42


「はぁ…」
息切れして、ようやく脚を止める。
たかが、写真。
でも、されど写真。


昔、付き合っていた人の浮気を発覚したきっかけっていうのも、僕じゃない誰かと写った写真であった。
僕ではない人と、幸せそうにしている写真。
好きな人に、僕じゃない別の誰かの影が見えると途端不安になる。
夏目くんは、あの人と同じじゃない。
あの写真だって、ただ待受にしているだけ、深い意味なんてない。
夏目くんは、軽々しく好きだの愛しているだの言う、不誠実な人間じゃない。
頭ではそうわかっているはずなのに。
怖くて顔を見られない。話したくない。
あの人のように、別れを告げられるのが怖かった。

昨日は夏目くんに好きと告げると意気込んでいたのに、
今は夏目くんに会うのは怖い。
昨日は玉砕覚悟で夏目くんに会いに来ていたのに、夏目くんのあの優しい腕の中のぬくもりを知ってしまった分、向き合うのが怖くなって。


椎名先生の家から出ていって、30分ほどしただろうか。
あれから夏目くんは、5分おきに僕に電話をかけていた。
今は正直、気持に整理ができなくて、とてもまともに話せる自信がない。
だけど、こういうのは時間を置けば、置くほど余計話しづらくなるものだ。
顔を見ないですむ分、電話できちんと話をしたほうがいいかもしれない。
意を決して電話に出ると、「良かった…出てくれましたね」電話先の夏目くんの安堵した声がした。


「宮沢さん、どこにいるんですか?なんで急に飛び出して…」
「ねぇ、夏目君。やっぱりさ昨日のことはなかったことにしましょうか」
「は?」
「だって、ほんとは忘れられないんでしょう?先生のこと」
「先生…?相良先生のことですか?
そんなことありません。俺が好きなのは…宮沢さんですよ」

その言葉、素直に信じられたら良かったのにな。
昔の恋がなかったなら、もしかしたら、僕もその言葉を信じることができたかもしれないのに。

「待ち受け、先生でしたよ」
「それは、誤解です。あれは…」
「誤解?そうですか…」

必死に言葉を重ねる夏目くん。
だけど、夏目くんの必死の言葉も僕の耳に入ってきてくれない。
なんでだろう、昨日の僕は夏目くんの言葉一つ一つにときめいていたのに。
一瞬のうちに、また僕の心はいつもの臆病モードになってしまったようだ。もう傷つきたくない…って、また殻にこもろうとしている。


「ごめんね…。君が悪いんじゃないんです。
僕が悪いんだ。僕が…臆病者だから…。駄目ですね…。こんな些細なことで疑心暗鬼になるなんて。やっぱり無理なのかも。僕に人を好きになるのなんて…」
「宮沢さん…」
「好きだから、きみの言葉を信じられないんです。好きだから、好きな分だけ、君の言葉を信じることが怖いんです。
僕は…凄い愛情が重いらしくて…。そのうち、きっと君にも負担を感じさせてしまう。だから、昨日のことはなかったことにして…また会社の同僚として戻った方がいいんです…」

そう、君が悪いんじゃない。
全部、僕がいけないんだ。
君を信じられない、僕が…。
トラウマを克服できない僕が悪いんだ。

「わかりました」

夏目くんは、しばらく沈黙を続けた後、そう答えた。

わかりました。
自分で、その答えを強要した癖に、きゅっと胸が締め付けられる。
これで終わりなんだ…。
そう思った瞬間、身体の力が抜けた。
もう一緒に呑むこともないだろうな。
一緒に月を見て歩くことも…。
形はどうあれ、夏目くんを振ったことになるのだから、今までのように夏目君を見つめることも許されないだろう…。


「じゃあ…」
「何十年待ったら、信じてくれますか?
何度あなたに言えば信じてくれますか?」
「夏目くん…?」

「あなたが信じてくれるまで、俺はずっと言い続けます。
何年たっても、貴方が信じ続けてくれるまで…、俺は言い続けますから。俺、絶対に貴方を諦めません。そんな生易しい気持で貴方を好きになったわけではありませんから…

俺、これでいて、執念深いんで。
覚悟してくださいね。宮沢さん」

そういう夏目くんの言葉はいつものように優しかった。
こんな僕のことなんて、ほっとけばいいのに。
夏目くんなら、こんな厄介な相手じゃなくて、もっといい人がいるはずなのに。

ーー貴方がいいんですよ。宮沢さん。
ーー俺は、貴方を愛しています。

夏目くんは、臆病な僕のペースに合わせて、ゆっくり歩み寄ってくれたのに。

僕は…。
ホロリと涙が伝う。
どうして、こんな優しい人のことを信じてあげられないんだろう。
どうして、僕は…ーーー。

「夏目く…ぐ…」

突然、背後から何かに殴られたような激しい痛みに襲われる。
なにが…?それを確認する前に、僕の意識は闇へ溶けていった。



百万回の愛してるを君に