男たちの欲まみれた狂宴《きょうえん》が終わるころ、暗闇を纏っていた空は霧の間からほんの少しだけ、薄明《はくめい》しはじめ、この国の夜明けを感じさせる色になりつつあった。

男たちから散々弄ばれたシャルルは、なんの後始末もされず、汚れた体をそのままにベッドに放り出されていた。
残滓は太股を濡らしており、散らされた赤い痕はきわどいところまで刻まれていた。


「…はっ…く…」
男達から、解放されて数刻。シャルルの口からこぼれ落ちる息は、未だに艶っぽさを残している。
望まぬ快楽を与えられた熱は、いまだに下がることはなく、肌にかかっているだけの薄い肌着が、肌をこする僅《わず》かな刺激にも、敏感に反応してしまっていた。
シャルルは小刻みに身体をふるわせ身悶えながら、身体の熱が引くのを待った。

男のものを散々くわえこんだアナルは、現在はコルクのような栓で塞がれており、男たちが吐き出したものがかきだされることなくそこに残っていた。
媚薬の効果は散々抱かれ薄れたのだが、今度は男達が吐き出した残滓が、シャルルを苦しめる。
腹のあまりの圧迫感にシャルルは顔をしかめ熱い吐息と一緒に呻き声もこぼれた。


このままにしておけば、腹を下してしまうしこんなもの一刻も早くかきだしたいのだが、それをシャルルを自由にしているあの男が許すことはない。

バハロの意向に反したところで余計にバハロの機嫌を損ない、酷い目にあってしまうことを、シャルルはこの数年で学んだ。

化け物に抵抗するだけ無駄なこと。
もう抵抗する気すら、ない。

昔は、シャルルもバハロの意に染まりたくなくて、表情には出さずに、何度も反抗していたけれど。
そのたびに与えられる責め苦に、シャルルの精神はすっかり疲れ果てて、今では余計な抵抗もしなくなってしまった。


もう諦めてしまったのかもしれない。
男の手から逃げ出すことに。

このまま死ぬまで一生あの男の飼い犬になる、そこに自由なんかない…。
いつの頃からか、シャルルは一切の抵抗をやめて、男の言葉を忠実にきく犬のようになった。


いい犬。
そう罵られてもしかたがない。
自分は、もう犬なのだ。
あの男にとっては。

好きな時になかせることができ、反抗もしない。
かわいく着飾って、他人に自慢するだけの愛玩人形にすぎない。
そこにシャルルの意志などはないし、あらがうこともできない。

どんなに反抗しても、その反抗はまるで赤子の手をひねるように握りつぶされてしまうのだから。

何度、バハロの寝首をかこうとし、失敗しただろうか。
何度、セックスに溺れたふりをしながら、バハロの首を狙っただろうか。

何度もバハロを殺そうとし、その度に失敗し、罰を与えられる。

 周りには味方のいない、一人きりの戦いを数年続け…、やがてシャルルは諦めた。
バハロは人ならざる化け物。
どんなに殺そうとしたって、その身体を傷つけることはできない。
あの、化け物にはシャルル一人の力など、到底無力だった。

どうせ反抗しても、どうにもならないのなら、だったら大人しく言うことをきいた方が身体に負担はかからずにすむ。




 逃げたい…。
もう、何度考えただろうか。
ここから…あの男から逃げたい…と。
なにもかも忘れて統べてから逃げ出したい…と。
そう何度思っただろう。
でも、逃げられない。
逃げることなど、許されない。

父も母も、兄も、そして仲が良かった執事や乳母でさえ殺されて、もう近しい人はすべていなくなってしまったシャルルであったが、卑怯な男はシャルルに更に民の命を背負わせた。


シャルルが逃げてしまえば、この国に住む民を皆殺しにする…と、バハロは死を選ぼうとしたシャルルにむかい残酷な言葉をつげた。

「おまえが死ねば、この国の民はワシの暇つぶしとして殺す…」と。
シャルルが死を選べば、この国に住むすべての人間はあの卑怯な怪物…バハロに殺されてしまう。

それはけして、生ぬるい脅しではない。
容赦なく、あの男は民を殺す。
シャルルはバハロの残忍さを目の当たりにしているので、バハロの脅しがけして嘘ではないことを
知っていた。バハロの言葉は絶対であり、どんなに不可能なことも可能にする…。
バハロの言葉どおりにすべては動いていくのだ。


 シャルルが、真面目な男でなかったら、噂通り国を裏切った自分本位の男であったのなら…、今頃この国の人間はバハロにすべて殺されていたかもしれない。
シャルルのように、バハロに苛まれる人間が出ていたかもしれない。
シャルルの犠牲によって、国の民は生かされている。
それを、国の民は知ることはなく、それどころかバハロ同様に激しい憎悪を抱かれている。

シャルルが街に降りれば、その身を亡き者にしようと刃を向けられたことも、一度や二度じゃない。

そんな仕打ちをされてなお、シャルルは今も生き、憎い男の慰めものになっている。


(この国を守るのが…あいつとの…騎士の誓い…だから…)
ぐっと拳を握りしめて、くじけそうになる心を叱咤する。

 民に真実は伝わらず忌まわしい娼婦のような王子と咎められたとしても、この国の民を守れるのは、シャルルしかいない。
シャルルが逃げ出してしまえば、次に矛先がいくのは、無力なこの国の民である。
シャルルがあの男の言いなりになることを条件に、この国の民は生かされている。
民は誰一人事実を知ろうとはせず、寝返っただろうシャルルに憎悪を募らせていて、こうしている今もバハロとともに民からは暗殺する対象になっているのに…。

(オレは、ずっと変わらない…。この国を愛しているだけ…。たとえ、どんなに、あの化け物に汚されようと…。オレは、あいつとの騎士の誓いを忘れはしない…。それが親兄弟を殺されたオレの最後の守るべきものだから…)


 シャルルは未だに疲労感が残る体に鞭を打って、体を起こすと、鉄格子がついた部屋の窓から、海を見つめた。
両親も仲のいい執事や乳母を殺されたシャルルにとって、唯一心休まる時は、こうして窓から海を見つめている時だった。王城は小高い丘にそびえ立っており、シャルルに与えられた部屋の窓から、海を見ることができる。
しかし、国中に立ち込めた深い霧のせいで、はっきりと海の色を眺めることはできない。

ぼんやりとみえる程度。

でも、海をはっきり見ることができなくても、海がそこにあると感じることはできる。

霧の間でたまに国を行き来する船の影。
深い霧の中、うっすらと見える水面。
ザザン、ザザン…と寄せては返す波の音。
それから、潮の香り。
それら海の感覚を感じ取ると、シャルルの心は何故か安らぎを感じて壊れてしまいそうな心も少し落ち着くのだった。



何故、海を見ると落ちつくんだろうか?
なにが、そうするのだろう?


物心つく前から、シャルルにとって海は心安らげる場所であった。
辛いことがあれば、誰に教えられるわけでもなく海辺にいき、日が沈むまで海を見ていた


それは、バハロがこの地を略奪しても変わることはなく、海はシャルルに安堵感をもたらした。
海はバハロという海賊をこの地に連れてきたイヤな思いでも、悲しい思いでもあるのに…。
不思議と海を見ると悲しい思いでもイヤな思いでも薄れていった。


 海を感じると落ち着くのは、シャルルが海の神の加護があるといわれる人魚だからだろうか。
人魚だから、海を感じるとこんなにも安堵するのだろうか。
海を感じれば、何故か無性に懐かしくて、懐かしくてどうしてか懐かしさに泣きたくなった。

 寄せては返す波の音を聞くと、ゆりかごに揺られているような、心地よさを感じる。
おいで…おいで…と海から呼ばれているように感じてしまう。
おいで…おいで、ここに…おいで…そこから出て安らげる海においで…とまるで誘われるように海の波の音が聞こえた。


 海をみたい。
もっと広い海を。
途方もない広い海をみたい。
広い広い、どこまでも続く海を。

 この国を出れば、こんな深い霧でぼんやりと見える水面じゃなくて、太陽に照らされて青々と煌めく海が見ることができる。
太陽に照らされ反射し光の粒を散りばめたような、美しい海が、この国を出れば見ることができる。

 この国を出れば、海も自由もある。
こんな苛まれる毎日じゃなくて、もっと心の底から笑えるような楽しい毎日があるかもしれない。

この国を出れば…。

(…バハロが死ぬそんな時がこないと…無理なのにな…)

波の音を小耳にいれながら、窓枠に膝をついたまま、シャルルはあきらめにもにた笑みを浮かべる。

自由は手を伸ばせばすぐそこにありそうなのに…けして手に入れることはできない。
シャルルは翼をとられた鳥のように、与えられた部屋という檻の中で、自由を夢見ることしかできなかった。

翼の生えた鳥ならば、こんな檻からすぐに飛び立って海へといけるのに。
広い広い海を自由気ままな海鳥のように飛んでいけるのに。
どんなに空想したって、鳥になることなんてできない。背中に翼がはえることはない。

背中に翼が生えたなら、今すぐこの窓を飛んでいくのに。
今すぐ、この空を飛んであの人を捜しに海に向かうのに。



「ギルバード…」

ぽつり、とシャルルの口からこぼれたのは、かつて自分を慕い、愛を口にしていたものの名前。

シャルルより一つ下の、この国の騎士団長の息子であった。
彼はいつも自信満々で…、若さ故だろうか…?
怖いもの知らずで、無鉄砲で臆することなく王子である自分の手を取り、色々な場所に連れて行き、そして愛を歌った。
陽気で楽しいことが大好きで、人を笑わせることが大好きな彼。

他人と違い、涙を流せば真珠になってしまう、特殊な身体を知られたくなくて、いつも冷たくあしらっていたのに。
ちっとも可愛らしさなんてなく、生意気なだけの子供だったのに。
そんなシャルルの態度を気にすることなく、ギルバードはシャルルに愛を乞いた。


好きだよ…、あんたを、愛してる…。
あんたが…、笑われるかもしれないけど、本気で好きなんだよ…と。

 何度も何度も変わらずに愛を伝えるギルバードに、いつしかシャルルも同じような気持ちを抱くようになった。

同じ男で、騎士団の仲間で、誰よりも仲のいい友で…自分と張り合える好敵手ともいえる相手であったのに…。
誰よりも恋しいという感情を、同じ男で、それも自分よりも男らしい顔をした少年に抱いた。
あこがれから、恋愛に。
ただの好きから、愛に。

その感情ははじめは小さく、月日を重ねるごとにドンドンと大きくなり、やがてはっきりとした自覚を感じるほど確かなものになっていた。
気づけば愛の種が植えられていて、いつの間にか成長し、つぼみができて、華が咲いていた。
とても綺麗な恋の華が。


 元々、ギルバードという男は、とても魅力的な男であった。
剣ではシャルルに一度も勝てたことはなかったが、騎士団でも強い方で、陽気で明るく、また困った人がいればほっとけない、馬鹿がつくほどお人好しで優しい…真面目な好青年であった。

気障ったらしくて、ちょっと女ったらしな部分もあったが、根は真面目で一途で熱い男で…。

人がいい明るい豪快な男らしいギルバードに、自分との違いに最初は嫌悪もしたけれど、いつしかそれは憧れに代わり、そして、恋に代わっていた。

ギルバードといると、心がぽかぽかとして、ギルバードが側にいないと悲しくて泣きたくなる。
ギルバードがいれば、どんなに辛いことでも乗り越えていける。

本当は臆病で、恐がりで、とても弱くて、泣き虫で、いじっぱりで…、強がることしかできなくて、全然王子らしくなかった自分。
そんな自分とギルバードはいつだって対等に、隣を歩いてくれた。

海の加護を持つ人魚という重圧に押しつぶされそうになったとき、支えてくれたのはいつもギルバードだけだった。
いつしかシャルルは、自分の元にギルバードがくるのを毎日待ちわびるようになった。
口では軽くあしらっても、本当は誰よりも信頼していたし、頼っていた。


愛していた。
いまでも、愛している。
彼を思って、毎夜悲しみで苦しくて泣いてしまうほどに。愛してる。
愛おしくて自分がどうにかなってしまいそうなほどに。

けれど、当の本人に、シャルルが愛を告げたことはなかった。

自分は王子だから…男だから…と真剣な告白に、まともに取り合わず、いつも簡単に流してしまっていた。
本当は、嬉しかったのに。
前向きで、いつも一心に自分を思い愛していると口にしてくれるその人物を、自分も同じように思っていたのに。

臆病なシャルルは、ギルバードの愛を受け入れかわってしまう関係を怖がり、一度も彼に答えてやることはなかった。
仲のいい一番の友人。それ以上を踏みいってしまうのが怖くて。戻れない関係を進んでしまうことに、不安があって。
好きだよの彼の言葉に冗談言うな、と窘めた。

 真剣な告白を、冗談と流したシャルルにそれでもギルバードは離れることなく側にいてくれた。
何度断っても、傷つかないはずはないのに、かれはシャルルの側にいて、愛の言葉を言い続けた。
何度振っても冗談にしても、彼は隣に居続けた。


自分より年下で、どんなときでも自信に満ちあふれ、笑いの絶えなかった人。
愛しているという言葉に、自分もだよ…と返したくなったはいつの頃だったか。

愛してる。
オレも、お前を愛している。

誰よりも、愛してる。
お前に、女に恋するように。
恋焦がれて愛してしまったんだ…と。

けれど、もう、その言葉は届かない。
けして、届くことはない。

ギルバードは、行方知れず…、いや、きっと死んでしまっているのだから。


 ギルバードは、シャルルの目の前で、嵐の日にバハロに海に投げ出された。シャルルの盾となって。

嵐の日。雨風が激しい海の波に攫われて…、ギルバードの身体は波に飲まれ消えてしまった。
自分を省みずシャルルもすぐにそのとき嵐の海に飛び込んだのだが、激しい激流の中、シャルルは愛しい人を見つけだすことはできなかった。
シャルルの身体はすぐにバハロにとらえられたのだが、結局ギルバードの身体はどれだけ探しても見つかることはなかった。


 あんなに波が荒れていた海で、普通の人間であったら生きているはずがない。
あんな荒れていた海で…船だって、バハロが乗っていた海賊船以外は皆、海の藻屑となってしまった。国の騎士団の船も、1隻も残すことなく、すべて大破してしまった。


 ギルバードは死んだ。
海にさらわれて死んでしまった。

その証拠に、ギルバードが消え去って数日後、いつも肌身離さずつけていた彼の母親の形見であるペンダントが浜にあがってきたのだから。

ギルバードは死んでしまった。
海に呑まれて。
この世を去ってしまった。


海の泡となって消えたい。
そうしたら、ギルバードと一緒になれるのに。
海の泡になれば、誰に苛まれることもなく、ずっとギルバードと一緒にいることができる。

幾度、海を前にその身を投げようとしただろう。海の藻屑となって、海に消えたギルバードと添い遂げたいと思っただろうか。


(誓うよ。
あんたを守る騎士になると…。
だから、あんたも…この国の王子としてこの国を支えて…。

この国を守って欲しい。
そんなあんたを俺が支えるから。
あんたが守られる姫さんになりたくないならそれでもいい。

一緒に剣をとろう。
一緒に戦おう。
この国略奪しようとする悪しき人間から、この国を守ろう。
あんたは、あんたらしく剣を振るえばいい。
あんたの後ろは俺が守ってやるから。
あんたは俺に背中を預けていればいいから…。
俺は、あんたも、この国も騎士として守っていくから…)

男である自身を好きだというのに、けして女らしくしろと言わなかったギルバード。
彼はシャルルがこの国を守る騎士になりたいと語った時、反対もせずに真剣になって話を来てくれた。
あんたが理想とする騎士になれればいい…俺はあんたを支えるだけだから…といって。


この国を守ること。
それが、シャルルとギルバードが交わした約束でもあった。


「いつか…あえたら…この広い海で生きていてくれたら…、それで、いい…。それだけで…いいんだ…」

本当は、愛しい彼に助けてほしいと願ったこともあったけれど…今はそんな大それた願いは抱かない。

ただ、生きてさえいればいい。
この広い世界で、彼らしく、豪快な海のように生きてさえいてくれればいい。

自身は、このままバハロに捕らわれたままだけれど、彼には彼らしく生きてほしい。
それが、今のシャルルの願いだった。
一生、己がこの王城に捕らえられたままでも、ギルバードが別の誰かと恋に落ちシャルルのことななんて忘れていても、生きてさえ、いればいい。


「オレは…ずっとここで、お前の幸せを願っているから…だから…さ…」

シャルルの居場所は、ギルバードの隣ではなくバハロの隣。
どんなに嫌がっても逃げ出してギルバードの元に行きたいと願っても、その事実は変わらない。

バハロがシャルルを気に入っている限り、ずっと…。
年をとり、綺麗な姿が老いればあの男の興味もなくなってくれるのだろうか…。
もっと醜く、見るも無残な姿になれば、バハロもシャルルの身を開放してくれるんだろうか。
いつか…いつか…
遠い未来には…。


「生きていても…もう、オレのことなんて、忘れているかな…。
いや…もうこんなオレなんて…嫌いになっているかもな…。淫乱な娼婦の国を裏切った王子なんて…」
呟いて、シャルルの眦は、じわりと潤む。
その涙が真珠になってしまう前に、シャルルはごしごしと目元を拭った。

 シャルルを綺麗だと言ってくれたギルバード。
いつも真剣に国を思うシャルルを尊敬していると言っていた彼。
でもそんな彼が今のシャルルを見たらどんな顔をするだろう。

理由があるとはいえ、男たちのものを銜えて喘いでいる自分を見たら…。
欲しい欲しいと強請り男に足を開き、腰を動かしている浅ましい己を見られたら…。


「きっと…あいつは軽蔑するだろうな…。こんな、オレで…。
オレ、こんな汚くなっちゃって…。
こんなの…こんなの絶対嫌われる…よな。今更、どんなに好きだと告げたって…、もう…、いらないって言われちゃうよな…。でも…」

シャルルはベッドの隣にある箪笥から、そっとギルバードが肌身離さず持っていたペンダントを取り出した。

鎖が少し寂れているペンダント。
両手でシャルルはそのペンダントを包み込み、まるで祈るような格好で、目を瞑った。

「あいたい…な…」
すぅ…と、1筋、シャルルの頬を涙が滑り落ちていく。
一粒、また一粒、とこぼれていく滴。


「あいたいよ…ギル。お前に…、こんなオレだけど…会いたいんだ…」

あのギルバードの笑顔をもう一度見ることができたら。

「いつになったら、俺は…自由になれるのかな…。いつになったら、この鳥かごから逃げ出せるんだろう」

なにもかも、忘れてギルバードの元に。
ギルバードがいた、あの日あのときに戻れたら、どんなに幸せだろう…。

あのときに戻って、自分の本心を告げて、バハロに捕まってしまう前にギルバードと共に逃げられたら…。
王子であることも忘れて、国も民のことも気にせず逃げられたら…。

「あいたいよ…ギルバード…」
ぎゅっとペンダントを握りしめながら、シャルルは息を詰まらせる。
嗚咽を交えながら、堪えきれない涙を落とす。


「ギル…、ギルバード…ギルバード…」

その声に答える声は、当然ない。
泣きじゃくる涙を、ぬぐってくれる優しい手もない。
シャルルがこぼした涙は、少したつと真珠に変わっていく。
泣けば泣くだけ、シャルルの足下には透明の真珠が散らばった。


「いつでも…お前を思ってる…この広い海の先で…。お前がしんだなんて…オレは思ってないから。
だから、いつまでも、待っているから…だから…」

シャルルは震える唇を開き、なおも返ってくることのない言葉を零す。

「あいにきて…オレの、もとに…。オレをお前の腕で抱きしめて…。もう1度、飽きるほどにオレに口づけて…もう一度、」

もう一度。
どうか、もう一度。

夢だっていい。
夢でいいから。

「オレに、好きだと言って…もう一度だけでいいから…お願いだよ…」

ーーギルバード。
シャルルの消え入りそうな声は、ザザンザザンと奏でる波の音にかき消された。

百万回の愛してるを君に