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翌朝。
菜月は利弥の腕の中で目を覚ました。
(利弥さん…)
少し窪んだ目元。痩せた頬骨。
利弥は目に見えてやせたと思う。
普段一緒にいる菜月ですらわかるくらいなので、会社でもきっと噂になっているだろう。
プライベートで何かあったのか、とか変な女と付き合っているんじゃないか、とか。
そのうち会社の人が家に押しかけてくる日も遠くないかもしれない。
(社長さんなんだから、いつまでもこんな風だったら駄目だよ。利弥さんはお飾りなんじゃないんだから。
こんなところで、つまづいていちゃ、ダメなんだよ。俺1人にこんな風になっていたら、駄目なんだ)
普段は後ろに流している前髪が、今は下ろされておりいつもより子供っぽくなっている。
オールバックにまとめているときは、隙のないヤクザ顔負けの男なのに。
眠っている今は無防備で幼い。
出会った時は、こんな完璧な人には悪夢で怖がる自分のことなんて絶対に理解して貰えないと勝手に利弥に対して理想の完璧な男を重ねていた。
(完璧な利弥さんの完璧じゃないところを知るのは、俺だけでいいんですよ…。
どうするんです、他の人にも利弥さんの弱いところばれちゃったら。今までずっと隠していたんでしょう。
1人で頑張ってきたんでしょう。
こんなところでダメになっちゃ、ダメじゃないか。
俺1人の出現で、今までの努力無駄にするつもりなんですか…)
母親と、香月のことで悪夢を見ると言っていた利弥。
彼は今までの人生で、一体どれほどのものを背負ってきたのだろう。
きっと、小牧の話が利弥のすべてではない。
小牧の話は、あくまで利弥の一部でしかない。
香月のことは、香月しかわからない。
そして、また利弥の想いも、利弥しかわからないのだ。
どれだけの憎しみを抱えていたのかも、どれだけ寂しさや孤独と闘っていたのかも、利弥でないとわからない。
(寝ている時は子供っぽいのにな)
菜月は眠っている利弥の前髪をかきあげて、現れた額に口づけるとベッドから降りて落ちている服を身に着けた。
服を一緒に、昨日利弥に破られた香月との写真も集めた。
「あれ…おかしいな…」
ほろり、と涙が頬を滑り落ちる。
ほろり、ほろり、と。
バラバラにされた写真を拾い集めるたびに、こみあげてくる涙を止めるのに必死で、ぼやける視線は何度拭ってもクリアになってくれなかった。
(俺は、かっちゃんみたいになれないのかな。
利弥さんは俺と一緒にいると、復讐に囚われてしまう。
俺が存在すれば、利弥さんは意固地になる。子供みたいに意地になるんだよね。
プライドみたいなの、捨てたらきっと楽になるのに。それが、できないんだ。利弥さん不器用な人だから)
そんな不器用な人をすきになった自分もまた、けして上手な生き方はできていないんだろう。
我武者羅に、迷って迷って、先を見るのを怖がっている。
生き方が上手な人だったら、こんな風に悩むこともないのだろうか。
1人の人に拘ることもないのだろうか?
このまま、利弥さんのもとを、出よう。
昨夜、抱かれている間ずっと考えていたことだった。
利弥が菜月の言葉を聞いてくれるなら、このまま彼との生活を続ける。
そして、もし聞く耳を持たないようだったならば、この生活をやめる。
一種のかけだった。
そして、昨日見事に菜月は賭けに負けたのだった。
逃げたくない。利弥をほおっておけない。
その思いは今も寸分も変わってはいない。
傍にいたいのも、彼が好きだといった言葉も、どれもこれも逃げないと利弥に宣言した時のままだ。
賭けは現状を変えるきっかけ≠ナもあった。
どれだけ好きだと言い続けても、利弥を変えることはできない。
ならば、いっそのこと、利弥の元を離れ考える時間を設けてみたらどうだろう。
逃げるのではなく、考える時間を設けるため利弥の側から離れるのだ。
もしかしたら、自分も利弥と一緒で意地になっているのかもしれない。
ただ必死になってぶつかって、自分の意見を言って、届かないからと傷ついて。
利弥もそんな必死の菜月に、同じように冷静になれずにいたのかもしれないと考え、菜月は昨日賭けにでたのだった。
利弥が素直に聞き入れるなら、このままでいよう。
けれど、もし聞き入れてくれない場合は、ここから出よう、と。
「北風と太陽みたいに、俺は冷たい風をムキになって利弥さんには浴びせていたのかもしれないよね。自勝手な思いは、よかれと思っていても相手に負担かけていただけかもしれないね」
ずれかけていた利弥の布団を引き上げて、一度自室に戻ると昨夜まとめたボストンバックバックに集めた香月の写真と、財布をつめた。
そして、出て行く前に、もう一度菜月は利弥の部屋に赴いた。
「利弥さん…、俺が出て行ったら少しは、哀しそうな顔してくれると嬉しいな。いくら嫌っているっていってもさ、今までずっと一緒に暮らしてきたんだから…。せめて、うさこさんの半分くらいでもいいから、哀しんでよね」
さようなら。
小さく別れを告げると、菜月は静かに利弥の家を出た。
百万回の愛してるを君に