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「……っ!」
「やっと起きたか」

意識を取り戻した僕の目の前にいたのは、昨日突然僕を襲った相良先生のストーカー男だった。
昨日、夏目くんに殴られた頬が痛々しく腫れている。
目は、狂気を孕んでいて、僕を冷ややかに見つめていた。
男の出現に、僕の身体は恐怖に身が竦んだ。


僕はといえば、見知らぬ部屋に手足をロープで封じられた状態で床に転がされていた。
どこかのホテルだろうか…。
個人の部屋にしては、生活感がなかった。


「…あ、貴方は…。何故、僕を…」
「…こんなやせっぽっちの男の何がいいんだろう。僕なら、もっと彼を満足してやれるのに。どうして、こんな男が…。
こんな男の何がいいんだ」

男は不気味な声でブツブツと呟くと、倒れている僕に近づき、僕の首に手をかける。
後ずさろうとした僕の身体に男は馬乗りになると、首にかけていた指に力を込めた。

「…くは…ぅぅ…」
「大丈夫、ゆっくりなぶり殺してやるよ。
じわじわといたぶって血みどろにして。ちょっかい出したこと後悔させてやる」

男の言葉には、憎しみが溢れ出ている。
昨日、夏目くんはこのストーカー男が先生に近づいた僕に報復にくると言っていた。油断しなかったわけではなかったけれど、まさか昨日今日で現れるとは思ってもみなかった。

「僕を…殺すんです…か…」
「…まだ智がきてない…。
お前のことは、智を犯しながら、殺してやるよ。
まだ殺しはしないよ。ゆっくりと…ね」

このまま僕をなぶり殺すつもりなのだろうか。
ひとおもいにやらずにじわじわと苦しめて。
言葉通り、男はギリギリのタイミングで手を緩めては、また首を締めを繰り返していた。
やばい、この男はやばい。
僕の脳内は危険に警笛を鳴らしている。
でも、逃げ出したくても逃げることはできなくて…歯がガタガタ震えた。

「……ぁ…いや…」
「怖いか?」
「あ…」

僕の怯えた様子に、男は目を輝かせ、にんまりとほくそ笑んだ。

「苦し…」
じわり、と涙が浮かび視覚が朧気になる。
死ぬのか、僕は。こんなところで…終わってしまうのか。
怖い。怖いよ、夏目くん。

「お前がいけないんだよ…、おまえが…すべて…」
男は僕の耳元で、ねっとりと囁く。

僕が、いけない…。
僕がいけないから、夏目くんの元から飛び出したから…。
僕が、夏目くんを信じていたら…。
だから、僕がいけない。
こうなったのは、僕が…、
僕のせいで…。
僕がいけない…??
僕がいけないのか?
こんなところで、見ず知らずの男になんで殺されなくちゃいけないほど、僕は悪いことをしてきた?

こんなところで、終わらせてしまっていいのか?
まだ僕にはやりたいことが沢山あるのに。
トラウマである観覧車にも乗れてないのに。
夏目くんと…仲直りできないまま、死んでしまって良いのか。
僕を信じると言ってくれた夏目くんを、残して良いのか…。
僕が信じるまで待ってくれると言ってくれた人を、僕が裏切ってしまっていいのか。
わけも分からない男に、恋も人生も終わらせられてもいいのか。

そんなの…

「あんたなんかに、僕の人生奪われてたまるか…!!
諦めて終わってたまるもんか…!!」

こんなところで、終わらせてたまるか。
渾身の力を込めて、馬乗りになっていた男の腹に思いっきり体当たりをした。
まさかの反撃に男がよろめいて蹲ったところで、僕は男から距離を取ろうとしたのだが、あいにく脚はロープで縛られており、這いつくばって逃げる他ない。
反撃したところで、僕のピンチは変わらなかった。

むしろ、男の怒りを買うのは充分だったようで。

「もういい。殺してやるよ」
すぐに復活した男が、ナイフを手にして僕の方へ向かってきた。
殺される…
ぎゅっと訪れる痛みに目を瞑っていると…

「待ちなさい…!」
訪れるはずの痛みはこない。
こわごわと目を開けると、目の前には、相良先生の姿があった。
どうやら、1人できてくれたらしい。
先生は厳しい顔つきで男の睨んでいる。

「先生…」
「智…来てくれたんだね…」
「貴方が呼んだんでしょう。来ないと宮沢さんを傷つけると。わざわざ電話して、フロントに鍵まで預けて…」
「そうだよ…君に逢いたくて…」

男は、先生を見つめ、嬉々とした声で先生を迎えた。

先生の表情はとても強張っていて、緊張しているようだった。
いつものちょっと気弱なほわほわした空気の先生とは違う、全く別の雰囲気の先生がそこにはいた。


「貴方は僕に用があるのでしょう…!なんで、こんなことを…。宮沢さんは関係ありません。解放してください」
「先生…」
「だけど、智こいつは…」
「わざわざ電話してきて…貴方に用があるのは僕でしょう。
他人を巻き込むなんて、最低の人間がやることです」

先生は、キッときつく男を睨みつけると、僕の方へとかけよった。

「先生…、僕はいいから、早く逃げて…」
しゃがみこんで、僕の縛られているロープを解こうとする先生に、僕は逃げるように口にするも先生は首を横に振る。
先生は僕の言うことを聞かず、僕を拘束しているロープから手を離さなかった。


「先生、お願いです。このままじゃ…」
「宮沢さん、ごめんなさい。この人は、僕のストーカーです」
「ストーカー…」
「巻き込んでしまったのは、僕の方なのです。だから、宮沢さんだけでも…」
「智っ…」

男は背後から先生に抱きつくと、そのまま僕の目の前で先生を床へ押し倒した。

「先生…!」

「彼を解放してください」
「嫌だと言ったら…」
「貴方を軽蔑します…」

先生がそう切り捨てると、男は先生の言葉に愉悦感に舌なめずりをした。


「どうせ、智は、すぐ僕の前から姿を消すだろう。
こうやって、拘束しないと、君はすぐどこかへ行ってしまうんだ…」
「それは…貴方が……」
「こんなに愛しているのに、どうして、君に通じないんだろう…
君はどうして、私の気持ちに答えてくれないんだろうね…」

先生の、着ている服を破り捨てて、男は先生の肌を愛撫しながらポツリポツリと呟く。
先生は、そんな男に対して怯えることなく表情ひとつ変えず男を見すえた。


「…僕には、好きな人がいるからです。
それは貴方ではありません」
「やはり、こいつなのか…。
この男が、いるから…。この男のせいで…」
「違います、僕の好きな人は宮沢さんじゃなくて…、僕の本当に好きな人は…ーー」

一瞬、先生の冷然とした表情が曇った。
先生は小さな消え入りそうな声で、

「僕のことをとても恨んでいる…人だから…」
切なげに一言、呟いた。

「だから、宮沢さんは関係ないんです。ただ、僕がご厄介になっているだけで…、何の関係も…」
「許せないな…君にそんな顔させる人がいるなんて…。
こんなに僕の心を奪ったのに、君はそんな男に心を奪われたなんて。いっそ、僕のものにならないならば、このまま一緒にいってしまおうか…。ねぇ、そうしたらずっと誰にも邪魔なんてされないだろう…」

男はゾッとするほど不気味な声でそういうと先生の頬にナイフをあてた。
刃があてられた頬からは真っ赤な血が流れ落ちる。


「先生…っ」
「駄目です、宮沢さん。これは僕の責任なんですから…。貴方は、関係ないんです!こないでください」
「でも…!」

こんなの黙っていられるか。
このままじゃ、僕も先生もこの男に殺されてしまう。
時間の問題だ。
でも、今の手足も封じられてしまった僕じゃ見ているだけしかできない。
なんで、こんなに役立たずなんだ。
先生に、もしものことがあったら…
もし、このままこの男が僕も先生も手にかけてしまったら…ーーー

百万回の愛してるを君に