05

 第七師団が名前を保護することが決まったが、誰彼構わず未来から来たからだと話すわけにもいかないので、名前は外国から戻ってきた鶴見の遠い親戚ということになった。しかも両親は不慮の事故で亡くしており若くして天涯孤独の身の上というトンデモ不幸設定までついた。どうやら鶴見は名前を養子に迎えることを諦めてないらしい。
 これらの設定を含め鶴見とふたりで今後のことなどを話していた時、足早にひとりの兵士が部屋に訪れた。

「鶴見中尉殿ッ、尾形の意識が回復しました」
「そうか。では、見舞いに行ってやろう」

 鶴見はスクっと立ち上がった。

 尾形。聞き覚えがある名前だ。尾形、尾形……。先日川で見つけた重症の男が頭に思い浮かんだ。そうだ、尾形上等兵。

「私が川で見つけた人ですか?」
「そうだ。よく覚えていたな」

 うんうん、と鶴見は頷く。鶴見は兵士から外套を二着受け取り、マント状の外套を名前に手渡した。男物っぽい深い濃紺の外套だ。反射的に受け取ってしまったが、どうすればいいんだろう? 名前が首を傾げて悩んでいると、鶴見が名前に渡した外套を再び手に取り名前の肩にかけた。

「どうした、一緒に見舞いに行くから早くしなさい。名前くんの服は目立つからね。しっかり前を閉めるんだよ」

 名前の服装は長袖のTシャツに膝丈のスカート、その上にマウンテンジャケットを着ていて、足元はレギンスにショートブーツを履いている。現代では至って普通の服装だが、いくら西洋の文化が入り始めた明治でもこの格好は奇抜で目立つだろう。男物の外套は名前には丈が長く、膝下まですっぽり隠れそうだ。
 鶴見が名前の肩にかけた外套の釦を留め始め、名前は慌てて制止した。「自分でできますから!」と声を上げて急いで釦を留めていく。慌てていたからか、男物で釦の向きが女物と逆だったからか、すこし手こずってしまった。

「未来には釦がついた服はもうなかったかな?」
「あります! ありますッ!!」

 女物は釦の位置が左右逆なんです! とかなんとか弁解するも鶴見はそうかそうかと楽しげに微笑むだけだ。

「そうだ、名前くん。君の所持品は必ず一纏めにして肌身離さず持っていなさい。事情を知らない人には見せてはいけないよ?」
「は、はい、わかりました」

 服も目立つなら当然リュックも目立つだろう。そそくさとリュックを隠すように外套の下に背負い、病院へ向かう鶴見の後を追いかけた。

 ◇

「鶴見中尉殿、こちらです」

 病室の扉の前で立ち番をしている兵士に控えめに頭を下げる。鶴見の後を追い中に入ると、ガランとした病室にひとりの男が横になっているのが見えた。他のベッドは全て空いていて、その男以外に患者はいない。彼が昨夜川に落ちた重症の男、尾形という男で間違いないだろう。
 昨日の彼は顔が腫れ上がっていたし、今日の彼は頭部から顎にかけてぐるぐると包帯が巻かれている。怪我で人相は違っているし、見知った顔ではないので顔だけ見ても同一人物と判断しづらい。

「尾形上等兵、意識はあるか?」

 鶴見に声をかけられ尾形の目がゆっくりと開く。名前は尾形の黒曜石のような真っ黒な瞳を見て、ああ昨日の重症人だと確信めいたことを思った。
 尾形の視線はそのまま逸れることなく名前にじーっと向けられている。なんだこの女? とでも思われているのかもしれない。なんだか気まずく感じて、名前はゆっくりと瞬きをしてにこりと微笑んで会釈をした。

 鶴見は外套を脱ぎ近くの椅子にかけたが、名前は外套を脱ぐこともリュックを下ろすこともできずに立ち尽くしていた。

――事情を知らない人には見せてはいけないよ?

 病院に向かう前に言われた鶴見からの言いつけがあるからだ。軽いとは言えないリュックを背負い直すとガシャリと音が鳴り、それに気付いた鶴見は名前に視線を向けた。

「尾形は私の腹心の部下だ、気にしなくても良い。重いだろう? 外套を脱いで荷物を下ろすといい」
「……! ありがとうございます。お言葉に甘えて……」

 もぞもぞと隠すように背負っていたリュックを床に下ろし、手間取ることなく外套の釦を外していく。釦、焦らなければさっと付け外しできるんですからね! なんてひっそり思いながら脱いだ外套を軽く内側に畳んで腕に抱えた。肩に掛かっていた重さがなくなり、開放感からふぅと息をつく。名前が抱える外套を鶴見はスッと取り去った。現代の服がよく見える。

「尾形、お前を殺そうとしたのはこの女か?」

 名前は鶴見の発言にギョッとした。もしかして、全然信用されてなかった? のか? 養子がどうとか言ってたくせに? 動揺を隠しきれず、鶴見と尾形を交互に見る。

「ほら、しっかり顔を見せるんだ」

 頭を動かし視線をさまよわせる名前の背中を鶴見はグッと押した。背中を突然押されて名前はつんのめり尾形に倒れ掛かりそうになったが、すんでのところで耐えた。バチリと尾形と視線が合う。真っ黒な瞳で見つめてくる尾形が何を考えているのか全くわからない。姿勢を正そうとしても鶴見の手は未だに背中に添えられていて体を起こすことができない。

「この女がやったのか?」

 声だけで恐ろしいと思った。肝が冷える。さっきまであんなに視線を泳がせていたのに、今度は尾形から視線を逸らすことができない。大丈夫、私はやってない。彼が嘘をつく理由はない。そう思っても不安が募る。

 やがて尾形はゆっくりと首を横に振った。それを見た鶴見は名前の背中をぽんぽんと労るように優しく叩いた。

「そうかそうか! それはよかった! 彼女はお前を発見し、我々が到着するまで付ききりで介抱していたのだ。いわば命の恩人。尾形よ、しっかり恩を返さねばならんなァ。……それと」

 鶴見は尾形の耳元に顔を寄せる。

「この女は百年先の未来からきたらしい」

 鶴見は上機嫌で尾形に耳打ちした。静かな病室で、名前は尾形に向かってつんのめった姿勢のまま固まっていたため、尾形と鶴見の内緒話はしっかり聞こえた。

「さて、彼女ではないのならば……お前を襲ったのは一体誰だ?」

 尾形はゆっくりと左手を出し、震える手で『ふじみ』と指で文字を書いた。それだけ書くと尾形は力尽きたようにまた眠りについてしまった。
 険しい顔をしていた鶴見が微笑んで、名前の肩を掴み体をそっと起こす。

「先程はすまなかったね。怖い思いをさせてしまったかな? しかしこれで君は晴れて無罪だ! うんうん、安心して名前くんのことを迎え入れることができるよ」

 愉快に笑う鶴見に、名前はお得意の空笑いで応えることしかできなかった。ものすごく怖かった。死ぬかと思った。鶴見の腹の底が見えない。そりゃ当たり前か。この男は軍人だ、しかもそれなりの階級の、だ。
 はたしてこの得体の知れない軍人を信用してもいいのだろうか? そう思ったところで頼れるところは鶴見率いる第七師団しかない。

「さあ、急いで兵舎に戻ろう。これからやらねばならないことが山程ある」

 鶴見から外套を受け取り身支度をする。さりげなく肩を抱かれてはもう逃げられない。名前は大人しく鶴見に連れられ兵舎に戻った。
- hakushi -