兵舎に戻った後、鶴見は慌ただしく動き回っていた。尾形を襲った者を探すために先遣隊を山に送り出したのだが、誰一人帰ってこなかったのだ。鶴見自身も出向き先遣隊の捜索をしたがそれでも見つからず、数日が経つ。
その間、名前は兵舎の個室でまあまあ退屈な日々を過ごしていた。スマホが使えなくなると途端に手持ち無沙汰で暇になる、まさに二十一世紀の現代っ子。
退屈なのを知ってか知らずか、時折り宇佐美は名前を連れ回した。軍人でもないただの女がこうも兵舎を歩き回って大丈夫なのかと心配したが、鶴見の遠い親戚という設定のおかげでどこに行っても客人扱い。誰もが名前を快く迎え入れる。銃剣術や狙撃の訓練や分解結合訓練などの見学ができたのは結構楽しかった。が、訓練を終えると宇佐美はにっこり笑って決まってこう言うのだ。
「どう? 僕に惚れた?」
いや、残念ながら惚れてない。惚れられない。宇佐美が欲しいのは名前ではなく、大大大好きな鶴見中尉殿の息子という地位だ。そんな下心を知っていたら好きになるわけないだろう。けれども、いいえと言う勇気もないので、凄かったです〜格好良かったです〜などの感想を言って笑って誤魔化した。
兵舎見学はいい暇潰しになったけれども、毎回行われるこのやりとりがすごく面倒だった。
そして、約束通りたまーに鶴見の都合が良い時に美味しい茶請けを食べながらちょっとした未来の話をする。余計なことは話すまい、と気を付けているつもり、ではある。詳しい年号や出来事、他国の情勢とか。知ってても知らなくても、詳しくは知らないふりして笑ってはぐらかした。
そんな名前には緊張感溢れる会話は、いくら茶請けが美味しくてもいくら鶴見が微笑んでいてもなかなか純粋に楽しいとは思えないひとときだったのだ。
そんな娯楽が少ない日々だったが、決まった時間になると部屋に運ばれてくる食事が唯一純粋に楽しみだった。未知の軍隊飯、ビーフシチューとパンを明治時代に食べられるのかと驚いたり、栄養特化のよくわからないけどなんだか美味しいおかずが出てきたり、次はどんな食事が出てくるかわくわくした。
しかし、初日に見た二合はあろう山盛りの白米にはちょっと待て、と物申したかった。食べ切れなくて量をかなり減らしてもらったのはもちろんだが、どう考えても白米で腹を膨らませては栄養バランスが宜しくない。鶴見に食事は口に合うか聞かれた時に、さりげなくご飯は玄米を混ぜて肉や大豆を増やしたほうがいいと伝えてしまった。よせばよかったのに。
◇
コンコン、と扉を叩く音が聞こえて食事の時間だと気付く。はい、と答えると扉が開き、食事の盆を片手に笑顔でこちらを見る宇佐美がいた。名前は宇佐美の奇行を思い出し顔がひきつりそうになったが、瞬時に作り笑顔をべたりと貼り付ける。その間コンマ秒だ。自分を褒めてやりたい。
「ほら、忙しい僕がお前のためにわざわざ持ってきてやったんだから、感謝して食べろよ」
「あはは、ありがとうございます」
笑顔は絶やさず、心の中では食事だけに感謝しておいた。ありがとう、炭水化物たんぱく質脂質ビタミンミネラルたち。
さっさと食事を受け取ってお帰りいただこうと思ったが、宇佐美は名前の横をスッと通り抜け食事をテーブルに置くと向かいの椅子に腰掛けた。……えっ? 今まで食事を運んでくれた人達はすぐに戻っていきましたが? 名前は意味がわからず、棒立ちで食事と宇佐美をぼんやり眺める。
「なにしてんの? 早く食べなよ」
宇佐美は食事を顎で指した。いや、なにしてんのはこっちのセリフなんですけど? 喉まで出かかった言葉をグッと飲み込み、黙って椅子に座る。
「……いただきます」
食事を前に手を合わせた。右手で箸の中程を取り、左手を添えて右手で箸を持つ。名前が音を立てず静かに食べていく様子を宇佐美は見つめる。
「ふ〜ん……」
宇佐美の声が聞こえて、まじまじと見つめられていたことに気付いた。視線だけでちらりと宇佐美を盗み見て、少し急いで咀嚼して飲み込む。
「ん……なんですか」
「べつに? はあ〜〜そんな量の飯、早く食べちゃいなよ」
宇佐美は退屈そうに机を指でトントン叩く。退屈なら戻ればいいのに。音に急かされ食べるスピードを早めた。さっさと食べてさっさと帰ってもらおう。
黙々と咀嚼しながら、そういえば尾形さんは顎を骨折したみたいだけどなに食べてるのかなあ、なんてどうでもいいことが思い浮かんだ。一種の現実逃避かな、これは。
「ごちそうさまでした」
食べ始めと同様に手を合わせる。しかし食器は一向に下げられることはなく、宇佐美は座り続けている。名前が宇佐美に視線を向けると、彼は口を開いた。
「白米に玄米混ぜろとか肉を増やせとか言ってたけど、あれなんで?」
あれ、なぜ宇佐美さんがそのことを知ってるんだろう。そう思ったが、そういえばこの話していた時に隣の部屋の薪ストーブで宇佐美が暖をとっていたことをすぐさま思い出した。
でも、だからなんだというんだ。そんなにおかしなことを言っていただろうか。
「なんで、とは」
「はぁ、脚気って知ってる?」
「かっけ?」
「流行病だよ。原因はわからないけど陸軍はそれに罹る兵士が多いんだ」
「ああ、病の脚気」
「なんだよ、知ってんじゃん」
脚気は明治から大正にかけて大流行した病だ。原因はビタミンB1不足。ビタミンB1が多く含まれる食材と言えば……豚肉や玄米や枝豆だったか。なるほど、そうか、と勝手に納得する。どうやら余計なお節介は名前にとっても余計だったようだ。あーあ、余計なことを言ってしまったな。
「海軍は五割の麦飯にカレーをかけて食べたら脚気患者が減ったらしい」
「へえ、お詳しいですね」
「……海軍の司令官とこのボンボンが第七師団にいるからね」
「なるほど」
どうして海軍のボンボンが陸軍に……と思ったが、宇佐美が嫌そうな顔で舌打ちしていたので聞かないことにした。触らぬ神に祟りなし。
「で、お前がいた百年後の未来でも脚気って流行してるの?」
「いや、全く聞かないですね。どこかにいるんでしょうけど」
「じゃあ、なんでお前はそんな聞きなれない珍しい病気を知ってて、予防法まで知ってんの?」
しまった、と思った。ダンッと机を叩かれ食器が跳ね、宇佐美に詰め寄られる。め、目力こわい。こわい人は鶴見だけではなかった、さすが腹心の部下のひとり。
「あ。嘘、つかないって言ったよね?」
目の前で首をコテンと傾げる宇佐美。可愛いなんて感想は全く出てこなかった。
うん、言った、嘘つかないって。鶴見に助けを求めた時に、名前はたしかに言っていた。
「お前、頭いいだろ? 飯の食い方も馬鹿みたいに丁寧で育ちの良さが滲み出てるって感じ。はあ〜〜お前もお嬢様かよ、ムカつく」
名前は嘘が下手だ。宇佐美に恐怖心を煽られながらそう言われたら、本当のこと言うしかないと思ってしまう。すご〜く言いたくないけど。
「あ〜……、医者家系、だからですかね。余計なお節介も、医者の娘だから、つい、みたいな。あはは」
「へえ! 医者の娘! ははっ、納得!」
宇佐美は返答に満足したのか、立ち上がり食器の乗った盆を手にして扉に向かう。
「教えてくれてありがと〜! あ、お前のこと愛してるよ。それじゃ」
取ってつけたような愛の言葉を言って、宇佐美は颯爽と去っていった。私は愛してないし愛する予定もないし、二度と来なくていいですぅ〜! と心の中で元気に悪態をつく。本人に言えって? 言えるわけがないじゃん。