「ますば俺達の家だね。
俺達の実家はね、ここからそう遠くない場所にあるんだ。君の父親も、俺たちと同じ町に住んでた。あの事件が起こるまでは…ね」
「あの事件…?」
「そう。一人の女性が行方不明になった事件。
普段は穏やかな街で起きた、穏やかじゃない話だよ。結構ヘヴィーな話だけど、それでも聞きたい?引き返すなら今のうちだよ?」
そんな思わせぶりな前振りに頷けば、だよね…と小牧は先を続ける。

「円満で喧嘩ひとつしなかった仲がいい夫婦がいたんだけど、ある日突然その妻が行方不明になったんだ。
夫と子供をおいて、忽然と姿を消した。
姿を消した妻に、ニュースキャスターは昔の恋人が犯人じゃないか、とかプライベートなことあることないこと喋っていたみたいだね。夫が犯人だなんて、いう人もいたみたい。
世間ってのは勝手だよね。悲しんで見せても、しょせん他人事ってどこかで思っているんだよ。
結局、彼女が見つかったのは、7年後だった」
「7年も…」
「彼女は監禁されていたんだよ。
7年間ずっとね。そして、彼女を監禁した人間の名前は…、中川喜一」
 
中川喜一。
名前を告げられた瞬間、ぞくりと身が震えた。
告げられた名前は菜月の父親の名前だったから。
強張った顔になった菜月をちらりと一瞥し、小牧は言葉を続ける。

「監禁から戻ってきた彼女は、精神が壊れていた。
7年間も監禁状態だったからね。
美しかった見た目はなくなって、目には生気もなくなってた。
醜くなった彼女はさ、捨てられたんだ。中川喜一に。
利弥の父親は、なんとか利弥の父親を訴えようとした。でも、全部無駄に終わった。
中川喜一は、君も知るように、すごくお金を持っていたからね。証拠不十分で、すべてもみ消されてしまったんだ。
中川って男は、計算高くてね、監禁した証拠も残してなかった。彼女のほうから中川の家にいついたってことにされたらしいよ。妻を監禁されたうえに、ないがしろにされた旦那は当然、中川喜一を恨んだ。
妻を愛しているからこそ、中川への夫の憎しみは大きいものになっていた」
「憎しみ…。まさか、その夫って…利弥さん…」
「あはは、違う違う。
あいつは、独身だよ?それにそんな年じゃないってー」

今からもう何年も前のことだからね、と、小牧はつけたす。

「さらわれて監禁されたのは…あいつの母さんだからね」
「え…」
「だから、利弥のお母さんが中川喜一に監禁されたの。仲のいい夫婦の攫われた妻は、利弥のお母さん。
あいつはね、中川喜一に幼いころにお母さんを奪われたのさ。
甘えたい年ごろにね。
それだけじゃない。彼は復讐しようとしていた利弥のお父さんまで、事故に見せかけて殺しちゃったんだ。
酷いやつだよね。
自分のためだけに、たくさんの人を傷つけて。何年も逮捕されず、のうのうと生きていたんだよ…。何人も愛人を抱えてね」
「おとうさんも…おかあさんも…。俺のおとうさんが…?」

自分の利益。
それだけの為に。
彼は人の人生を奪った。
だから…利弥はその子供の菜月を恨んでいる?


「利弥の母親はさ、利弥の父親を追うように自殺しちゃったんだ。
利弥の母親はさ、利弥の父親に支えられていたんだと思う。狂った彼女にとって、利弥の父親は命綱みたいなものだった。

利弥、たまに言うんだ。
あんなことがなければ、幸せな家族でいられたままだったんじゃないか…って。もっと笑っても許されるような幼少期を過ごせたんじゃないか…って。あいつさえいなければ…って」
「…俺の父親さえいなければ…」

「そう。いなくなった妻を利弥の父親は愛していたからね。
そんな父親を間近でみていた利弥は、いつからか、笑っちゃいけないって思ったみたい。お父さんが悲しい思いをしているのに、自分が笑えないって。両親が死んでからはそんな思いが凄く強くなってね。
いつか家族を奪った中川に復讐してやるって
それが口癖になってたよ。あいつの」

「利弥さんが…」


菜月の父親のせい

菜月の父親の仕打ちで彼は復讐に心を染めた。
利弥の家族を、笑顔を奪ったのは中川喜一。
菜月の父親である。

(俺の…ちちおや…)

「力をつけた利弥は、不正情報を入手して中川喜一に復讐をはたした。中川の今までの数々の悪事は、利弥の手によってばれたんだ。
中川はね、今まで明るみに出なかっただけでたくさんの憎しみと恨みを方々から買っていたんだ。
もちろん、利弥みたいに家族を奪われたやつもいた。
報道が出て、逮捕されて、そして中川喜一は」

「獄中で…首を吊った…」

「そう…」

小牧はそういうと、珈琲カップを持ち上げて、口づけた。

コクり、と喉が動く。

菜月はただそれを魂が抜けたようにぼんやり見ていた。

家族を奪ったにくい男の子供。
一緒にいたい、利弥の帰る場所になりたいと言った菜月を、利弥はどんな思いで見ていたのだろう。
自分の父親こそ、利弥の大事な人を奪った原因だというのに。
どんな思いで、己をすきだという自分を見ていたのだろうか。


「中川喜一に死なれて逃げられて、利弥の今までの憎しみは、宙ぶらりんになった。
あっさり死なれて、ね。
中川喜一は死んで逃げたんだよ、世間からの視線や、利弥の憎しみから。
憎しみを楯にいきてきた利弥は中川喜一が死んだことにより、生きる意味をなくした。

憎んでも憎んでも、愛しかった家族は帰ってこない。もっと苦しませて償わせたかった中川は帰ってこない。


やり場のない怒りを抱えた利弥は…君に目をつけたんだ。
中川喜一の…憎むべき相手の子供に」

「…俺に…」
「これが俺が、知ってるすべてだよ。
利弥も可哀相だよね。

悲しみから、憎むことをしないと生きられないなんて…さ。だけどしょうがないよね。復讐があいつを形成してきた人生の大半なんだから」
菜月がいる限り、利弥は憎み続ける。

家族を失った悲しみに変えて。
ずっとずっと憎み続ける。
菜月が生きている限り
利弥が生きている限り


憎しみは、消えない。
失った家族は帰ってこないから。


「怖くなった…?」
「えっ…」
「泣いてる…」
そういって、小牧は菜月の頬を撫でた。

「俺…怖いんじゃ…ないんです。
ただ…利弥さんが可哀相…で…」

「可哀相なら、理不尽な理由で復讐とかされている君の方だと思うんだけど。君の親が勝手にやったことで、君は一切関係ないと思うんだけど」

そう小牧がいえば、菜月はブンブンと首を横にふる。

「関係なくなんてないです。俺があの人の家族を奪った息子なら。俺は返さないといけないと思うんです
辛くても、利弥さんの側にいたい
あの人がさみしい思いをしないように、ずっとそばに」

「傷付くよ、また泣いちゃうかもよ」

同情するかのように小牧が眉を潜めれば、

「それでも…一緒にいたいんです…。
俺の父親が利弥さんの笑顔を奪ったなら俺は返さなくちゃいけないと、思うから」

瞳を潤ませたまま、菜月はニッコリと小牧に笑った。



「ねぇ…君にとって父親はどんな人だったの。いい父親だった?中川喜一は」
「知りません」
「知らない?」
「俺は一人でした。
…父は…ほとんど家には帰ってきませんでした。
だから俺は父を知らない。ただ、暴力奮ってただけの父親しか。愛されたこともないから、なにを思っていたのかも、どうしてそこまでひどいことをできたのかも知らないんです」

「なんていうか…」

はぁ、っと呆れたように小牧は息を零した。
まったく…とつぶやく小牧の瞳は、言葉とは裏腹に優しい。

「なんで、君みたいな子に復讐なんてするかなぁ、利弥は。犬みたいに慕ってくれて。こんな子傷つけるなんて馬鹿だよね。」
「そんな…」
「君もさ、利弥じゃなくて、もっと別なところ見てみなよ。

利弥は確かに、男前だよ。お金も持っている。だけど、俺がいうのもなんだけど、性格が破綻しすぎている。
完璧な男だけど、あんな傲慢で自分勝手な男、好きになるだけ無駄だと思うよ。
あいつはさ、誰かを愛するなんてできない人間なんだから。
だから、君も別の人にしなよ。利弥なんかよりも、もっといい人はこの世界にたくさんいるよ」

「そんな人…」

「ねぇ菜月くん。
優しい人はいっぱいいるんだよ。
利弥みたいにかっこよくてスマートで、社長で、でも君に優しい人が。
あいつだけが、男じゃないんだよ。別に誰だっていいじゃないか。あいつに固執する必要はないよ」


何故利弥なのか。
どうして、菜月を憎んでいる利弥がいいのか


「それでも利弥がいいの…」
「それは…」

菜月は小牧に曖昧に笑った。

どうやら、菜月もそうとう頑固らしい。

利弥に似て。


「君も馬鹿だね、利弥と似て」
「はい…、馬鹿です」
「ほんと、だよ…」
「でも…小牧さんはそんな俺にも優しいですよね…」
「俺は、いい人だから、ね。利弥と違って」

小牧は冗談っぽく、笑った。

またなにかわかった事があれば連絡すると言って、喫茶店で小牧と別れた。


 マスターのいうように、小牧は優しい。
利弥から中川喜一の事は聞いているはずなのに、息子の菜月にも優しくしてくれる。
傷つかぬよう忠告もしてくれた。

まだ、大丈夫だ。
自分は。
まだ、利弥の側にいられる。
小牧も呆れていたけれど…駄目だとは言わなかった。
マスターだって、裏切られても傍にいると言っていた。
ならば。
ならば、ずっと、一緒にいたい。利弥と。


「帰ろう」

そう呟いて、帰路を急いだ。

外に出ると夕焼けがだいぶ沈んで、闇が近く薄暗かった。


(泣くのは終わりだ。泣いてばかりじゃ、駄目だ。

俺が中川喜一の息子なのは代わらない。利弥さんが憎んでいるのも。でも…)
…菜月の心にひっそりとさく、小さな願い。


(俺をすきになってほしい…)
瞬く星に向かって祈る。

利弥の憎みが少しでも少なくなりますように。
あんな悲しい顔して、憎しみで心を濁らせて泣いてしまいませんように、と。






  
百万回の愛してるを君に