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「花蓮ちゃんは、本当は先生想いのいい子なんですよ」
「まぁ、たしかにいい子なんだろうな。
聞く話じゃ、母親もいないのに、対人恐怖症の先生を支えてるんだろ?」
「はい。
僕なんかよりずっとしっかりしてますよ。
先生が精神的に不安的な時は、彼女がサポートしてくれます」
「しっかり者、ねぇ。
俺には噛み付いてばかりのお嬢さんだけどな。
お前、相当気に入られているんだな」
「はぁ…まぁ…」
気に入られている…んだろうか。
男扱いされていないだけのような気もするんだけれど。
初対面の時から、僕は花蓮ちゃんに追い返されたこともなければ、先生に怖がられたこともない。
安全な男だと思われているらしい。
見た目的にも、僕は小柄なほうだし中性的な顔をしている。
毛深くもないし、男らしさはない地味なタイプだ。
トレードマークの眼鏡のせいか、インテリ系で内気な真面目君と言われるし、実際その通りの人間である。
暴力なんて、縁のない世界に生きてきた。
「お前も男だ。そんな健気なお父さん想いの子と一緒にいてグラッときたことはないのか?先生に似て美人なんだろ、その子。
女子高生でも女を感じたりとか…」
「ありませんよ、そんな…」
「またまた〜。素直になってもいいんだぞ、ん?」
ニヤけた顔で肩をつつかれても、残念ながら僕は花蓮ちゃんに興味がない。
そもそも、生まれてから今まで女の人に恋愛感情を抱いたことがないのだから。
まさか笹井さんも、僕が同じ部署にいる夏目くんに想いを寄せているなど思いもしないだろう。
常識人な笹井さんに告げれば、明日から距離を置かれること間違いなしだ。
「僕は笹井さんと違って、ロリコンじゃありませんからね」
「ロリコンってわけじゃ…」
「じゃ、いってきます!」
笹井さんに別れを告げて、フロアから出る。
社内ビルを出て、太陽の光に顔をしかめていると、後ろから小走りに走り寄る足音がきこえた。タッタ、と近づいてくる足音に、もしかして彼が…と期待にそわ…とする。
「宮沢さん…!」
聞き覚えのある声に、僕の単純な心臓は、早鐘を打ち始めた。
まったく、なんて、単純な心臓なんだろう。
ひとつ深呼吸をして落ち着いて振り返れば、予想していた通りの顔があった。
「夏目君」
「今から、相良先生のところですか?
途中まで一緒にいってもいいですか?」
「あ、はい…」
ありがとうございます、と夏目君はにこりと笑うと、僕の隣に並んだ。
緩んでしまいそうな顔を引き締めて、冷静を装い、肩と肩とが触れ合ってしまいそうな距離を歩き始める。
相良先生の担当になって以来、僕は憧れの夏目君と一緒に行動することも多くなった。
相良先生の家の同じ沿線に、夏目君が担当している作家さんがいるので、同じ方面だから…と途中までついてきてくれるのだ。
夏目君が担当している先生も、相良先生に負けず劣らず僕らの出版社では大作家様様だった。
僕の担当している先生と夏目君の担当している先生とで、出版社から出している本の売上の三分の一を占めているという噂だ。
読書好きの間だけではなく、一般の人にも名が通った有名人で作品だけじゃなく顔と名前まで知られていた。
当初は作家同志が近所だからと、相良先生の担当も夏目君に…という話もあがっていた。しかし、相良先生の番犬・花蓮ちゃんが、激しく反対したのでその話もなしになり、僕に担当が回ってきたというわけである。
夏目くんは、相良先生に合う前に花蓮ちゃんに門前払いされたそうだ。
花蓮ちゃんいわく、「顔が気に食わない」と。
僕に相良先生の担当が回ってきたのは、ひとえに僕が男っぽくなくて、これならば対人恐怖症の先生でも大丈夫じゃないか…と思われ推薦されたらしい。
担当につく前は不安だったけれど、すべては杞憂に終わり花蓮ちゃんには警戒されず、相良先生にも良くしてもらっている。
優柔不断で曖昧な言葉しか言えない気の弱さが災いして、僕は今まで何人もの作家さんから担当を外されてきた。
しかし、相良先生の担当になって3ヶ月経つが、今まで言い争いになったことはなかった。締切もギリギリにはなってしまうけど、きちんと守ってくれる。
こうして夏目くんにも気にかけて貰えるし、出来ればこのままずっと先生の担当でいられたらいいなぁ…と思うところである。
「夏目くんは、椎名先生のところですか?」
「ええ。また呼び出されてしまって。困ったもんですよ。
椎名先生って、ほんと、自由人ですからね。
僕の言うことなんて、ほとんど聞いてくれません。
僕のこと奴隷かなにかと勘違いしているようで…。
宮沢さんも、もう慣れましたか?」
「あ、ええ…。少しは…」
仕事量も多いし、与えられるものも今までの課題よりも難しかったりするけれど、なんとかこなせている。
問題は夏目くんとの距離である。
僕が相良先生の担当についたことで、夏目くんとの接する機会が増えた。
夏目くんは責任感が強いから、自分がつくはずだった相良先生の担当を僕がちゃんとできているか心配なんだろう。
しかし、夏目くんのような理想の男性にあれこれ世話をしてもらうと、僕の乙女脳はあらぬ妄想を繰り広げてしまう。
ようするに、先生には慣れてきたけれど、夏目くんへの耐性はまったくついていないのだ。
最初はまともに夏目くんの顔は見れないし、どもってしまうしで大変だった。
僕が相良先生の担当になるまで、夏目くんとは同じフロアにいながら、飲み会の席か、朝すれ違った時に挨拶くらいしか会話を交わすことがなかった。
社内での席は離れていたし、夏目くんはいつも誰かに捕まっていたから。
僕はただ、遠くの方から夏目くんを見つめるだけしかできなかった。
見つめているだけでいい。
彼を見ているだけでいい。
もう30も過ぎているのに見ているだけで満足してしまうくらい、ずいぶんと穏やかな恋をしていると思う。
付き合いたいとか、好きになってほしいとか、そんな大それたことは思わない。
ただ、見ているだけで満足で幸せなのだ。
同じラインに立てるなんて、夢にも思わない。
夏目くんの周りはいつも華やかで、そこに地味な僕が割って入る隙はない。
夏目くんという存在が人を惹きつけてやまないんだろう。
みんながみんな、夏目くんの特別になりたがっていた。
華やかな女の子に囲まれた夏目くんを見かけるたびに、夏目くんの存在が僕の中では遠い存在になっていく。
ブラウン管のアイドルでも見る女の子のように、僕は女の子に囲まれた夏目くんを遠くから見つめることしかできなかった。
同じフロアにいるのに、その存在は凄く遠かった。
夏目くんの視界のピントが、僕にあうことはないだろう。
僕だけが一方的に、夏目くんを見つめている。
憧れと、尊敬と、恋心。
僕にとっての夏目くんは、そんな感情を抱いた別世界の住人なのだった。
「この休日、接待ゴルフですよ。休日までやってられませんよ…」
「お疲れ様です。
夏目君が期待されているから、きっと連れていってもらえたんですよ」
「ゴルフなんかよりも、俺は休日はひたすら本を読んでダラダラしたいです。
宮沢さん、椎名先生の新作読みましたか?」
「ああ、夏目君の担当の作家さんのですよね。
読みましたよ。凄い面白かったです。
ぐっと物語に引き付けられたというか。
書店でも目のつきやすいところに売り出されていましたね」
「ありがたいことです。椎名先生も喜びますよ。先生にカツをいれた甲斐ありました」
「カツ…?」
「ちょっと悩んでいたようだったので…ね。
甘ったれたこと言ってんじゃねぇよ…って少し…お灸を」
目を細めて、夏目君は笑う。
夏目君をよく知る人に聞くところによると、夏目君が目を細めて笑うときは、大抵よからぬことを考えているらしい。
見た目爽やかな夏目くんだが、中身は凄く腹黒なんだそうだ。
夏目くんが担当をしていた先生たちの間では、夏目くんは『鬼軍曹』とも呼ばれているらしい。
爽やかで、優しそうな好青年に見えるのに、外見に似合わず強気なところや厳しいところもあるみたいで。
口が達者で偏屈な担当の先生たちにも丸め込まれることはなく、きちんと締め切り前に原稿を貰えるし、我儘や無理難題をいわれても聞き入れず強気な態度を崩さず対等な立場でいる。
夏目君が担当についてから、それまでhit作品に恵まれなかった作家さんも、夏目くんのアドバイスのおかげで、ヒット作を出し有名になった人もいる。
夏目君は一人一人の作家さんの精神的ケアも大事にしているようで、二人で飲んだ時に色々とコツや苦労話を聞かせてくれた。
僕もそんな夏目君みたいにプライべートでも精神的にも作家をサポートできる人間になりたいんだけど、まだまだ先は長そうだった。