「悪いがこれを鶴見中尉のところに持っていってくれないか?」
ある日、珍しく月島が名前が過ごす部屋に訪れた。手にはお盆に乗った花園公園のみたらし串団子。なぜ私が? と首を傾げても、月島は何も語らない。お世話になりっぱなしで暇を持て余している名前は断る理由も権利もないと思い、頷いてお盆を受け取った。
「いつもの執務室ですか?」
「ああ。団子を届けるだけでいい。宜しく頼む」
お盆をひっくり返して串団子を台無しにしてしまわぬよう、いつもより慎重な足取りで執務室に向かう。
串団子を運ぶのを頼まれた理由が気になる。いつもの談話の茶請けだろうか? しかし今日の第七師団はなんだか忙しそうだ。ならば来客? 人手が足りない、お茶汲みは女性の仕事、これは自惚れだがついでに養子として紹介して外堀を埋めよう、みたいな感じだろうか?
そうこう考えてるうちに執務室の前に着き、スーっとひと息深呼吸。扉の向こうに誰がいるのかわからない。コンコンッとノックして、対人用の笑顔を貼り付けてドアノブを捻る。
「失礼しま、ぁ……す……」
執務室のトビラを抜けると雪国……いや、極寒の地獄であった。
鶴見の目の前に座る軍帽マフラーの見知らぬ男に、二階堂兄弟を含む兵士達が小銃を向けている。殺伐とした場の空気に貼り付けた笑顔が凍った。一刻も退室したい。さっさと串団子を置いて戻ろう。
「おお、名前くん。ちょうど良かった」
鶴見に手招きされ、名前は重い足取りで執務室の机に近づく。「どうぞ」と軽く挨拶をして串団子を机に置いた。
見知らぬ男をちらりと見ると、精悍な顔にあるカタカナの『サ』のような大きな傷跡が目に飛び込んできた。そして鼻から顎にかけて乾いた血がべっとり。軍帽をかぶっているが、軍衣を着ていない。彼は軍人なのだろうか。
見知らぬ男と目が合う。しまった、ついまじまじと見てしまった。
「あ、その、顔の傷跡、素敵ですね……?」
「は? ……え?」
「……いえ失礼しました」
「いや、ありがとう……?」
とんだ失言だ。誤魔化すのが下手にも程がある。口を滑らせて変なことを言ってしまった。鶴見が可笑しそうに笑っている。じわじわと顔に熱が集まり、名前は誤魔化すように口元をお盆で隠した。
見知らぬ男は意味がわからないという顔で頬をボリボリと掻いた。その時、その手に手錠がつけられているのに名前は気が付いた。……これは招かれた客人ではなく、何かやらかした人だ。おそらく鶴見は彼を尋問していたのだろう。そう予想して、失言にキレられたりしなくてよかったと内心ほっとした。
「もういい、下がっていいぞ。名前くんは見舞いにでも行ってきなさい」
「え、はい、わかりました」
お見舞い? と思いつつ、役目は終えたのでそそくさと扉の前に向かい、控えめに頭を下げて退室した。ミッションコンプリートだ。さらば極寒の殺伐とした地獄。
扉を閉めた瞬間、ハァ〜〜と盛大にため息をついた。隣から咳払いが聞こえ横を見ると、名前の外套やいくつかの荷物を持った月島がいた。えっ、月島さんが忙しいから私に頼んだわけじゃないの!?
「つ、月島さんッ!? なんで! 私が!! 団子をッ!! 運ばなきゃいけなかったんですかッ!?」
「すみません、これは鶴見中尉のご命令でして」
つい小声で叫んでしまった。平和な二十一世紀育ちのただの女が尋問中の部屋に放り込まれたのだ。その末とんでもない失言が飛び出してしまい、とても居心地が悪かった。文句の一つや二つ許してほしい。
「あの顔に大きな傷がある人は……?」
「おそらく、不死身の杉元と呼ばれている元軍人だ」
「不死身……ふじみ……」
尾形が力を振り絞って書いた指文字を思い出す。
「ホラホラ、いつまでも扉の前にいたら邪魔になる。尾形上等兵の見舞いに行くぞ」
お見舞いは尾形のお見舞いだったのか。尾形以外に入院している顔見知りはいないので、当たり前と言えば当たり前だった。
月島に持っていたお盆を取られ外套を手渡される。……あっ、そういえば外套を着ていなかった。事情の知らない見知らぬ傷の男に現代の服を見られてしまったが、大丈夫だっただろうか。
――外套を脱いで荷物を下ろすといい。
――お前をやったのはこの女か?
ハッと、尾形の前で外套を脱いだ時のことを思い出して手が止まる。そうか、あの見知らぬ傷の男と面識があるのか試されていたのか、と名前は気付いた。
「どうした?」
「あ、いや、その、不死身の杉元……あの顔面傷跡男が尾形さんを襲った犯人ということですか?」
「……おそらくな」
試されたことに気付いたことを知られぬよう、見知らぬ傷の男が犯人だと気付いたふりをした。
賢い女は損をする、何も知らない察しの悪い馬鹿な女のフリをしたほうが生きやすいのだ。……とくに百年前にタイムスリップしてしまった今は、医学部に入るために死ぬ気で勉強してそれなりの知識を蓄えていたことをバレてはいけないと思っている。
外套の釦を全て留めたところで一つの違和感。……ああっ、リュックを部屋に忘れてきてしまった。肌身離さず持つよう言いつけられていたのに、なんたる失態。今日は失敗が多い日だなと気が沈む。このままお見舞いに行くわけにもいかず、おずおずと月島に声をかけた。
「月島さん……すみません……荷物を部屋に置いてきてしまいました……」
「鞄ならここにある」
月島は片方の肩に背負った大きな麻袋を指差して言った。どうやら麻袋の中にリュックを入れて持ってきてくれたらしい。これならそのまま持つことができそうだ。即座に「すみません」と謝罪し麻袋を受け取ろうと手を伸ばしたが、麻袋ではなく風呂敷に包まれた小包を手渡された。
「病院まで俺が持つ」
「えっ、重くないですか?」
「いや、軽い」
「さすが現役の兵隊さん……ありがとうございます」
「……気にするな。その代わりにこの小包を持ってくれ。見舞い品の上生菓子だ」
「上生菓子! それは責任重大ですね!」
「フッ、そうだな」
お言葉に甘えて月島にリュックを持ってもらうことにした。鶴見の腹心ならば、任せても問題ないはずだ。
月島は仏頂面だが人情家だと思う。どこか不器用な優しさを感じて温かい気持ちになった。
◇
所変わって、尾形が入院している病室の前。
「それでは、これからやらねばならないことがあるので」
「えっ」
「後で迎えにくるから病室で大人しく待ってるように」
「えっ!」
「くれぐれも病室から出るなよ」
「えっ!! はい!」
持っていたリュックを名前に渡すと、月島はそそくさと去って行ってしまった。一緒に見舞いに行くわけじゃなかったのか……。あっけにとられて立ち尽くしていると、扉の前で立ち番をしていた兵士に中に入るよう促された。
……仕方ない、病室の前でずっと立ってるわけにもいかない。ほとんど面識のない人のお見舞いに気まずさを感じながらも、病室に入る決意をした。