駆け足で森を進み、尾形は足を止めた。尾形は掴んでいた手を肩へ滑らせ、小さく耳打ちする。
「静かに。都丹庵士だけが銃を持っている。身を隠せ」
尾形の簡潔な言葉に名前はこくこくと頷いた。だがこの暗闇では伝わらないだろうと思い、肯定の意味を込めて尾形の手をトンと軽く叩く。尾形に肩を押されて木陰にしゃがみ込むと、肩に触れていた手が離れていった。途端に静寂な暗闇にひとり取り残されたような不安な気持ちが膨らんでいく。すぐ近くから、かすかにキン……と小銃を操作する音が聞こえた。……大丈夫、見えなくても尾形はすぐ近くにいる。
「たいまつに近づくなッ! 銃を持ってる奴がいるぞッ!!」
遠くで誰かが叫んだ瞬間、すぐ近くからドンッ! と発砲音が鳴った。尾形が撃ったのだ。瞬時に尾形は名前に体を寄せるように木陰に身を隠す。
「叫ぶな」
「……っ!」
尾形が耳元で囁いた瞬間、遠くからの発砲音とともに周囲の木々に着弾する音が鳴り響いた。今の一発で居場所がバレてしまったのだろう。名前は悲鳴を押し込むように両手で口を強く押さえ、尾形にすがるように震えて縮こまった。心臓の音が、周囲に聞こえてしまってるのではないかと思うくらいうるさい。
やたら長く感じた着弾の音が止み、すぐさま尾形が立ち上がる。尾形がどこかに行ってしまうような気がしてしまい、名前は咄嗟に尾形の脚にしがみついた。そして、今更ながらしがみついた脚が何もまとっていないことにハッとする。尾形の今の姿を想像し、名前の心臓が別の意味で跳ねた。
「……何も見えんな」
そう、何も見えない。見えていないけれども、すぐ目の前にいるであろう尾形が全裸なことを思い出し、名前は密かに顔を真っ赤にさせた。
ガサガサと茂みをかき分ける音がする。これは敵か、味方か。カンカン、と下駄のような音がだんだんと遠ざかる。
「移動するぞ」
尾形は手探りで名前に触れる。名前がその手を掴むと、尾形は弾が飛んできた方向から離れるように黙々と歩みを進めた。
しばらく森を進み、ふたりは先ほどと同じように木陰に身を隠した。草木の音も下駄のような音も聞こえず、とても静かだ。この辺りに敵はいないと思っていいだろう。無言を貫いていた尾形が口を開いた。
「弾はあと四発、無駄にはできん。夜が明けるまで待つぞ」
「っ、……はい」
周りに聞こえないよう耳元で囁かれ、うわずった声が出てしまった。……どうしよう、尾形が全裸なことを思い出してから、変に意識してしまっている。尾形のかすれた声に、かすめる吐息に、時折り触れる素肌に、暗闇の中に尾形の存在を強烈に感じてしまう。
あまりの近さに距離を取ろうとゆっくり体を離していくと、尾形は名前の肩をグッと掴んで引き寄せた。余計に体が密着してしまい、思わず息を呑む。顔が熱い、鼓動が耳に響く。
暗闇のせいで敵が見えずに苦しめられているというのに、暗闇のおかげで尾形の姿を見ることや真っ赤になった顔が見れることに少し安堵してしまっていた。
長い時間をかけ、空がほのかに赤くなり始めた。……夜明けだ。だが、名前は素直に喜べなかった。敵とともに尾形の姿が、名前の姿が見えてしまう。名前は尾形を見ないように顔を背け、身を縮ませた。
辺りが明るくなり始めると尾形はすぐさま立ち上がり小銃を構えたようだ。銃撃音、そしてボルトを操作する音が聞こえ、辺りは徐々に騒がしくなっていく。
「行くぞ」
尾形に腕を引かれ顔を上げると、薄暗い中に尾形の顔と鍛え上げられた素肌が目に飛び込んだ。名前は慌てて顔をそらし、ただひたすら地面だけを見つめて駆けた。
場所を移し、尾形はしゃがみ込むと小銃を構えて射撃した。
「もうちょっと明るければ外さなかったのに。あと二発か……」
ジャキンとボルトを操作しながら尾形は呟く。どうやら珍しく貴重な弾を外してしまったらしい。
夜が明け始めてから尾形は二発撃っているが、敵からの反撃は一度もない。茂みをかき分けるように走る音がそこら中から聞こえてくる。
「ははぁ、夜明けに気づいて逃げるつもりだな。奴らにアジトまで案内してもらおうか」
尾形は縮こまる名前の背を叩くと、盲目の盗賊らを追って走り始めた。このままでは尾形が行ってしまう……! 互いの姿が見えてしまうのは恥ずかしい、だがそれよりも置いてかれるほうがイヤだ! 名前は慌てて立ち上がり、できるだけ尾形の足だけを視界に入れるように意識して彼の背を追った。
盲目の盗賊らを追いアジトを突き詰めた頃、すっかり夜が明けて眩しいくらいの朝日が差し始めていた。盗賊らのアジトは予想通り、森に点在している廃旅館のひとつだった。戸も窓もすべて木板で覆われていて、中の様子は全く見えない。
尾形は木の陰から廃旅館を見つめている。名前はその木の幹の裏側で、膝を抱えてうずくまっていた。忙しなく髪に触れ、何度も湯浴み着の襟元をギュッと手繰り寄せる。
しばらくすると、足音が聞こえてきた。その音はどんどんと近づいてくる。
「尾形だ」
「す、杉元さ……ッ!」
「えっ! 名前さんッ!?」
聞き覚えのある声が聞こえて、名前は顔を出した。が、全裸で駆け寄る杉元が目に飛び込み、すぐさま木の陰に身を隠して顔を両手で覆った。馬鹿っ、尾形が全裸なら杉元も全裸に決まってるじゃん! どうして皆そんなに堂々としているんだ……!!
「よかった、名前も無事だったんだな」
「あ、アシㇼパちゃん……!」
心配そうに駆け寄ってきたアシㇼパを見て、名前は顔を明るくした。久々にまともに人の顔を見れた気がする。服を着ている女の子というだけで女神にも見えてくる。
「都丹庵士と手下二名が建物に入っていった。あの廃旅館が
奴らのアジトだ」
「銃を取りに戻っていたら逃げられる。このまま突入して一気にカタをつける」
尾形は冷静かつ簡潔に現状を報告した。突入するとのことだが、残弾二発の尾形と丸腰の杉元、突入するのは危険だと名前は思った。だが、逃げられるのも時間の問題なのも事実だろう。
「アシㇼパさんは外で待機しててくれ。名前さんは、」
「名前、お前はここで待ってろ」
「は、はい! お気をつけて……!」
尾形に待機するよう指示されて、名前は木の陰から声だけを出して返事をした。戦線から外れたことに安心したと同時に、この場で何も力になれないことに少し申し訳なさも感じた。
廃旅館へ向かう三人の足音が遠ざかっていく。名前が息をついたのも束の間、バァン! と勢いよく戸が閉まる音とアシㇼパが杉元を呼ぶ声が耳に飛び込んだ。廃旅館に視線を向けると、アシㇼパが必死に戸を開けようとしている。
「アシㇼパちゃん!」
「戸が開かない……」
慌てて名前も戸を力一杯引いてみたが、びくともしない。廃旅館の中から銃声と叫び声、そしてドタドタと駆ける音が聞こえてきた。杉元と尾形が閉じ込められてしまった……!
「ど、どうしよう……!」
「どこか開くところがあるか探そう!」
アシㇼパが廃旅館に沿って右方向に走って行くのを見て、名前は逆回りに駆けていった。窓は外からも中からも板が打ちつけられていてる。板を掴んで引っ張ってみても、名前の力ではひとつも外すことができない。ぐるりと廃旅館の裏に回ると、アシㇼパが裏口の戸を開けて中に入ろうとしていた。
「待って、危ないよ!」
「私は中に入る。名前は待っててくれ」
「……っ、アシㇼパちゃん」
中は危険だ。心配そうにアシㇼパを見つめていると、アシㇼパはスッと手のひらを差し出した。……ペカンペだ。おそらくアシㇼパはペカンペを床に撒くつもりなのだろう。
「大丈夫だ。名前は他に誰かが来たら、私たちが……都丹庵士が中にいることを伝えてくれ」
「……わかった。気をつけてね」
アシㇼパは強い、きっと大丈夫。杉元と尾形の助けになるはずだ。谷垣やキロランケが来た時に現状を伝える誰かが必要ならば、中に入ったところで役に立たない名前が待機するべきだ。……大丈夫、私にも役割がある。名前は不安な気持ちをぐっと押し込んでアシㇼパを見送った。
戸の前で、名前は耳を澄ませる。……廃旅館の中がいやに静かだ。アシㇼパは、無事に杉元か尾形と合流できただろうか。
他の誰かがくるのを今か今かと待ちわびていると、森から足音が聞こえてきて慌てて振り向いた。そこにいたのは、予想外の人物らであった。
「えっ! 土方さん、と永倉さん! 牛山さんも……っ!?」
白石奪還作戦ではぐれた彼らが、なぜここに。少し離れたところに白石とチカパシ、そしてリュウがいるのが見えて、サッと視線を土方に戻した。あのふたりと一匹が呼んできたのだろうか。いや、そんな短時間でどこにいたかもわからない土方たちを連れてこれるわけがない。
「話は後だ。中にいるんだろう?」
「は、はい……!」
土方は羽織っていた外套を名前の肩にかけて微笑んだ。土方のさりげない優しさに心打たれていると、中から銃声が聞こえてビクリと肩が跳ねる。バタバタと廃旅館の中が騒がしくなっていく。頼もしすぎる助太刀が来たからといって安心するのはまだ早い。
「状況は?」
「な、中で、暗闇のアジトの中で杉元と尾形が、都丹庵士が交戦中です。先ほどアシㇼパちゃんが助けに入りました。都丹庵士は、私たちを鉱山会社と取引して彼らを追っている……と思い込んでいます」
「そうか、ならば急がなければならないな。私たちには都丹庵士が必要だ」
名前がしどろもどろに状況を説明すると、土方は戸を開け放ち颯爽と廃旅館の中へと入っていった。