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相良先生の家の最寄駅の駅構内を出ると、空からは冷たい雨が降っていた。
今日くらいはもつかと思ったが、あいにく、天気予報があたってしまったらしい。
しとしとと降る雨は、肌を刺すように冷たかった。
僕らは駅前のコンビニでビニール傘を買うと、小走りで先生の家へと向かった。


「先生、きっと傘なんて持ってないよね…。
財布とか持っていたのかな…」
「さぁ…。酒井のやつに聞いて見ないと…。
相良先生は宮沢さんの話を聞いて飛び出したんですよね」
「うん…そう、酒井くんが言っていたけど…」
「なら、相良先生は宮沢さんに会おうと飛び出したんでしょうね。
きっと酒井のやつ、宮沢さんが相良先生から外されたことを大袈裟に話したんでしょう。それでせんせいは気を病んで…。
宮沢さん、相良先生に家の場所を教えたことってあります?」
「ううん…ないよ…」
「だったら会社のほうか…。
でも休日に宮沢さんがいないのなんてわかっているし…」


先生が行きそうなところ。
焦った頭で必死に考えてみるのだけれど、一向に先生が行きそうな場所なんて浮かんでこなかった。
 先生は外に関する会話を避けていたようだったし、僕も先生が嫌がるなら…とその手の会話は話していなかった。
この広い街で、どうやって先生を見つけ出せばいいのか…。
大の大人なんだから、犬や猫でもあるまいし、家に戻ってこれないなんてないだろうと思えないのが、先生だ。
方向音痴かどうかは聞いたことがないが、普段散々生活能力がない姿を見ているから、どこかで倒れていないか不安になる。

警察に届けるか…。
でも、真剣に聞いてくれるだろうか…。
大の大人なのに、家を飛び出したから探して欲しい、なんて…。
考え込んでいたら、夏目くんがポツリと「真夜中の…公園…」と呟いた。


「…え」
「もしかしたら、公園なんじゃないでしょうか…」
「公園?どうして…」
「真夜中の公園には、魔女がいる。
昼は子供の遊び場で、夜は大人の夢を叶えてくれる…。淡い夢を見せてくれる…$謳カの昔書いた作品にそんな一文があったはずです。確か…『淡い夜の夢』

もしかしたら、先生がいるのは公園かも…。
いえ、きっとそうです」

先生の作品にそんな文章あっただろうか。
先生の作品は目を通してきた。
特にベストセラーになった作品は何度も、それこそ暗記してしまうくらい読みこんだ。
担当になってから、本になった作品はすべて目を通してきたはずだった。
しかし、夏目君が言った言葉にあいにく、心当たりはない。
淡い夜の夢、なんて作品おそらく出していなかったと思うんだけど…。
椎名先生と間違えているんじゃないだろうか。


「夏目君…あの、本当に…」
「きっと先生は公園にいます…きっと…」
「でも、夜の公園なんて…」
「それでも、いると思うんです…。勘なんですけど…でも、間違えてないと思うんです。先生はきっと公園にいます」
「公園、だね…。わかった…」

そこまで言うなら夏目くんの言葉を信じて探してみよう。
夏目君の確信めいた言葉を信じ、僕と夏目君は二手に分かれて公園を回ることになった。



 実際、僕は探しながらも半信半疑だった。
夜の公園なんて何もないし、物静かで不気味じゃないか。
そんな場所に、先生はいるのか?
結局公園だけ見て回っても、見つからないんじゃないだろうか。
探すだけ無駄なんじゃないだろうか。

相良先生の近所にある公園という公園を探して、半ば諦めかけたときだった。
小さな公園のベンチで、この雨の中傘も差さず、うなだれている人影を見つけたのは。


「先生…!」
走り寄ってみると、やはりその人影は相良先生だった。




「こんなところに…、ずぶ濡れじゃないですか…」

僕は自分が濡れてしまうのも構わずに先生のほうへ傘を傾けて、ポッケからハンカチを取り出すと濡れてしまった先生の顔を拭いた。
先生は、焦点が定まらない瞳で、ぼんやりと僕を見つめている。


「宮沢…さん…」
「はい…」
「きて…くれたんだ…」
「はい。酒井君から先生が飛び出したってきいて…」
「それで…、探しに?」
「はい…」

先生の言葉に頷くと、「ごめん…」と先生は小さく項垂れた。
先生のただでさえ小さな身体が、より小さく見える。


「土曜日、お休みの日まで…。探させてしまって…」
「そんな…」
「宮沢さん…。ほんとにごめん。
まさか、僕の一言で、宮沢さんがそんなにショック受けるとは思わなくて…。
むしろ、僕の世話から解放されて良かったんだ、って思ってたんだ。
まさか宮沢さんが僕の担当から外れて、仕事場では白い目で見られて、落ち込んでミスが多発して、会社から責任をとるよう言われているなんて思いもよらなくて…」
「え…?」

後半部分、なにかおかしなことを言っていたような…?
前半部分はおおむね、あっている。
先生の担当を外されたことでショックを受けたし、注意散漫でミスも増えていた。
命取りになるようなミスすれすれのこともやりそうになったけど、夏目くん含めみんなのサポートのおかげで事なきを得たし。

先生に事情を説明すると、先生は強張っていた顔を緩め、「じゃあ、責任とることはないんだね」と緊張に強張っていた顔を緩ませ安堵の息をこぼした。


「ごめんね、宮沢さん。
君に否はなかったのに、勝手に担当から外して…。僕がいけないのに…」
「先生、そこは『ごめん』じゃないですよ。『やりました』です」
「え…?」
「外、出られたじゃないですか。ちゃんと。先生、ずっと家から出られなかったのに、今出ているじゃないですか。
先生は、最初の1歩を踏み出せたんですよ
だから…」

僕は先生の濡れた頭を子供相手のように撫でると、
「頑張りましたね、先生。」そういって、微笑んだ。
先生は僕の言葉で、外に出られたことに気づいたのか「あ…」と目を見開いた。


「…君のおかげだよ…。もう何年も出られなかったのに…」
「違いますよ。先生が頑張ったから、です…。無意識だったにせよ、先生は外への恐怖に打ち勝ったんですよ。きっとこれから、先生はもっと外へ自由に行けて、対人恐怖症だってすぐに治せると思いますよ。最初の1歩を踏み出せたわけですから…」
「最初の1歩…」
「そうです。最初の1歩が踏み出せたなら次だってすぐですよ」
「次…」
「はい。次です。少しずつ、頑張っていきましょう。1歩動けたんだから、次もまたすぐですよ」
「そうかな…」

先生は噛みしめるように呟き、瞼を閉じる。
どれくらい、そうしていただろう。
再び瞼を開けた時、先生はまっすぐ僕を見つめながら「宮沢さん、これからも一緒にいてくれる?」と僕を見上げた。

「こんな僕だけど…ずっと一緒にいてくれる?」
「もちろんですよ」
「ありがとう」

先生はなにかつきものでも落ちたように、さっぱりとした顔で微笑んだ。
きっと先生はこれを機に変わることができる。
今まで悩んでいた壁を乗り越えることができる。
そう感じさせるような笑みだった。


百万回の愛してるを君に