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椎名先生と夏目くんは、それから小一時間ほどで帰っていった。
いつもは面会時間ギリギリまで残ってくれる夏目くんであったが、今日はソワソワした様子で足早に病室を後にした。
これから、先生と2人で何処かへいくんだろうか。
もしかして、またホテル街に2人で…ーー。

チクチクと痛む胸に、ダメなやつ…と自分を叱咤する。
告白する勇気もないくせに、勝手に妄想して、傷ついて…お前ってドM?なんて満に笑われそうだ。
しっかりしなくては!
まず怪我を早く治して、しっかり生活できるようにならないと…と、一人気合を入れる。
すると…

「大丈夫…?宮沢さん」

今日は見舞客が多い日のようだ。
花蓮ちゃんと相良先生が、病室のドアに立っていた。


「え?先生?なんで…。ここ、病院ですよ…」
「お見舞いに。
酒井くんから宮沢さんが入院したって聞いたから…迷惑だったかな」
「酒井くんからですか…。いえ、迷惑っていうか…ー」

先生は、外出禁止令が出ていたはず。
それは他でもない、花蓮ちゃんからのお願いだったのに。

どうして、花蓮ちゃんと先生がここに?
モノ言いたげな視線で見つめていた僕に、花蓮ちゃんはいつものクールな表情で「なに?」という。


「いや、あの…。今日はどうしたのかな…って」
「お見舞い。
火事にあったんでしょう?いつもお世話になっているから…」

お見舞い。いや、僕が聞きたいのはそう言うことじゃなくて…!
花蓮ちゃんのクールな態度に、相良先生はくすりと笑むと、こっそり僕に耳打ちをする。


「花蓮ね、反省したんだって」
「反省?」
「そう。2人で久しぶりに話し合ったんだ。僕のこの対人恐怖症について。
今まで2人だった時は、できるだけ触れないように、見ないようにしてきたけど…。
宮沢さんに、花蓮が怒った日。
僕も花蓮も腰を添えて、今まで抱えていたもの全部、花蓮に打ち明けたんだ。
僕ら親子は会話する時間が足りなかったのかもしれないね。色々話して…ありもしない恐怖に怯えるよりかは前向きに克服していこうってことになったんだよ」
「そうなんですか…」

ニコニコと微笑む先生。
どうやら、花蓮ちゃんお墨付きの外出許可らしい。
先生がこうして、また外に出られることになったのは嬉しい。
嬉しいんだけど…ー花蓮ちゃんは、本当にいいんだろうか。
あんなに反対していたのに…。


「それより、宮沢さん。酒井くんから聞いたけど、家、大丈夫?
モノとか全部焼けちゃったの?」
「…まぁ…。
大事なものは実家に預けていたので」

焼けたものといえば、生活用品や趣味の本、それに…元彼との思い出の品くらいだろう。
流石に元彼との思い出を実家に送ることはできなくて、だけど捨てるには未練があり過ぎていて、ずっと捨てられずにいた。
ずっと、ずっと、側にあり置いていたもの。
僕の未練がましい、一部だったもの。
それらも燃えてしまった。

いらないと思っていたのに、いざなくなると悲しい。
なんだろう…この感情はーー。

いつか捨てなくてはと思っていたのに。
知らずしらずのうちに、ホロリと涙が零れおちる。
それは後から後から、流れ落ちて…すぐに止まってはくれなくて。

「あれ…、おかしいな…。なんか…」
「宮沢さん…」
「すみません…。なんか、今更キてしまって…」

必至に溢れる涙を服の裾で拭っていると、そっと先生は僕の腕を掴んだ。
先生は真剣な表情で僕を見つめている。


「…先生…?」
「僕の家に、くる?」
「先生の…?」
「燃えてしまったから、新しく住む場所が必要でしょ?」
「ですけど…、でも…」

そんな迷惑かけられない。
先生は…凄くお世話になっているけど、あくまで担当と作家なわけで。友達でもないのに、泊めてもらうことなんて…ーー。


「迷惑かけられませんから」
「迷惑なんて。
宮沢さんがいれば美味しいご飯が食べられるからね。家事をしてもらいたいから、家にきてもらう。ね、利害は一致してない?」
「でも、花蓮ちゃんが嫌がるんじゃ…」

年若い女の子の家に、家族でもない男がいるなんて嫌なんじゃないか。
思春期の女の子なら特に。しかし、僕の意を反し、花蓮ちゃんは

「別に、いいわよ。宮沢さんなら」となんでもないことのように言った。

「え…でも」
「大丈夫。宮沢さんに男を感じてないから…」
「あ、そう」
「それに…」

花蓮ちゃんは、言葉を止めて僕をじっと凝視する。

「…花蓮ちゃん?」
「あとで…ちょっと話したいことがあるの。宮沢さん、ここの病院、1Fは携帯できるのよね?
8時に携帯に電話をかけるから…その時間、1Fフロアにいてくれないかしら」
「話したいこと?」

なんだろう。今話すことはできないってことは、相良先生に聞かれたくないことなのかな。

疑問に思いながらも、僕は花蓮ちゃんに「わかった」とだけ告げた。



僕は約束通り8時5分前に病室を抜け出し、携帯が使用可能な1Fフロアで花蓮ちゃんからの電話を待っていた。
僕の携帯は8時きっかりに、着信を告げるメロディが流れた。相手は、約束通り花蓮ちゃんからだった。

「こんばんは、花蓮ちゃん。それで、話ってなにかな?」
そう切り出した僕に花蓮ちゃんは、いつも通りの淡々とした口調で

「単刀直入に言うわ。助けて欲しいの…お父さんを」と言った。


「助けてほしい…?どういう…?」
「お父さんのことを好きだったストーカー男に…、居場所がバレてしまったの…。
ずっと隠していたんだけど…、いつまでも逃げ切れないわね」

花蓮ちゃんは深々とため息をつく。

「先生のストーカーって…。
それを先生には」

「知らせてない。下手に怯えさせるのも…って思ったし。
警察には連絡したけどね…。
それに、そのストーカー、私も知っている男なの」
「知っているひと?」
「そう。臆病な男なのよ。
思い込みも激しいバカで臆病な男。
私がいれば撃退してやるんだけど…
問題はお父さんが1人の時なの。あのお父さんでしょ。丸め込まれてホイホイ1人で外に出るとも限らない。だから…」
「僕に一緒にいて欲しいってわけだね?」


わざわざ花蓮ちゃんがお見舞いにきたのは、ストーカーに居場所がバレた先生を守るため。
先生が1人にならないように見張れってことらしい。
だから、家に住むことも反対しなかったのか…。


「でも、僕も四六時中、先生とずっとは一緒にいられないよ。
僕にも仕事があるし…」
「わかってるわ。出来るだけいてくれればいいの。
それに、宮沢さんが側にいればあの男も諦めがつくかもしれない。
お父さんに恋人ができたって勘違いして諦めてくれる可能性だってあるわ」
「諦めて…。無理じゃないのかなぁ。夏目くんみたいな人ならまだしも。僕みたいな人が並んでいても先生の恋人なんて到底思えないんじゃ…」
「夏目…ーーー」
「そう。夏目くんみたいな人だったら…ー」
「そうね。あの男だったら…ーー」

ポツリと呟くと、電話先の花蓮ちゃんは押し黙った。

「花蓮ちゃん…?」
「ごめんなさい…。こんなこと、頼んで。
面倒ごとばかりで私たち親子のことで迷惑かけて…。
嫌な女よね、私。お父さんに関わらないでって言っておきながら、結局頼るって」
「そんな…。いいんだよ。僕で良かったら…!」

僕も先生に沢山助けて貰っているし。
こんな僕がなんとなできるのなら、先生の役にたちたかった。
僕を見ても、ストーカー男には先生の恋人とは思って貰えないだろうけど。

「ほんと、お人好しな人ね。宮沢さんって…」
「よく言われるよ。お人好し過ぎて、バカを見るんだってね」
「それが、宮沢さんのいいところよ。ねぇ宮沢さん…、もしお父さんが…ーーー」

電話先の花連ちゃんの声をかき消すような、激しいノイズ音。

「ん?なに?ごめん、聞こえなかった」
「…なんでもないわ。
おやすみなさい」
「うん。おやすみ…」

電話が切れて、ほっと息を吐く。
退院したら、先生と住むのか…。
それに、先生のストーカーって…やっぱり危険な男だったりするんだろうか…。
いきなりナイフとかで襲ってこないよね

「ま、なるようになるよ…」
そう自分に言い聞かせるように呟いて、僕は病室へ戻っていった。





百万回の愛してるを君に