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 杉元らは山道を歩いて網走方面へと向かっていた。

 再び大所帯になったこの集団は街ではかなり目立ってしまう。第七師団に目撃証言から追われぬよう人目を避けるべきだ。大きな街で刺青囚人の情報を集める必要もあるが、街に行くのは最小限かつ少人数が望ましいだろう。……それに旅にはお金がかかる、街で外食を繰り返し湯に浸かり宿に泊ってばかりいるわけにもいかないのだ。
 そのため、一同はアシㇼパの馴染みのコタンに寄りつつ野営をし、猟とインカㇻマッの占いで路銀を稼ぎながら網走監獄を目指すことになった。まずは塘路湖付近にあるフチの二番目の姉の息子がいるコタンに向かうそうだ。

 釧路から塘路湖までは約三十キロ。単純計算ならば歩き続ければ一日で到着できる距離だが、ここは山道だ。足場が悪く思うようには進めない。休息や食事を挟んでは一日で着くはずもなく、目的のコタンに着く前に日が沈み始めてしまった。今日はさっそく野営になりそうだ。

 食事を終え、焚き火を囲って各々就寝の準備を始める。誰もが不信感を拭えずにいるのもあって、各派閥で固まっているように思える。杉元達三人、アシㇼパ探しの旅をしていた谷垣達、先日合流したキロランケ……そして尾形。

 名前は山道を歩きながら考えていた。これからどうすればいいのか。誰を、何を、信じればいいのか。鶴見から逃げるには、生き延びるためには……。今まで成り行き任せに鶴見から逃げる旅をしてきたが、はたしてこのままでいいのだろうか、と。
 けれど、考えても考えても結論は出なくて、今もギリギリまで焚き火で暖を取るふりをしながら考え続けている。パチパチと爆ぜる炎を見つめているとポンと誰かに肩を叩かれ、突然のことに肩が小さく跳ねた。振り返るとまず視界に入ったのは薄汚れは生成りの外套。視線を上げると尾形が読めない表情でこちらを見つめていた。

「寝ないのか」
「あ、はい、そろそろ寝ようかと……」
「早く寝ろ。明日、早々にへばられても困る」
「あ、はい……」

 尾形に手首を掴まれ腕を引かれる。そのまま皆から少し離れたところまで連れてかれると、尾形はパッと手を離して名前に背を向けて横になってしまった。
 連れられたのに放られて、名前は困惑した。どうしよう、そう思いながら尾形の背を見つめる。いつもなら、尾形のすぐ側で寝ていた。あわよくば、よく寝れるからと体を寄せたりもした。……考えてもわからないのならば、現状維持でもいいのではないだろうか。なんて都合よく考えた名前は、ゆっくりと尾形のすぐ近くで寝床の準備を始めた。



 尾形に背を向け横になりしばらく経ったが、今夜もなかなか寝つけずにいた。昨日の今日で文字通り寝首を掻く……眠っている間に首を切るような人はいないとは思うが、拭いきれない不信感からいつにも増して寝つきが悪いように思う。
 木々がさざめく音と皆の寝息がかすかに聞こえてくる。辺りは静かだ。きっと皆はすっかり寝入っているのだろう。
 意を決し、静かに、ゆっくりと寝返りを打って尾形の方を向く。そっと尾形に近づき、彼の背にこつりと控えめに額を当てた。たったそれだけ。尾形が抵抗も何もしないのをいいことに、寝れない時はいつもこうしていた。

 だが今日は尾形がもぞりと動いて、驚いた名前は尾形から額を離した。いつもはこんなことなかったのに、どうして。初めてのことに、名前の心臓がバクバクと跳ねる。
 布が擦れる音がひどく大きく感じる。夜目が効かない名前にはうっすらとしか見えないが、どうやら尾形は名前の方に体を向けたようだ。尾形に頬に手を添えられ、肩が跳ねた。

「阿呆か、お前は」
「え、あほ……!?」

 突然の罵倒に困惑していると、唇に柔らかいものが一瞬触れて離れていった。尾形は阿呆だと言ったが、何をされたかわからないほど名前は馬鹿でも阿呆でもない。先日の出来事が頭によぎり名前が固まっていると、尾形の指がするりと名前の唇と撫でた。

「いいのか? 何されても文句は言えねえぞ」
「…………っ!」

 尾形の言葉に顔がカッと熱くなるのを感じる。ちがう、ちがうんだ。こうすると落ち着くから、よく眠れるから、尾形が好きにしろと言ったから、それだけだ。何かされたかったわけでも、何かされるためでもない。
 予想外の出来事の連続に何と言ったら、どうしたらいいのかがわからない。混乱した頭で必死に考えていると尾形の顔が迫ってきて、慌てた名前はあろうことか尾形の胸に顔をうずめて逃げた。突き放すとか頬を叩くとかではなく、迫る本人の胸に逃げ込んだのだ。

「……」
「…………」
「はぁ〜〜……」

 名前の頭上から呆れたような深いため息が聞こえた。うん、自分でも馬鹿だと思った。やはり名前は馬鹿で阿呆だったかもしれない。少しの間で変に冷静になって今更ながら身を捩り離れようとしたら、名前の背に尾形の手がまわり抱き込まれた。

「お前が俺の想像を勝る阿呆なのは、よ〜〜くわかった」
「…………」
「もういい、いいから寝ろ」

 尾形は寝かしつけるように名前の背をぽんぽんと叩く。もう、何をしようって気はなさそうだ。名前は忙しなく動く心臓の音を無視して、そのまま尾形に身を任せて目をギュッと瞑った。



 そしてそのまま、気がついたら朝だった。いつも通り他の皆より遅い起床、そして側に尾形はいない。の、だが。近くにいないどころか尾形がどこにもいない。

「尾形なら銃を持ってふらっとどこかに行ったぞ」
「っ! そう、ですか」

 尾形を探すようにキョロキョロと辺りを見回していたからか、焚き火の番をしていたアシㇼパが教えてくれた。銃を持って、ということは銃猟にでも行ったのだろうか。
 ふと昨夜のことが頭によぎる。なんだか気恥ずかしくて、尾形が近くにいなくてよかったと名前はひっそり思った。

 どうやら尾形に限らず男達は猟に出たらしい。名前はとくにやることもなくて焚き火で暖を取っていると、目の前にいるアシㇼパが目を丸くしてこちらを見ていた。なんだろう。アシㇼパの顔を見て首を傾げていると、名前の顔の真横から突然ヌッと茶色い物体が現れた。

「ひっ、ぎぃやあッ!?」

 なに!? 生き物ッ!? 驚いて勢いよく振り返ると、茶色い物体を手に持つ尾形が背後に立っていた。名前はバクバクうるさい胸を押さえ、尾形を見上げる。

「な、なんですかっ!?」
「見りゃわかんだろ」
「と、とり、かも? ……カモ!? 鴨かも!!」
「うるせえな……」

 先ほどは驚きすぎてなんなのかわからなかったが、茶色い物体はよく見ると鳥……よくよく見ると鴨だと名前は気づいた。鴨だとわかった瞬間、名前は打って変わって目を輝かせた。

「私の! 大好きな鴨っ!!」

 名前が迷いなく鴨をガッシリ掴むと、尾形は目を丸くした。……しまった、がっつきすぎたかもしれない。けど仕方がないじゃないか。尾形が鴨を獲ってきてくれたのだから。嬉しくて嬉しくて仕方がない。
 アシㇼパに「さっそく鴨鍋が作れるな」と言われ、頬が緩んだ。名前は満面の笑みで尾形を見上げる。

「尾形さん! 鴨を獲ってきてくれてありがとうございます!」
「……別に。鴨鍋、作ってくれるんだろ」
「はい! 頑張って作りますっ!」
「そうかい」

 上機嫌で鴨の解体の準備を始めた名前を見て、尾形はそっと髪を撫で上げた。



 意気揚々と鴨の解体を始めた名前だったが、人生で四度目そして久々の解体作業に少々手間取っていた。誰がどう見ても悪戦苦闘している名前を見て、アシㇼパは手伝おうと手を伸ばす。

「大丈夫か? そこは――」
「名前、ここはこうするんだ」

 すると突然、尾形が割って入った。背後からナイフを持つ名前の手を握り込む。「鴨、左手でしっかり持ってろ」と名前の耳元で呟くと、ナイフを名前の手ごと握り込んだまま鴨に刃を立てた。肉を断つ感覚が手に伝う。
 ……あの時は聞いても頑なに教えてくれなかったのに。待ちきれなくなったのだろうか。名前はそう思いながら、尾形によって捌かれていく鴨を見ながら手順を頭に叩き込んでいく。

「尾形さん、ありがとうございます」
「……後はひとりでできるよな?」
「できる、はず」

 名前の言葉を聞くと、尾形は名前の手を離し立ち上がった。

「……だとよ」

 尾形はアシㇼパに、そして周りを見回すように視線を向ける。その周りを牽制するような視線に、解体するのに必死な名前は気づくことはなかった。
- hakushi -