さまで持ち上げる。名前の手には先ほど摘んだオカヒジキ、谷垣の手には何かの肉。
「谷垣さん、それなんですか?」
「ラッコの肉だ」
「ラッコ……!?」
名前は皮を剥がされたラッコを見てギョッとした。頭の中にホタテを叩く可愛らしい姿が思い浮かぶ。ああ、おいたわしや……。だが毛皮を剥がれ肉になってしまっては、食べないほうがかわいそうだろう。
「あの、美味しく調理する自信はないのですが、まだまだ外に出れそうもないので……ここで食べます?」
こうしてラッコの肉とオカヒジキはこの番屋で調理して五人で食べることになった。
ラッコ肉は谷垣に解体してもらい、番屋の囲炉裏と鍋を借りてラッコ鍋を作った。野郎四人と女一人がひとつの鍋を囲んでいる。グツグツと煮える鍋のせいか、部屋はムワッとしていて熱気に包まれているようだ。
「谷垣が爺さんにもらったラッコの肉、独特なニオイがするな……。ホントに食べられるものなの? ラッコって」
「アイヌのお爺さんがくれたってことは食べれるってことですよ、たぶん」
そう言いつつも、調理法がよくわからぬまま肉もモツも入れてしまったからちょっと怪しい。不安気にラッコの肉を見つめる白石はなんだか可愛らしくも思えた。
……それにしても暑い。暑すぎる。尾形に『助平女』と言われたのもあって外套を着続けているからだろうか。名前はじっとりと汗で濡れた額をぬぐった。
「なんだか変だ……」
杉元が眉をひそめて目を擦っている。どうしたのだろう、暑さで体調が悪くなってきたのだろか。谷垣は心配そうに「杉元、大丈夫か?」と声をかけた。
名前も心配そうに杉元を見つめ……あれ、改めてよくよく見ると……この人すっごいイケメンじゃない? いやいや、それどころじゃない。なんてことを考えているんだ……! 名前が邪心を払うように頭を横に振っていると、横からパァンッ! と弾けるような音が聞こえた。驚いて音が聞こえたほうを見ると、谷垣の胸元が露わになっていた。わあ、とっても男らしい……じゃなくて。
「おっとぉ、またボタンが……」
どうやら襦袢のボタンが弾け飛んだらしい。皆が谷垣の胸元から目を離せなくなっている中、名前は顔を赤くして目を逸らし、飛んでいったボタンを探して拾い上げた。
「頭がクラクラする……」
「えっ、大丈夫ですか!?」
今度は尾形が頭を押さえて不調を訴えた。慌てて尾形に視線を向けると、頬を紅潮させて苦しげに息を吐く姿がなんだかとっても色っぽい……じゃない、違う、体調がすこぶる悪そうだ。どうしてしまったんだ、尾形も名前も、皆も。
「大丈夫か尾形ッ!」
「横になれッ! いますぐにッ!!」
「……あっ、その、えっと!」
名前が無意識に浮かぶよこしまな考えに動揺している間に、男性陣は尾形を囲い手早く外套を脱がせ始めていた。ど、どうしてそんなに行動が早いんだッ!
「胸元を開けて楽にした方がいい!」
「えッ! 外套だけで充分では!?」
「下も脱がせろ、いや……全部だッ! 全部脱がせろ!」
「待って、絶対に全部脱がせる必要はないです! ダメですって、せめて胸元を開けるだけで! ねッ、それだけで充分ですってば!!」
名前の必死の制止もあって全部脱がされることは回避できたが、尾形は襦袢の胸元どころか全てのボタンが外された状態で床に転がされた。見た目によらずよく鍛えられた白い素肌が名前の目には毒だ。
場のあまりの暑さに、他の三人もボタンを胸元まで開けたり羽織物を脱いだりし始める。目のやり場に困り目を伏せて尾形の外套を畳んでいると、杉元に声をかけられた。
「ねえ。名前さんその格好……暑くない?」
「え、まあ……暑いですね、はは」
「そりゃ体によくないって、名前ちゃんも外套くらい脱いだら……?」
白石に外套を脱ぐことを勧められて、名前は迷った。尾形に言われた一言が気がかりだからだ。……だが、暑くてしかたない。これでは尾形のように暑さにやられて倒れかねない。
「でも、野暮でお見苦しいかもしれないんですけど……」
「いいっていいって! 俺らは大丈夫だからッ! なッ杉元ッ!?」
「お、おう! だよなッ谷垣ッ!?」
「え、あ、ああッ……!」
「なら……お言葉に甘えて……」
男性陣は顔を見合わせ問題ないと口を揃えた。それならば、と、名前はおそるおそる外套のボタンを外していく。外套の下は長袖のTシャツ、現代では何の変哲もないただの洋服なのに、そのはずなのに、今では見られるのが少し恥ずかしいと思ってしまう。
脱いだ外套を丸めて畳んで尾形の物の隣に置くと、視線を下げた先にいた尾形の虚な瞳と目が合った。なんだか居た堪れなくて視線を逸らすように頭を上げると、男性陣のじっとりとした熱い視線に気がつき名前はひるんだ。彼らの視線に、なんだかおかしな気持ちになってきそうだ……。
すると突然ガラッと出入り口の戸が開く音が聞こえ、皆はハッとして玄関に視線を向けた。
「痛テテッ! 耳を噛まれたッ!!」
どうやらバッタに襲われた誰かが番屋に飛び込んできたらしい。突然の来訪者は痛みに声をあげながら脱いだ服をバサバサと振っている。
「……よう、久しぶり」
「キロランケ?」
そこには旭川ではぐれたキロランケが上半身裸で立っていた。鍛え抜かれた筋肉と谷垣にも負けない胸毛がワイルドで……ああなんてことを考えているんだ。名前が目を擦っていると、誰かがゴクリッと生唾を飲み込んだ。