バッタに囲まれた密室の番屋で突如開催されたラッコ鍋パに、キロランケも仲間入りした。
話を聞くと土方一派とは旭川ではぐれたきりで、キロランケは杉元達が釧路に行くと予想し、近くのコタンで話を聞きつけたそうだ。
「それよりよお、杉元おまえ……ちょっと見ない間に急に……いい男になったな?」
「よせやぁい」
キロランケの言葉に杉元は少し照れた様子で軍帽の鍔を掴み目深にかぶった。……カワイイ。いやいや、どうしてこんなにも格好良くも可愛らしくも感じるのだろう。
「キロちゃんも前よりいい身体になってねえかい、えええ?」
「そうかあ? どうだ? 谷垣ぃ」
ムワァァッとした熱気に包まれているからか上半身裸のままでいるキロランケが、力こぶを作り自慢げに見せつけた。す、すごい、男らしい身体だ。そう思いながらも、名前はキロランケをチラリと見ると恥ずかしげにすぐに視線を逸らした。
谷垣は目を固く瞑りスーッスーッと息を吐いている。谷垣まで体調が悪くなってしまったのだろうか。
先ほどからずっと横になっている尾形も心配だ。寝かされている尾形の額をそっと撫でるように触れると、尾形は目を細めた。まつ毛が長くて綺麗……どこから見てもいい男で困っちゃう……いやいや、そうじゃないだろう。自身の異常な思考のほうが困ってしまう。先ほどからずっとよこしまな考えが頭をよぎり続けている。なんなんだ、この感じたことのない感情は。熱さで頭がやれてしまったのだろうか。名前も目を押さえてフゥー……と息を吐いた。
「名前も……いい女になったんじゃないか? アシㇼパに美味い飯をたくさん食わせてもらったんだろ。でも、もっと太ってもイイんじゃないか……?」
「えッ、いやいや……そんな、これ以上は……!」
まさかのまさか、自分までキロランケにそんなことを言われるとは思ってもみなくて、名前は慌てて首を横に振った。ふくよかな女性が好みらしいキロランケが言う『いい女』だなんてどうせお世辞だろうが、それでも褒められ慣れていない名前は熱くなった頬を両手で押さえる。
「いいやッ、名前ちゃんはじゅうぶんイイ女だぜ!? ほら、じゅうぶん……」
白石がジッとこちらを見ている。なんだか胸をジーッと見られているような気がして、名前は慌てて胸元を押さえて目を逸らした。白石だけじゃない、皆に見られている気がする。恥ずかしくて恥ずかしくて、名前は俯いた。
暑い。熱い。皆のはだけた胸元が、惜しげもなくさらされた肉体が、目のやり場に困ってどうしようもない。恥ずかしい。恥ずかしくて仕方がない。男性陣の熱い視線にどうにかなってしまいそうだ。この場の熱さに、己の熱さに――名前はついに耐えきれなくなった。
「ご、ごめんなさい! すみませんッ!! 部屋が、か、身体が熱くて仕方がなくてッ!! 隣の部屋で頭冷やしてきますッ!!! ラッコのお鍋、一応一人分だけ貰っていきますねッ!!」
名前はお玉を片手に声を張り上げ勢いよく立ち上がった。男性陣はハッとして名前に声をかける。
「あッ、ああ、そうしたほうがいい! 名前さんは奥に行ったほうがいいッ!!」
「大丈夫か!? 俺たちはここで鍋を食べているから、奥の広間でゆっくり休んでいてくれ……!」
「そうだッ、襖はしっっかり閉めておくんだぞ!」
無事同意を得られたので、名前はそそくさとお椀にラッコ鍋を取り分け隣の広間に向かった。振り返り襖を閉めようとした時、寝かされていた尾形の虚ろな瞳と目が合い、手が止まった。……名前には、いまだ動けずにいる尾形を放っておくことができなかった。
「……尾形さんも動かなくて心配なので、こっちに運んで様子見ておきますね」
「エッ! 尾形ちゃんも連れてくの……ッ!?」
名前の言葉に四人は動揺したが、恥ずかしくて彼らを見れなくなった名前は気付かない。名前は動かない尾形をずりずりと引きずりながら隣の部屋に移動し、襖をピシャリとしっかりと閉めた。
名前は部屋の奥のほうまで尾形を引きずると、気が抜けたようにへなへなと座り込んだ。隣の広間は先ほどの座間よりも涼しく感じた。……だが身体はまだ熱い。名前は自身を落ち着かせるように胸に手を当ててゆっくりと深呼吸をした。
「尾形さんは、大丈夫ですか……?」
はだけた胸元を極力見ないように、尾形の顔を覗き込む。熱に浮かされた顔がどうも色っぽい。違う、そうじゃない。尾形はぼーっと名前の顔を見ると、ゆっくりと瞬きをした。……正直大丈夫そうには見えないが、これは肯定だと思っていいのだろうか。
尾形が苦しげに息を吐く。その唇に視線が向いてしまうのはなぜだろう。すごくドキドキする。名前は吸い寄せられるように尾形に顔を近づけ……ハッとした。どうして、いま、私はなにをする気だったのだろう。名前は尾形に変な気を起こしかけたことを悟られぬよう、額と額をコツリと当てた。そう、尾形の身を案じているだけだ、熱がないか知りたかっただけ、と自身に言い聞かせる。けれども肝心の尾形の体温はよくわからなくて、名前は顔を上げると黙って顔ごと視線を逸らした。
少し気まずさを感じていると、ピシャンッ!! と肌と肌がぶつかるような音が隣の部屋から聞こえ始めた。え、なに、なんなの……!?
先ほど閉めた襖をほんの少し開けておそるおそる覗き込むと……四人は褌一丁で相撲を取っていた。襖の隙間からでもわかる熱気に、カッと顔が熱くなり名前は慌てて背を向けて後ろ手で襖を閉めた。
「相撲? ……相撲?」
名前は混乱している。先ほどの光景が目に焼きついて消えない。熱くなった頬を押さえて頭を横に振る。だめだ、頭から離れない。どうしてこんな変な気持ちになってしまうのだろう。動揺してがらんとした広間に視線を泳がせていると、先ほど取り分けたラッコ鍋のお椀が視界に入った。
「あ、えっと、お、尾形さん食べます……?」
動けずにいる尾形が食べれるわけがないのに、動揺を隠せない名前はそう問いかけながらお椀を持って尾形に歩み寄る。尾形のはだけた胸元に自然と視線が向いてしまい、慌てて目を逸らす。だめ、見ちゃだめ、見ない見ない。
尾形のそばに座り込み再度問いかけても、尾形は虚ろな目で名前をジッと見つめるだけ。ならば食べてしまおうかと思ったが、独特なニオイにさらに身体の様子がおかしくなり始めた気がする。顔が熱い。顔どころか身体が熱い。ラッコには申し訳ないが、今は食べれそうにない。お椀を畳に倒してしまうのが心配で、手を伸ばして囲炉裏の縁に置いた。
畳と布が擦れる音が聞こえて振り返ると、尾形が半身を起こしていた。ゆっくりと顔を上げた尾形と目が合った瞬間、名前は動けなくなってしまった。熱を含んだじとりとした目線に、心臓が跳ねる。気だるげに床に手をつきジリジリと近づいてくる尾形から、なぜか目が離せない。心がざわつく。……もう、どうにかなってしまいそうだ。
どうしたの、どうして、あ、汁物が食べたかったのかも。そうだ、そうかもしれない。きっとそう。そんなことを考えているうちに、尾形は目と鼻の先まで近づいてきていた。互いの息づかいがわかる距離。目の前に、何を考えているのかわからない、黒曜石が、ギラギラとしていた。
「……っ! あの、食べたかった、ん――ッ!?」
名前の口が、尾形にパクリと食われてしまった。
何が起きたのかわからなかった。目の前にある尾形の顔に、唇に触れる柔らかな感触に、口と口が重なっているのだと気付いた。これは、いわゆる口づけ、というやつなのでは。驚いて目を見開くと、底知れぬ黒い瞳が目に飛び込んできた。じっとりとした視線。尾形に、見られている。そう思った瞬間、ゾクゾクと今まで感じたことのない感覚が走った。
尾形に重ねられた唇は離れることなく名前に寄せられる。うまく息ができなくて、頭がクラクラする。力が抜け、尾形に押し寄せられ、ついには畳に倒れ込んでしまった。
「っはあ、尾形さ――」
息を吸い、尾形の名を読んだ瞬間、口内にぬるりと舌が入り込んだ。慌てて尾形の胸を押してもびくともしない。体をしっかり押さえ込まれ、どこにも逃げ場がない。
口内を荒らされ、舌を絡め取られる。じゅるり、ぐちゅり、と今まで聞いたことのないような音が頭に直接響いてゾワゾワする。だめだ、だめになる。むさぼるような深い口づけに、思考がドロドロに溶かされていく。尾形を押していたはずの手は、いつのまにか尾形の首にまわっていた。
口を何度重ねても全然上手く呼吸ができなくて、だんだんと意識がぼんやり曖昧になっていく。熱に浮かされた頭に酸素が足りなくなって、名前の意識はプッツリと途絶えてしまった。