注文をききにきたマスターに、カフェオレを頼み、スマホを取り出す。ヘヴィーな話だから、勇気がないなれば来なくていいよ…と言われていたのに、結局小牧に会いたくてまたマスターの店に赴いていた。
なにを言われるのか聞かれるのが怖いが、このまま何も知らないほうがもっと怖い。

 利弥は菜月の携帯アドレスも知らない。
今思い返すと菜月は利弥のことを色々と尋ねていたけれど、利弥は、あまり菜月の事を聞かなかったと思う。

(俺はただの復讐相手で…俺にはそんなに興味…なかったのかな)


「お待たせしました」

頼んだ珈琲を菜月の前に置かれた。
珈琲の隣にはクッキーの小皿を添えられていた。

「あの…俺クッキーなんて頼んでないんですけど…」
「奢りです。小牧さんからの」
「小牧さんから?」
思いがけない人からの驕りに驚いていると

「ええ。きっと、あのうさぎさんしょげていると思うから、あげておいて、って。さっきメールがきたので。優しいでしょ、小牧さんって」

普段は、ああいう人で不器用だから、誤解されがちなんですけどね…。とマスターは苦笑する。

「あ…ありがとうございます」

小牧の優しさに、礼をいえばお礼は小牧さんにお願いしますね、と微笑まれた。

(小牧さん…本当は優しい人なんだ。あんな風に言っていたけど。本当は、全部知っていて、俺を案じてあんなこと言ってくれたんだ。なにも知らず付き合えたことに喜んでいる俺を見て、騙されているのに…って思ったのかも。)
菜月にあれだけ冷たく当たっていたのも、これ以上利弥をすきにさせないように、彼なりに菜月を止めてくれたのかもしれない。

(利弥さんも…あんな風に俺を苛んだけど、本当はいい人だって…信じたい。
だって、ご飯用意してくれたし…パジャマだって着させてくれた)

あんな風に自分を痛め付けた人間を優しいだなんて他人がきいたらしかめるだろう。
正気?と言われるかもしれない。
けれど、自分に優しくしてくれたすべてが、彼の嘘だとは思えないのだ。
きっと、今までなにかひとつくらい、彼の本当はあったと思う。
彼をすぐに嫌えるほど、気持ちは軽くない。
信じていられるほど大きくないけれど、そばを離れられるほど小さくもないくらいに育ってしまった感情。

(きっと、もう利弥さんと一緒にいるには、夢見る子供じゃいられないんだ。だから、小牧さんは俺にパンドラの箱を開けさせた。だから、俺も、いつまでも、真実から目をそらしていたらダメだ…。利弥さんと一緒にいるなら、逃げてばかりじゃダメなんだ…)


 菜月がマスターのもとにきて、20分後。
バタバタと慌ただしく小牧は店に駆け込んできた。
今日の小牧は黒のピッタリとしたタンクトップとジーンズを着ている。

今日も生真面目な医者とは正反対の、非常に色っぽい服装であった。
小牧は菜月を見つけると
「ごめんね〜」
と食えない笑みを浮かべ、席についた。

「あ、マスター、俺今日はアメリカンね!
ちょー濃いの!徹夜明けだから、ギンギンに目覚めちゃうやつねー。
あ、でも、マスターは俺にギンギンになっちゃ駄目だからね」

小牧は語尾にハートでもつけそうな口調で、マスターに珈琲を頼んだ。

マスターは、はいはい、と微笑し店の奥へと消えていった。


「あの…」
「さて何用かな…?
な〜んて聞くのは、ちょっと無粋だよネ。俺が君をあおったから、君はそんなに悩んでいるんでしょ?」
菜月の悩んでいることなどお見通しのようで、小牧は自信たっぷりにそういいきる。

「俺になにがあったかわかるんですか?」
「俺とあいつは…、セックスフレンドで…いわば共犯関係だったわけ。だから、あいつの抱えていることとか、結構知っているんだよね。君よりもさ。
それに、菜月君のその顔見ていればわかるよ。
君、素直だからね。
会うたびに君は、俺を威嚇してたよね。
好きなご主人様を取られまいとしている、子犬のような…
ご主人様を絶対的に尊敬している犬みたいな目だった
でも今日は俺に縋る目をしてるよね。

助けてほしい、どうにかしてほしいって…そう言ってるように見えるよ」

「…っ」

「違う…?」

小牧は首を傾げて、あたりでしょ?と笑う。

(そのとおり…だよな)

優しくしてくれた利弥に、菜月は犬代わりでもいいからそばにいたいと言ったし、自分でも利弥を慕う己を犬のようだと思ったことがある。
小牧の話がでるたび、小牧の影があるたびに、利弥を取られるのではないかとモヤモヤしていた。

「そう…です…」

あんなに邪険にしていた小牧なのに、今更虫が良すぎる。けれど、彼以外に、利弥との接点を持つ人間はいない。

「俺…ど…していいかわかんなくて…」
「俺に助け…ね。
やっぱりそんな風になるくらい、利弥にやられちゃったんだね、菜月くん」
「…やっぱり…って…」
「そうなるかなって思ったからね」

小牧は菜月の問いに肩を竦めた。
一体、彼はどれだけ知っているんだろう。
どこまでが彼の想像通りなんだろうか。

「…小牧さんはどこまで知っているんですか?
利弥さんのこと、どれだけ知っているんです」
「たぶん…ほとんど知っているんじゃないかなぁ…。俺があいつを利用してきたようにあいつも俺を利用していたからね」
「利用って…?」
「そう。
お互いにかなわない思いをぶつけるための、はけくちに…ね」
「はけくち?」
「君が利弥の復讐相手だってこと。
長年遠くから見てきたこと。
すべて知っていたよ…。あいつが、興信所使ってまで、君の存在を追っていたことも。
利弥の憎みも、悩みも。すべて。
まさか本当に復讐するとは思わなかったけどね」


あいつの恨みがそれほどだって事かな…、と小牧は苦笑する。


「あいつが君に近づけば、なにもしないとは思えなかった。あいつは…聖人ぶっているけど、どっか壊れていたからね。人として。完璧に見えるけど、それは取り繕った姿で。本当は、ボロボロだったんだよ。復讐で真っ黒になるくらいにね。他が見えなくなるくらい、あいつは復讐に囚われていた。
だから、おせっかいな俺は忠告してやろうと思ったんだ。
利弥が、無茶する前にね」
「どうして教えてくれなかったんですか…。
利弥さんが復讐のために俺を引き取ったって」

「言ったところで何もかわらないからさ。
君は利弥を信頼していたし、俺のいうことなんて信じなかっただろ?
だから、俺が何を言ったところで、盲目的に利弥を信じていた君には、俺のいうことを聞かなかったと思う。

それに、利弥の恨みも相当だったからね。
俺が下手に教えちゃ駄目だと思ったんだ。

利弥に対しても君に対しても。
遠回しに君には意地悪しちゃったけどね。
どうせ俺が何を言っても、こうなっていたと思うよ」

昨日のあの時点で、菜月は利弥を信頼していたし、利弥に合わないと言われても反発心しかなかった。

素直に小牧の言葉も受け入れたりはしないだろう。

「でも俺は忠告はしたよ、泣くことになる、って」
「………っ」
「ほら、なっただろう」
「っ…」

小牧の言葉に、きつく唇を噛む。
なんと言っていいのかわからない。
そうですね、とでもいえばいいのだろうか。


「小牧さんは、」

「ん?」

「…俺のこと馬鹿だと思いますか。
忠告も聞かない馬鹿だって。子供だって」
「…いや…、好きだったんだろう。
俺の言葉も聞けないくらい。利弥のこと。
仕方ないよ。
好きだったんならさ。
得体のしれない俺よりも、利弥のこと信じたいよね。
俺もわかるから…
そういうどうしようもない、気持ち…」

小牧はそう呟く。

「けして叶わない恋心…てのがさ」

小牧の口調は、どこかさみしげだった。



  
百万回の愛してるを君に