すっかり日が暮れ、各々情報収集や狩猟に出ていた人たちもチセに戻ってきていた。これから夕飯の準備だ。先ほど狩猟したフクロウを見た瞬間、フチの妹の息子は声を荒げた。
「おいアシㇼパ! このカムイ、目を撃たれてるじゃないかッ! 知らねえぞコレ!!」
「あの男が撃っちゃった」
「ンンッ! ……ふ、くっ」
杉元が「ナイショにして」と言っていたのに、アシㇼパはフチの妹の息子にあっさり話してしまった。尾形に直接言ってはいないが、どう考えても丸聞こえである。
尾形は真顔で杉元を見つめている。この流れがおかしくて、名前は笑いを堪えるのに必死だ。
「おい名前、何笑ってんだ」
「いや、その〜ナイショというか、ふふ……ッ」
駄目だ、笑いのツボに入ってしまったらしい。口を開くと笑いが溢れてしまう。名前はくつくつと笑いながら口を押さえてうつむいた。声は抑えられたものの、どうしても肩が揺れてしまう。
先ほどまで杉元を見つめていた尾形が名前の顔を覗き込んできた。目の前に、圧を感じる真顔。底知れぬ真っ黒な瞳に見つめられ、ヒュッと笑いが引っ込んだ。
「俺には言えないってのか、冷てえな」
「っ、えっとですね……アシㇼパちゃんに『目は傷つけるな』と言われたのに杉元さんが大命中させちゃったから、尾形さんにはナイショにしてって話だったんですけど……」
尾形の低い声に驚き、名前はおろおろと事の成り行きを話してしまった。しかし尾形は何も言わない。沈黙が、なんだか重い。何を考えているのかわからない尾形を見つめ、名前はゴクリと唾を飲み込んだ。
「も〜〜名前さ〜ん! ナイショにしてって言ったのに〜!」
「ワ! スミマセン、スギモトサン! ハ、ハハハッ」
ぷりぷりと怒りだした杉元に、名前は慌てて謝罪する。思いがけず声をかけられて、つい感情のない言い方になってしまった。なんだか色々申し訳なくて、空笑いが出る。
だが、杉元のおかげか先ほどの尾形と名前の間にあった重たい空気は吹っ飛んでいったようだ。尾形がハア、と軽いため息をつく。
「今日はアイツらについて行ったのか」
「あ、はい、森に仕掛けた罠の確認に。……駄目でした?」
「…………いや」
尾形は名前からふいっと顔をそむけ、フクロウに視線を向けた。本当に、何を考えているんだか。名前もつられてフクロウを見つめる。何度見てもフクロウの目に見事に命中してしまっている。ついフッと笑ってしまうと、尾形の視線が名前に向いた。
「やっぱり、尾形さんのほうが銃の扱いは上の上ですね」
「当たり前だろ」
尾形なら当てるなと言われたところには当てないだろう。むしろ当てろと言ったところに命中させるくらいお手のものなはずだ。謙遜することなく髪をかき上げる尾形を見て、名前は笑みをこぼした。
「心臓は生で食べる……コリコリして美味い。気管を中心に舌などはチタタㇷ゚にする。チタタㇷ゚には脳みそも加える」
出た、チタタプ! 二本の刃物を持つアシㇼパを見て、名前のテンションが密かに上がった。最初は抵抗があった生食も脳ミソも、今となっては慣れたものだ。
アシㇼパは解体したフクロウの器官を丸太状のまな板の上に乗せると、谷垣を座らせ刃物を両手に持たせた。
「谷垣、お前まだチタタㇷ゚やってないな? フチのところでやらなかったのか?」
「チタタプ処女かよ、源次郎ちゃん」
「チタタプってきちんと言えるかなぁ?」
白石と杉元がわちゃわちゃと谷垣を茶化す。皆に見つめられる中、谷垣はチタタプチタタプと言いながら肉を叩き始めた。緊張しているのか、はたまたリズム感がないのか、肉を叩くテンポが時々乱れる。それでも上手にチタタㇷ゚する谷垣を見て、名前はのんきにパチパチと拍手をしていた。
そして全員で肉を叩き、無事にコタンコㇿカムイのチタタㇷ゚が完成した。どうやら今回はオハウに入れることなくそのまま食べるようだ。
アシㇼパはチタタㇷ゚を器に盛り、匙ですくって差し出した。
「クチ開けろ」
「すっかり餌付けされてる」
アシㇼパは次々と杉元、白石、そして尾形にチタタㇷ゚を食べさせていく。仲良く横並びで口を開けて待つ彼らは鳥の雛のように見える。名前にとっては見慣れた光景になりつつあるが、チタタㇷ゚初心者の谷垣は少し動揺しているようにも見える。なんだか懐かしい反応で、自然と笑みが溢れる。
「ほら、名前もクチを開けろ」
「えっ……と」
アシㇼパに匙を差し出され、名前は尻込んだ。チタタㇷ゚にも慣れた、生食にも脳ミソにもそこまで抵抗はない。食べようと思えば食べれる。……だが、使われている匙はひとつ。
「これって間接キ……いやなんでもないです」
いい歳して小学生みたいなことが思い浮かんだが、今更だし気にするのも馬鹿らしいとすぐに考え直してすぐさま差し出されたチタタㇷ゚を口にした。黙々と咀嚼しながら男性陣をチラリと見ると、名前の発言にこれまたピンと来たのか白石が目を輝かせていた。
「アシㇼパちゃん! 早く! 俺にちょーだいっ!!」
「なんだ、そんなに美味かったのか?」
たぶん何も気づいていないアシㇼパはチタタㇷ゚をすくった匙を白石に向けた。――が、すかさず尾形が横からパクリと食べてしまった。……え? な、なにが起きたんだ? 名前は尾形の不可解な行動に動揺した。尾形はゆっくりと咀嚼しながら視線だけを名前によこす。その視線に名前はたじろいでしまった。
チタタㇷ゚はまだ沢山あるのに、どうしてこのタイミングで。尾形は名前の言った言葉の意味に気づいているのだろうか。いや、尾形は気づいていようとなかろうと、そんなこと気にするわけがない。ただの偶然、ただの気まぐれ。そう思っても尾形の行動に『間接キス』という言葉が浮かび、勝手にドキドキしてしまう。尾形から、目が離せない。ゴクリと飲み込む尾形の喉の動きに、また心臓が跳ねた。
「あとはお前らだけで食え」
尾形は立ち上がると、名前の手を引きその場から離れた。名前は手を引かれるがままついていく。尾形の行動が、本当にわからない。
「あ、あいかわらず食いしん坊ですね……?」
「ふん」
「…………ええと」
「あんなの、俺と名前にとってはいつものことだろ」
「そう、でしたね」
名前の目を見つめ、なんてことないように尾形は言う。そう、いつものこと。尾形は名前の分の食事をいつも横からかっさらって食べてしまう。名前だって尾形が箸をつけたものを気にせず食べてきた。……やっぱり考えすぎだったかも。名前は少し熱くなった気がする頬を押さえ、これはいつものことだと無理やり納得することにした。
夕飯が済み、辺りはすっかり暗くなった。夜空に浮かぶ月がだんだんと細くなってきている。新月の夜が近づくにつれ、コタンや杉元一同の緊張感が日に日に増してきていると名前は感じていた。
盗賊が襲いくる新月の夜に備えて話し合っていると、突然外からギャアッ! と生き物の叫ぶ声が聞こえてきた。どうやらこのコタンで育てられているコタンコㇿカムイが叫んだようだ。
――コタンコㇿカムイは村を守護するカムイで、闇の奥から忍び寄る魔物を大声で怒鳴りつける。
これは先ほどアシㇼパが話したことだ。まだ新月の夜ではないが、盲目の盗賊がきたのかもしれない。杉元、谷垣、そして尾形はすぐさま小銃を手に取り外に出た。……だが、外には誰もいなかったようだ。名前も一足遅れて外に出てみたが、辺りはシンとして静かだ。
フチの妹の息子は「イタチか何かが近づいたのだろう」と言った。盲目の盗賊らは用心深く、集団で村を襲う時は必ず月の出ない新月に襲ってくるらしい。どうやら良くも悪くも早とちりだったようだ。
「はあ〜、心臓に悪いなあ……」
名前は緊張して鼓動が早まった胸を押さえ、ため息をついた。フチの妹の息子はああ言ったが、新月の夜までは気が気じゃない日々が続くだろう。常に気を張り、何か異変があるたびに臨戦態勢になっては心身ともに疲弊してしまう。
「新月までこの村で待ちぶせる必要は無いだろう」
「確かに、奴らの寝床を見つけた方が手っ取り早い」
尾形の言葉に杉元が同意する。
「昼間に奇製をかけりゃすぐにカタがつく」
たしかに、奴らが有利な新月の夜に襲撃されるのを待たずに、こちらが有利な昼に奇襲をかけるほうがいいだろう。だが、問題は盲目の盗賊の隠れ家がどこにあるかだ。
「この近くに和人が経営する温泉旅館がある。なにか聞けるかもな」
フチの妹の息子にそう言われ、明日は全員で温泉旅館へ行き情報収集をすることになった。……そう、情報収集のためだ。だが名前は『温泉旅館』という言葉に密かに胸を躍らせていた。