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何も考えずに愛を受け入れられたらそれは幸せなのだろうか。
愛してる。
愛されたい。けれど昔のトラウマが消えない。
無条件に愛されることにストップがかかり、心に嘘を重ねてしまう。
笹宮の言葉に頷くこともできず、自分から愛の言葉を言うこともできない。
原因はある事件だった。
俺は、昔誘拐された事があった。
俺を誘拐したのは、当時通っていた塾の男の先生だった。
先生は気が弱くでも優しい人でみんなに人気だったから、まさか襲われるとは思わなかった。
塾帰りに先生に拉致されて、家に監禁させられた。
先生は、警察に見つかるまでの三日間、俺の身体を好きに抱いた。
『君はイケナイ子だね』
『君は男好きなんだ。君が私をこんなふうにしたんだよ』
最初は必死に、先生の言葉を否定した。
しかし何度も言われ続けていたら、次第にその言葉は事実のように俺の中で塗り替えられた。
俺はイケナイ子で、男が好きで、男を誘う淫乱なんだ、って。
警察に保護された時、俺は錯乱し、しばらく入院していた。
あの事件以降、両親は俺を腫れ物を扱うかのように接するようになり、喧嘩が絶えないようになりやがて俺を母方の親に預け離婚した。
『先生のことが忘れられない』
馬鹿な俺は、両親に真実を口にした。
『貴方が何を考えているかわからないの…』
母親は苦悩しながら、俺の前から消えた。
ある時、先生に似た男に恋をした。抱き合う寸前、どうしてもできなくて。俺は馬鹿正直に昔のトラウマを話した。
そしたらやっぱり元恋人は俺のもとを去った。
真実を言えばいうほど、俺は一人ぼっちになっていく。
嘘を重ねれば重ねるほど、嘘がうまくなっていく。
自分を傷つけた男のことが忘れられず、男に似た人間をスキになる俺は異常者だ。
ある時から、俺は他人に偽るのが凄くうまくなっていて、とても嘘つきになった。
『君がイケナイんだよ。僕を誘うから』
あの時の言葉が脳裏から離れない。
まるで呪いのようだった。
年を重ね大人になってもあの日のことは俺の中から消えてくれなかった。
それなのに、視線を奪われるのはいつも“先生”に似た男の人だった。
笹宮もまた、先生にとてもよく似ていたのだ。
大学時代、つい姿を追ってしまうくらいには。
*
「あんたはいつもヘラヘラしてるね。何も考えてないみたいだ」
笹宮の言葉に、苛立ちが含まれたのは初めて抱かれて1年ほどたった日のことだった。
彼の嘘から始まった付き合いは少しずつ、でも確実に綻びが見え始めた。うまく計算して、楽しむだけ楽しんで。
笹宮が飽きたらスマートに別れようってそう思っていたのに。
頭ではそう考えていたのに、心はそれに反して笹宮を欲した。
「俺だけって顔して、俺以外のやつとも抱き合っているんでしょう?ねぇ、俺以外にどんな痴態をあんたは見せるの?」
「そんなのしてない。今は笹宮しか…」
「嘘ばっかり。あんたは俺を好きじゃないんだよ」
彼は時折、酷く俺を苛んだ。
甘い愛の言葉を口にするのに、その瞳は寒々しかった。
隠し切れていないキスマークと浮気の痕、数え切れないドタキャンに、少しずつ『好き』という言葉もなくなっていった。
些細な喧嘩も多くなって顔を合わさない日も増えた。
偽りから始まった関係なんてこんなもんだ。
いっそ別れればいい。卑怯な俺は、一度も彼へ好きだという言葉をつげていなかった。
その言葉を告げてしまえば最後、俺を守っていたものが消えてしまいそうだったから、一方的に愛のことばを貰っていただけ。
好きじゃなかった。お前なんてどうでもいい。
飽きたならさっさと別の人間にしろ
そう切り捨てればよかったのに、笹宮が何も言わないことをいいことに俺は現状を維持した。
笹宮は俺を好きなんかじゃない。
好きだと告げているけれど、その目が冷たい。
出会ったときから、目は雄弁にものを言っている。
愛してるなんて、嘘だって。
ただ抱き合う。そこに愛なんてとうに消えた関係になっていたのに。
気がつけば先生より俺の中で笹宮という存在は大きく占めていた。
偽りの愛だっていい。
嘘に気が付かなければ、まだ笹宮と一緒にいられる。
笹宮に心底惚れ込んだ俺は別れなんて切り出せなかった。
彼の真意に気づいたのは、笹宮が俺を部屋で抱いた時だった。
部屋の隅に無造作に置かれた笹宮のアルバム。
何気なしに見ていたら、“真実”はそこにあった。
俺を誘拐した先生と小さな頃の笹宮が映った写真が何枚かアルバムに収まっていたのだ。
真実なんて、永遠にしりたくなかったのに。
笹宮はわざと無造作にアルバムを部屋においていたのだろうか。
俺に見つけてほしくて。
この関係に終止符を打つべく。
『笹宮…これ…』
写真を見つけた俺に笹宮は一瞬、瞳を揺らし…
『ばれたんだ』
冷たい笑みを零した。
嘘が終わった。
幸せだった嘘が終わってしまった。
愛してるなんて、気づかないふりをしていたのに。
笹宮は、写真を持って呆然とする俺に淡々と言葉を吐いた。
『…あの事件で俺の親父は自殺して、母さんも俺を置いて出て行ったんだ』と。
そう“俺のせい”で。
俺が行けないんだと、いつぞやの先生の言葉が蘇る。
笹宮と付き合うようになって消えかけていた言葉が、また俺の脳内で優しくこだまする。
忘れるな、と。
俺がいけないんだと。
『笹宮…』
『あんたはホイホイ俺に抱かれましたよね。
喘いでいる俺に縋るあんたを見ているのは気分が良かったよ。
いつ、本当の事をばらそうって…その顔が歪められるかって』
『笹宮…』
『あんたなんか嫌いだ。大嫌いだ。
いつもヘラヘラ笑ってて。本心なんて見せなくて。今だって、自分がどんな顔してるかわかってるんですか』
『どんな…?』
どんな顔してるんだろう。
わからない。嘘だらけで、今自分がどんな顔をしているかわからない。
『なんでもないって顔してますよ』
嘘だ。こんなに悲しいのに。
でも、笹宮の言うように俺の表情はピクリとも動かない。
しっかりと貼り付けられた能面は、こんなことがあっても取れてくれない。
『そんなあんたを、俺が好きになると思ったの?
ただの、復讐相手に』
ガラガラと、好きだった“笹宮”が崩れ去る。
でも、笹宮がこうなったのは誰のせいでもない。
俺のせい。
『君がいけないんだよ』
先生の言葉通りだったんだ。
笹宮はただ、俺に復讐しただけだった。
いつだって、笹宮の目は真実を告げていた。俺を愛してなどいないと。
言葉はいつだって偽りで、目だけが真実を告げていた。
唐突に始まった嘘の真実は、実にあっけないものだった。
それ以上、笹宮の言葉を聞いていられなくて、笹宮の部屋から走りさり、そしてーーー。
『待てッ…危な……!』
たまたま、笹宮の家の前を走っていた車の前に飛び出しひかれた。
車はかなりスピードがでていたし、俺も前を見ていなかったから、あっという間に身体は舞い地面に勢いよく打ち付けられた。
死ぬなら死んでもいい。
先生も、俺が死んだら喜ぶかもしれない。
地獄に行って俺を今度こそ離さないかもしれない。
『君がいけないんだよ』
そう、全部俺がいけないんだ。全て。
*