「ね、本当はさ、俺一回君に忠告するだけで辞めようと思ったんだよ。意地悪なこという気もなかった。だけど、君があまりに素直だからさ。つい意地悪しちゃったんだ。昔の俺を見るようで…。もうけして自分には届かない自分を見るようでさ。だから、つい意地悪しちゃったんだ。俺のほうが子供みたいだよね。気に入らないからって、パズル投げてさ」

ごめんね…、と小牧は菜月に詫びる。
それってどういう意味ですか?と菜月が訪ね返しても、小牧はただ、微笑むだけで何も言わなかった。


「小牧さんはなんでも利弥さんを知ってるんですね…。そして、俺はなにも知らなかった。ただ利弥さんの与えられるだけの愛情に甘えてた。それが偽りかもわからないで」

利弥の過去も。
利弥の傷も。
菜月は何もしらないのに。
小牧は知っている。

小牧は、利弥についた傷すらも一緒になめ合えるような間柄らしい。彼らの言葉でいえば、共犯関係。
そこに、愛はないけれど抱き合って、傷が広がらないようにできる。
一時ではあるが、抱き合う間だけは悲しみを忘れられる存在でいられる。
菜月とは違う。
ただの復讐相手の菜月とは。


「話して下さい、全部。俺のこと…。利弥さんがなにを思って復讐しようとしているのかも。
俺は、なにも知らないから。利弥さんのこと、全然…」

話してほしいと思う。
菜月が知らないこと、すべて。
菜月は知らな過ぎるのだ。
これでは利弥とは向き合えない。
側にいる資格なんてない。
何もしらない菜月は、隣にはいられない。

「何故」

小牧は視線を上げ、菜月に聞き返す。

「君は利弥の元から去るんだろう。
聞かなくてもいいじゃないか」

挑むように、小牧は言った。

「君のお父さんが利弥の家族にやった事は確かに酷いことだ。

でもそれは父親であって、君がやったんじゃない。

君はなんの関係もないんだ」

「関係…ない…」

「わざわざ、面倒に首を突っ込まなくてもいいって事。
あんな男なんかの傍にいないでさっさといなくなればいいって話だよ。
利弥の馬鹿らしい復讐につきあわなくたっていいんだ。
そもそも、復讐だからって純粋な君みたいな子を巻き込むあいつがどうかしているんだから…。
あいつの茶番に君みたいな子が付き合う必要はない。
君は逃げていいんだよ」
「にげて…」
「そう。さっさと逃げて、今までのことは夢だったと思って忘れなさい。傷は早くなおすほうがいい。
これ以上、取り返しのつかないことになる前に悪いことは言わないから、離れなさい。深く傷つく前に。浅いうちに傷つけるのをやめるんだ」
「利弥さんから、離れる…」
「そ。幸せになりたいならね」

去る…?
利弥の元を、去る。
逃げてもいい?

でも。
もしも菜月が逃げたら、利弥は…

『お前が逃げるなら、俺は追うまでだ。

地獄の底へでも追ってやる。』
利弥は、憎しみを抱いたまま、これからも生きていくんじゃないだろうか…?
憎みに捕われた、まま?
ずっと、あの苦しい表情をしたまま。
憎しみに捕らわれたまま?


「俺…は…」

ふと、脳裏にいつだったか、誰も愛さないと言っていた利弥の姿が蘇った。
誰も愛したくないと言っていた利弥。
ぎゅっと見ているこっちがつらくなるような心細いその表情。
あんなかおさせたくないから、そばにいるといった。
彼の傍にいたいと思った。
完璧な彼の完璧じゃない、弱っている姿を見て、彼の隣にいたいと思った。
あれがきっかけで、彼への思いが恋心へと変わった。

大丈夫と、案じてくれた腕も、頭をやさしく撫でてくれた手。

けしてそれが偽りでも

それでも…それは菜月が他人から与えられる初めての安らぎだった。



「俺は、あの人の傍にいたいです…。乱暴にされて、ばか見たいって思うけど、でも…俺…駄目、なんです。何度嫌いになろうって思っても、どうしても無理だった。もう、俺、どうしようもなく、好きになっちゃってるんです。あの人のこと。頭がおかしくなるくらい。自分が自分じゃなくなるくらい、俺は…」

「菜月君…」
「俺は、利弥さんの元にいます。あの人に悲しい顔、させたくないから…」

逃げられない。
いや、逃げたくないと思った。

利弥の元から。

けして利弥は菜月を愛していなくても

憎んでいるだけ…でも……。
逃げたくなかった。
逃げてもどうしようも、ない。

「写真を取られましたし…。それにどこまでも追うって言ってました。だから…」

言い訳のように口にする。
写真なんて建前で、本当はただ、隣にいたいから。

この胸に…。
まだ、利弥を想う気持ちは残っている。

「ねぇ、聞いていい?」
「はい…?」
「裏切られたと思った…?利弥に」
静かに小牧は訊ねる。
飄々としている小牧の真剣な、その表情。

「逃げないって、君は許せるの?
利弥がしていること。甘んじて受け止めるんだ」

追い立てるように、小牧はまくし立てられた。

「俺は…」

許せるか。
許せないか。

考えてもよくわからない。
無理矢理抱かれ、今までの優しさは嘘だと告げられ、悲しかった。

嫌だった。こんな浅ましい自分が。利弥も怖かった。
でも…そうじゃない。
許すとか…許さない、じゃなくて……


「許すとか許さないじゃなくて…ほうっておけないんです……、利弥さんの…こと。あの人のさみしそうな顔見てから、俺魔法にかかったみたいに、俺の心にはあの人が住み着いたみたいで。どこにもいってくれないんです。
だから」

誰かを憎む人生なんて、そんなの悲しい。

憎むよりも笑ってほしい。

幸せになってほしい。
笑顔になってほしい。

(俺は…)

「そんなに、好き…なんだ。利弥が」
正直、そこまでやられてすきなんて驚くよと小牧がいえば、菜月も俺もですと苦笑する。
「俺、利弥さんが好きでした。
真実を聞くまでは。

無理矢理やられて復讐だって言われて…いまも頭がパンクしそうです。
逃げないって口にした傍から、逃げたいって気持ちにも襲われています…。自分でも優柔不断だなって思うくらい、コロコロ気持ちが変わって…」

側にいたい。
でも怖い。
愛してほしい。
でも無理だ。

苦しい、離れたい、逃げたい。逃げたくない。

沸き上がる矛盾な気持ち。
でもそこにあるたった一つの気持ち。


「でも…俺、利弥さんから離れちゃ駄目だって…
離れる事だけは、駄目だって思うんです。離れたら、あの人はきっと一人で泣いちゃうから。あの広い部屋で」

菜月は小牧を正面から見据えた。
その顔は、真実を告げる前より堂々としている。
子供のようにただ、夢を語っている風でもない。

「俺、利弥さんを笑顔にしたいんです。あの人の心から笑った顔がみたい」
「強いね…君は。だから、俺は君が嫌いだったんだよ。俺と違うからさ…。
自分を傷付けた相手の幸せを願える君は、すごく強いと思う。恨むだけの俺や利弥と違って。
俺も君くらい、強ければよかったのにな…」
「小牧さん…?」
「教えてあげる、俺が知ってることすべて。

そうだな…何から話そう…。」

小牧はううん…と思案し…やがて口を開いた。



  
百万回の愛してるを君に