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カレンダーが残り少なくなった頃。
菜月の怪我は、順調に回復に向かいつつあった。
足のギブスはとれ、松葉づえを使わなくても一人で歩けるようにもなっていたし、年末あたりには右腕のギブスもとれそうだと、医者のお墨付きももらえた。
 一人でできることも増え、利弥の世話にならなくても自分一人でできることもふえたし、不安で夜眠れないといったことも少なくなってきた。


 自由に歩けるようになると、菜月は一番最初に長い間世話になったバイト先の店長に挨拶にいくことにした。
入院したときに、利弥のことも話していたし、バイトを辞めることは話していたものの、こうして歩けるようになった報告を…と思ったからだ。

 それに、バイト先近くにある公園にも、気晴らしに寄ってみたくなったのもあった。


手がかじかむほどの寒さが到来し、公園の木々は葉を落としていたし、花々は咲いていない。
けれどそんな冬らしい殺風景の公園を見てゆったりするのも、気分転換になるだろう。

 一人で歩けるようになるまでは、利弥の付き添いで車に乗せてもらい外に出たこともあったのだが、一人で自由にどこかへいくことはできなかった。
久しぶりに気兼ねなく外を歩けそうだ…と、その日は朝から妙に浮かれたような、遠足前の子供のような、ワクワクとした気持ちになっていた。






 利弥の家から菜月が勤めていたバイト先は、少しばかり距離がある。
駅から降りて、そこから徒歩で20分以上かかる。
リハビリもかねて、少し歩いてみようと思った菜月は、ゆっくりとした足取りで時間をかけて、長年勤めていたバイト先へ足を向けた。


(ちょっと、しんどいかも…)
バイト先のある駅から歩いて数分。
少しくらい時間がかかっても、なんとか到着するだろう…と思っていた菜月の予想は大きく外れていた。
朝早くに出たにも関わらず、自分で思うよりも足取りがゆったりしていたせいで、お昼をまわろうとしているのに、未だに目的地のバイト先に到着することができていなかった。


今日は夕方から肌寒くなりそうです、と、お天気キャスターのお姉さんが笑顔で言っていたのが恨ましい。

天気予報の言うことを聞いて、わざわざ厚いコートとセーターを着込んだのだが、バカバカしく思えるくらいの冬らしくない気温であった。
着込みすぎたと後悔するくらい、菜月の顔は暑さで赤らんでいた。
べっとりと額に張り付く髪がうざったい。


こんなに歩くのって体力が必要だったの…?と思うくらい、身体の疲弊は酷くて、菜月はつい、バイト先への道すがら、ぐったりと歩道隅に座り込んでしまった。


(リハビリちゃんとしていたんだけどなぁ…)
真冬だというのに、少し歩いただけで汗だくになり、息切れした自分の身体が憎くい。
はぁはぁ…と、口から落ちる息は、なかなか整ってくれなくて。
酸欠のように、次第に頭もくらくらとしてきた。

しゃがみこんで、今日はこのままバイト先にあいさつにいけるんだろうか…と不安になった菜月に
「あの〜」と悩みとは無縁の呑気な声が頭上から、かかった。


「おにいさん、大丈夫?」
こてん、っと首を傾げながら菜月の顔を覗いてきたのは、黒のベストを着ていた可愛らしい少年であった。
サラサラの整えられた黒髪に大きな瞳の、いかにも育ちのよさそうな上品な顔をした少年である。
瞳の大きい童顔の愛らしいその顔は、さながら、仔犬のようでもあった。


「具合悪いの?」
「え…、あ、うん…」
「じゃ、うちこない?
こんな寒空のした、このままじゃ辛そうだし。
うちにきて、休みなよ。
で、売り上げに貢献してほしいなぁ〜なぁんて。
ちょうど、お昼に近いしさ…!」
「う、うち…?」
「ああ、えっと、僕バーテンダーってやつなんです。
といっても、まだ見習いなんですけどね。ほら、そこのお店」



少年はそういって、菜月がしゃがみこんでいた場所の左手側にある、レトロな雰囲気のアンティークショップのようなお店の一角をさした。

店の外には古めかしい木の看板がおいてあり、「Broken heart」とかかれている。

窓ガラスから中を覗くと、中は昼だからか電気はついておらず、少し薄暗くて、レトロな内装をしていた。
まるで、ヨーロッパの一角にあるような雰囲気を醸し出している。
アンティークが好きな人間にはたまらない、けれど興味ない人間には立ち入るのが少し勇気がいる、そんなお店である。


「アンティーク店?」
「ううん。これは昔の店長の趣味なの。
お店に飾っているのは売り物じゃなくて、あくまでお店のインテリア。
でも、オシャレでしょ? こういうアンティーク。
僕ずっとこういう、時間を忘れるようなお店で働きたかったんだよね。
ピアノ奏者とかよんでゆっくりお酒を窘めるお店。そんな時間を忘れるような場所で、時間を忘れるようなカクテルを作れるようになるのが、僕の夢なの。疲れた時に、疲れを吹き飛ばすような…、辛いときは辛さを忘れてしまうくらいの、そんな時間をお客様に提供したいな〜って。」
「夢…」
「そう。
僕のちっちゃな夢の一つなのよ。
そんでもって、この店はそんな僕の夢をかなえてくれる場所なの。
内装は小さいけどね…あ、これ、店長マスターには秘密にしてね」

少年は、そういい、茶目っ気たっぷりに笑う。


「お兄さんもとくに用がないならランチ、どうかな?
ここ、ゆっくりお酒も飲めるし、おしゃべりも楽しめるお店だし」
「お酒…?バーなのかな?
ごめんね、俺、未成年…」
「あ、昼はランチもやっているんだよ!
喫茶店代わりにもなっているんだ。
いつもは14時から開店なんだけどお兄さん具合悪そうだし、休憩がてら寄ってかない?このまま外にいても風邪ひくよ?」

少年はそういって、菜月の腕をとり立ち上がらせる。しかし、やはりまたふらついてしまって、慌てて少年は菜月の身体を支えた。
菜月よりも年下の少年…と思ったものの、支えられれば菜月よりと同じくらいの背丈があり、菜月のほうが若干華奢のようだった。


「ほら、ふらついてるじゃん」
「うん…ごめん…」
「急ぎのようでも、あるの?」
「そんなことはないけど…」
「じゃ、よってってよ。うちにきたらきっとその味に虜になっちゃうからさ…!」
「う、うん…と…」

ナンパのような呼び込みにどうしようか迷ったものの、ちょうど小腹もすいてきたし、少し休憩を挟みたいと思っていたところだった。
声をかけてきたのが強面の男であったり、いかにも軽そうな男であったのなら警戒心を持ったかもしれないが、目の前にいる少年は童顔でおよそ、悪そうには見えない。

 少年の勢いに流されるまま、菜月は古めいたアンティーク調のお店に立ち寄ることとなった。







 お店の中は、アンティーク調のインテリアがところどころに置かれいて、ゆったりとしたジャズ音楽が流れていた。

昼だからか、電気はつけていないようで、全体的に薄暗い。
店の入り口付近には、菜月の背ほどの大きな古時計も置いてあった。
いかにもな年代物で高そうなアンティークであったが古時計で、秒針は正確に時を刻んでいる。

ほかにもランプや可愛らしい陶器や人形など、懐かさを感じるものが多数配置されていた

まるで、時間が止まっているかのような、レトロな雰囲気に、菜月は落ち着きなくきょろきょろとあたりを見回した。



  
百万回の愛してるを君に