その後の展開は早かった。土方歳三の介入により、都丹庵士は戦うことをやめたのだ。
牛山が縁側に打ちつけられた木板をバキバキと剥がし、廃旅館の中に光が差す。牛山の後に続き中に入ると、牛山を見たアシㇼパが「チンポ先生ッ!」と嬉しそうに声を上げていた。呼び方があいかわらずだ。続いて奥から杉元の声が聞こえる。どうやらふたりは無事なようだ。
尾形はどこに、彼は無事なのだろうか。そう思い廃旅館の中をおそるおそる見回すと、廊下の奥から尾形が顔を出すのが見えて……慌てて視線を床に落とした。ペタペタと歩く音が近づき、何も履いていない素足が名前の視界に入る。……目の前にいる尾形は、何も身にまとっていない。
「お、お怪我はございませんか……?」
「見りゃわかるだろ」
「み……っ、見れるとお思いで……!?」
「ハハァ、粗末なもんは見れないと」
「ちょ、ちが……ちがくな……っ、うぐ……」
尾形のおちょくるような言葉に、名前はたじたじだ。恥ずかしげもなく堂々と、隠すそぶりを一切見せないのが余計にたちが悪い。焦りと動揺で鼓動が早くなっていく。……いや、誰だって目の前に全裸の異性がいたらこうなるだろう!
ジッと足元だけ見つめてなんとか尾形の無事を確認すると、
フッと低く笑う声が落ちてきた。これは、からかわれてる。尾形の余裕な態度がうらめしくも思った。
朝日が差す和室に、都丹が覚悟を決めたように座っている。
「杉元……、トニの処遇は我々に任せてはくれないか。お前たちを襲う心配はもう無いだろう」
杉元は都丹の刺青暗号を手に入れるため、そして周辺のアイヌの村のために盲目の盗賊を追っていた。都丹を捕えることに相当な時間と労力をかけた上に、怪我人も出ている。処遇を任せてほしいと言われたところで、はいそうですかとタダで都丹の身柄を引き渡すことはできないだろう。
殺して皮をひん剥いてくれたら安心だと杉元は言ったが、最終的に刺青暗号を写しと引き換えに都丹の処遇は土方たちに任せることになった。
そうして、盲目の盗賊の問題は一件落着となった。
森に潜伏していた谷垣とキロランケも遅れて登場し、岩風呂にいた全員の無事を確認できた。できたのだが……全員もれなく全裸だ。も、もう、キャパオーバーだ……。名前は耐えきれず両の手のひらで視界を閉ざした。この場には女性が三人もいるというのに、どうして、どうして……!
「ご無事で何よりなのですがっ、どうして、誰も、隠してくれないんですか……っ!」
「いや、でも名前ちゃんのその格好も……だいぶ…………」
白石の言葉に名前はハッとする。朝日にさらされた自身の姿を、今この瞬間、自身の目で見て自覚してしまったのだ。
一晩では乾ききらなかった湯浴み着が素肌にピタリと張りついている。肌は隠せているものの、濡れた布地が逆に体の線を浮き彫りにしていた。土方がかけてくれた外套はただ肩にかけていただけで、名前の姿はほとんど隠せていない。な、なんということだ。頭の中が真っ白に、顔はみるみると真っ赤になっていく。名前はぎこちない動きで男性陣に背を向け、熱くなった顔を手で覆った。
「も、もう……お嫁にいけない……」
嫁にいく気などさらさらないが、恥ずかしすぎてドがつくほど定番な言葉が名前の口から溢れた。今更ながら土方の外套を胸元にたぐり寄せる。
背後から打撃音とともに「アイタッ!!」と叫ぶ白石の声が聞こえた。そして近づく足音。左肩を誰かにポンと叩かれ、名前の体がかわいそうなくらいに跳ねた。おそるおそる視線だけを動かして見ると、尾形の真っ黒な瞳と目が合った。
「なら、俺が嫁にもらってやってもいいぜ」
「…………え?」
いま、なんて? 耳元で囁かれた言葉の意味がすぐに理解できなかった。尾形はなんて言った? なら、俺が、嫁に……? 聞き間違いでなければ、尾形はそう言った。
冗談、ですよね? という名前の言葉が音になる前に、尾形は踵を返して歩き出してしまった。名前の返事など聞く気はなかったのだろう。
振り返って全裸の尾形を追うなんてことは名前にはできず、ただただ地面を見つめて立ち尽くす。
「どうした、名前?」
「え、ううん、なんでも」
「わたしたちも旅館に戻りましょうか」
「そう、ですね……」
名前はアシㇼパとインカㇻマッとともに旅館へと戻っていった。
◇
旅館に戻った名前は、全裸の男たちと鉢合わせないよう岩風呂を経由せずに脱衣所へ向かった。脱いだ衣服を一晩も置きっぱなしにしてしまい少し不安だったが、そのままの状態で棚に置いてあったため無事に回収できた。男性陣の何人かは湯冷めしたからと朝風呂に入ったようだが、名前はそんな気になれず着替えは後回しにしてそそくさと客室へ戻っていった。
アシㇼパとインカㇻマッは怪我をした杉元と谷垣の手当てをするために彼らの部屋に行っている。着替えを済ませた名前は客室にひとりポツンとやることもなく、畳まれた布団にもたれかかってぼーっとしていた。さて、どうしようか。朝食まではまだ時間がある。一晩寝ずに過ごしたから眠気があるものの、一眠りするには時間が短くも感じる。
名前も一緒に男性陣の部屋に向かい、尾形の怪我の具合を確認するべきだったのかもしれない。いや、でも……尾形は怪我をしている様子はなかった。その上、尾形が別れ際に言った言葉もあって、名前は尾形に会いに行けずにいた。……だって、あんなこと言われて、どんな顔して会えばいいのかわからないじゃないか。
すると突然、客室の襖がスパンッ! と勢いよく開き、名前は驚いてバッと視線を向けた。……そこには、軍服をしっかりと身につけた尾形が立っていた。見知った顔に安心したが、一応ここは女性陣の部屋なのだから開ける前に声くらいはかけてほしかった。
名前がそんなことを思っているのを知ってか知らずか、尾形はずかずかと部屋に上がり込み、名前の近くにどかりと腰を据えた。ジッと尾形の真っ暗な瞳に射抜かれる。なんなんだ、一体。変に緊張してしまい、名前は膝をそろえて姿勢を正した。
「お、尾形さん、突然どうしたんですか」
「ハア、お前がそんなに冷たい奴だとは思わなかったよ」
「ちょ、なんのことですか!」
「……手当て、来なかっただろ」
尾形の予想外の言葉に、名前は目をぱちくりとさせた。視線だけを動かして、尾形の頭のてっぺんからつま先までまじまじと見つめる。
「え、でも怪我なんて……!」
「廃旅館ではまともに姿を見れなかったくせに、よく俺が怪我をしていないと思えたな」
「け、怪我……されてるんですか?」
「いいや」
おいおい怪我してないんかーい、という場違いなツッコミは心の中だけで済ませた。そして『ならどうして来たんですか』という言葉も、思っても口から出すことができなかった。
「なあ、名前。昨夜はなんでまだ風呂にいたんだ?」
「……え?」
尾形の言葉に、名前は内心焦った。素直にあまりの心地よさに長風呂してしまったと言ったら、確実に呆れられる……最悪叱られると思ったからだ。いい言い訳も思いつかず、何も言い出せないまま視線を逸らすと、尾形が深く息をついた。
「どうせ温泉に浮かれて長風呂してたんだろ。療養や観光で来たんじゃねえって言ったはずだよな?」
「……はい、おっしゃる通りで」
図星だ。やはり尾形にはお見通しだったようで、痛いところを容赦なく突かれる。反論なんてできるわけもなく視線を合わせられないまま返事だけをすると、尾形に頬を掴まれ強制的に目線を合わされてしまった。尾形の真剣な瞳が名前を射抜く。
「呑気に長風呂なんかしてなければ、戦いに巻き込まれずに済んだはずだ。今回は無事で済んだが……その油断が命取りになるんだよ。わかってんだろうな?」
「ふぁい、ふみませんでした」
もごもごと謝罪の言葉を口にすると、尾形はハァ……と大きくため息をついた。
頬を掴む手が離され解放された、かと思いきや、尾形は突然身を倒して名前の膝を枕にして横になった。途端に名前の身体が硬直する。いや、物理的にも尾形の頭が乗っかっていて動かせないのだけれども。動揺が隠せない名前は、お手上げ状態で両手を彷徨わせていた。
「お、尾形さん……?」
「朝メシまで少し寝る。疲れてんだよ、このくらいいいだろ」
いいだろ……っていいのかこれ? 良いも悪いも、この状況がよくわからない。動揺と混乱で頭がうまく回らない名前が言いあぐねている間に尾形は「朝メシの時間になったら起こせ」と言い捨て、名前に背を向けるように姿勢を変えて静かになってしまった。再度名前を呼んでみても、尾形は微動だにしない。覗き込むようにして見ると、尾形は目を瞑っていた。
こうなってしまっては、もう仕方がない。疲れた尾形に膝を貸すくらい安いもんだろう。力ずくで尾形の頭を退かそうとは名前には思えなかった。
ふと、やりどころに困っていた手で尾形の頭をそっと撫でてみる。寝てるんだか寝てないんだか、嫌がる素振りはない。それをいいことに、名前はゆったりと尾形の髪の流れに沿うように撫で続けた。
誰よりも遅く寝て誰よりも早く起きる尾形の寝顔をこんなにもまじまじと見たのは初めてのことだった。その顔が案外可愛くも思え、名前はフッと静かに笑みをこぼした。