結局ハマナスの実を収穫した周辺ではアシㇼパを見つけることができず、杉元達は海辺に戻った。浜辺を歩いていると焚き火の灯りが見え、その近くにアシㇼパとインカㇻマッ、そして先に合流したらしい谷垣がいた。
「あ! いたいた。アシㇼパちゃんだ」
「よかった……無事だったか」
やっとアシㇼパを見つけることができて、杉元は安堵したような声で言った。その声でこちらに気づいたインカㇻマッがなぜか目を見開き体をこわばらせる。アシㇼパも振り返ると鋭い視線を向けた。
「キロランケニㇱパが私の父を殺したのか?」
アシㇼパの突然の発言に、場は静まり返った。キロランケは驚き目を見開いている。
「俺が? なんだよいきなり……」
「……証拠は、馬券に付いた指紋です」
「インカㇻマッ……!?」
インカㇻマッはそう言うと一枚の馬券を取り出した。どうやらアシㇼパに『キロランケがアシㇼパの父を殺した』と吹き込んだのはインカㇻマッのようだ。だが、これが事実かどうかはまだわからない。
インカㇻマッは証拠に指紋をあげたが、多数が指紋という言葉に困惑している。名前がいた現代では当たり前に行われている指紋鑑定だが、この時代ではあまり普及していないようだ。
「指紋は人によってそれぞれ模様が異なるため、外国ではすでに数年前から犯罪捜査に利用されています。……あなたなら知っているはずです、名前さん」
「え、あ……そう、ですね。いつからかは正確にはわかりませんが、私が元いた時代では指紋は個人を特定する上で重要な証拠のひとつです」
突然話を振られて、名前は反射的に指紋について話してしまった。意図せずにインカㇻマッの肩を持つようなことをしてしまったかもしれない。そのことに少し不安になりチラリと尾形を見たが、彼は真剣な面持ちでインカㇻマッの話を聞いていた。
「わたしは苫小牧の競馬場で男性方の指紋を採取し照合を依頼したところ、キロランケさんの指紋が数年前ある場所で採取されたものと一致しました。……アシㇼパちゃんのお父様が殺害された現場です」
インカㇻマッの衝撃的な発言に、皆は驚きキロランケに視線を向けた。続けてアシㇼパがキロランケに問いかける。
「遺品のマキリの刃に指紋が付いていたそうだ。父とは何年も会っていないと言っていたよな?」
「おいおい、俺が犯人なら監獄にいるのっぺら坊は何者だよ?」
「極東ロシアの独立資金にアイヌの金塊を持ち出そうとした、あなたのお仲間の誰かでは?」
アシㇼパとインカㇻマッがキロランケを問い詰めていく。インカㇻマッの話が本当ならば『のっぺらぼうはアシㇼパの父』という大前提が覆されてしまう。だが、指紋は証拠能力が高いがインカㇻマッの話自体が嘘の可能性もある。何を、誰を、信じればいいのだろう。
「ちょっと待った」
待ったをかけたのは意外にも尾形だった。肩から小銃を下ろす尾形を見て、名前は目を見開く。
「この女、鶴見中尉と通じてるぞ」
尾形は迷いなくインカㇻマッに銃口を向ける。すかさず谷垣がインカㇻマッを庇うように前に出た。
名前は突然出てきた鶴見の名に動揺していた。余計にどうしたらいいのかわからなくなって、ただただ彼らを見ていることしかできない。
「よせッ、何を根拠に……!」
「谷垣源次郎〜、色仕掛けで丸め込まれたか?」
尾形はニタニタと笑いながら谷垣をなじった。そして、遺留品を回収したのは鶴見中尉だと……つまり鶴見中尉だけが指紋の記録を持っていると尾形が言うと、谷垣は目を見開き振り返った。谷垣の背後にいるインカㇻマッが不敵に微笑んでいる。
「鶴見中尉を利用しただけです」
「…………」
「大した女だな? 谷垣よ……」
インカㇻマッが鶴見と通じていることを認める発言に、谷垣は息を呑んだ。
このままでは尾形が本当にインカㇻマッを撃ちかねない。名前はそう思ったが、尾形の外套を控えめに掴むのが精一杯だった。誰か、誰か止めてほしい。名前がそう思っていると、キロランケがふたりの間に割り込み尾形に手のひらを向けて制止した。そして尾形が銃口を下げたのを見て、名前はほっと胸を撫で下ろした。
「俺の指紋と一致したなんて、鶴見中尉の情報を信じるのか? 殺し合えば鶴見中尉の思うツボだ。この状況がやつの狙いだろ?」
キロランケは一同を見回しながら言い、そしてアシㇼパを見つめた。
「アシㇼパ……父親がのっぺら坊じゃないと信じたい気持ちはよくわかる。でもあんな暗号を仕掛けられる男が、この世に何人もいるはずない。アシㇼパだって、あの父親ならやりかねないと……そう思っているんだろ?」
キロランケの言葉にアシㇼパの瞳が揺らぐ。インカㇻマッとキロランケ、どちらを信じればいいのか……アシㇼパも悩んでいるのだろう。そしてこの場にいる皆も、同じように思っているのだろう。
「白石、この中で『監獄にいたのっぺら坊』と会ってるのはお前だけだよな?」
「本当にアシㇼパさんと同じ青い目だったのか?」
尾形と杉元が白石に問う。
「え? 俺は一度も青い目なんて言ってねえぞ。あんな気持ち悪い顔、マジマジと見たことねえよ」
白石は冷や汗をかきながら応える。土方歳三が前にそれっぽいこと言ってた気がする、のっぺら坊は黙々と入れ墨を彫るだけで脱獄の計画はすべて土方歳三を通して俺たち囚人に伝えられた、と白石は続けた。
……ひょっとして、すべて土方歳三が仕組んだことなのでは?
この場にいる何人かはそう思ったはずだ。インカㇻマッとキロランケだけではなく、土方までもが信用してもいいのかわからなくなってしまった。
インカㇻマッの話は本当なのか。キロランケがアシㇼパの父を殺したのか。のっぺら坊がアシㇼパの父なのか。結論は出ないまま、この場での話は終わった。
◇
ところ変わって釧路町。あの騒動の後だ、雰囲気はあまりよくはない。キロランケは「俺の目的はインカラマッと同じはずだ」と言ったが、誰も何も言わない。名前も皆も、その言葉が嘘か真実か疑っているのだろう。
「それで……どうすんだよ。みんな疑心暗鬼のままだぜ?」
「誰かに寝首をかかれるのは勘弁だな」
白石の発言に尾形が続ける。この先、誰かが誰かを陥れようとするのだろうか。いや、もうすでに陥れようとしているのかもしれない。なんだか不安になり横目で尾形を見ると、はたりと目が合った。
「名前、お前もそう思うだろ?」
「え、いやあ……その、ははは……」
そう言われても、名前は空笑いで誤魔化すしかできなかった。いや、笑い事じゃないだろ。そう思いキュッと口を噤むと、場はシン……と静まり返った。
「行くしかねえだろ」
静寂を破ったのは杉元だ。のっぺら坊に会えば全部ハッキリする、網走監獄へ行くのは最初からずっと変わらない。杉元はそう語る。
「インカㇻマッとキロランケ、旅の道中もしどちらかが殺されたら……俺は自動的に残った方を殺す!! これでいいな!?」
杉元の発言に、場の空気は凍りついた。杉元は発言に似合わぬ笑みを浮かべている。が、目は笑っていない。杉元の危うい一面が垣間見え、名前はぞくりとした。
「なんてなッ!! アッハッハ……」
杉元はカラカラと笑っているが、一同のほとんどが青い顔をして杉元を見ていた。恐ろしい、だが牽制としては効果覿面だっただろう。杉元の発言に反論するものがいないのが何よりもの証拠だ。きっと杉元なら本当に殺す。しばらくは誰かが寝首をかくこともないと思いたい。
場の空気は先ほどよりはマシにはなった程度だが、マシになっただけいいじゃないか。そうだ、根は優しい杉元が憎まれ役を買って出てくれたと思うことにしよう。きっとなるようになる、いや、なるようにしかならない。名前は恐怖心を振り切るように頭を振り、両の頬をぺちりと叩いて自身に喝を入れた。