限りなく人に近い


 幼い頃から、赤レンジャーより青レンジャーが好きだった。

 ヒーローが好きだ。誰かを助けて、誰かを守り、悪に立ち向かう強い姿が、大好きだ。格好良くて、自分には決してできない強いところが大好きだ。
 中でも青レンジャーが、好きだった。冷静沈着、口数は少ないが、切り込み隊長で、颯爽と涼しげな顔をして、悪に立ち向かう。赤レンジャーもかっこいいけれど、私は青レンジャーが好きだった。赤レンジャーが太陽なら、青レンジャーは鈍い月だ。太陽を吸い込んで、青く光る。

「――抜刀」

 キィ、と金属の擦れる音がして、ぎゅうと目を瞑った暗い視界の真ん中で、耳障りの良いがらついた低い声が響く。

「、わ」
「怪我は」
「ない、です」
「ならよかった。ほらよ、立てるか」

 ぐっ、と強く掴まれていた肩を解放されて、私はよろよろと後ずさる。
 仮面をそっと外してフードをとった男の瞳孔は、橙にゆらゆらと揺れて開いていた。瞳の向こう側に、情けなく目尻に涙を浮かべた女の顔が浮かんでいる。私だ。妖術だ薬師だ何だと言いながら何とまあ情けないことか。瞳の奥側の己をじいと見つめていると、男――小柳ロウはちょっと怪訝そうに眉を寄せた。

「なに、やっぱどっか怪我したか」
「あ……いや、本当に大丈夫です!」

 じいとみつめすぎていたかもしれない。思わず勢いよく目を逸らした私に、彼が眉を垂れる。その様も、妙に絵になる人だった。

「あ、の」
「?じゃあ俺はこれで行くから」
「あのっ」

 振り返った彼の青い髪の毛先が、ふわりと風に揺れた。
 春の暮れのことだ、少し桃色の爪紅をした桜の花びらが、彼の髪に張り付いていたのを、今でもよく覚えている。

「好きです!大好きです!」
「――は?」


 名前を、小柳ロウさんという。

 猫のようにきゅっと目尻のつった瞳をいつも少し怪訝そうにして、細い眉はやや困り気味に垂れている。毛先の柔らかそうな髪は無造作に垂れていて、後ろは上手くヘアアイロンが通せないのか、少し跳ねているのが何だか生活感を感じて、とても可愛らしかった。

 多分、一目惚れだった。その男性の割には華奢な身体かと思いきや、案外広い背中を好きになってしまったような気もするし、話し声よりも笑い声の方が低いところを好きになってしまったような気もする。助けてもらったから好きになった、と言ってしまえば実に単純だったが、問題はもう少し根深かった。――三日三晩経っても、頭から離れない。何せまともに恋も一目惚れもしたことがなかったので、これがそれ以外だと、思えない。

 勢いのままに告白した私に、ロウさんはあっさりと「気持ちは嬉しいけど、ごめん、無理」といって去っていた。なんかもう、それすら様になっていて、ああ私がずっと憧れていたヒーローだ!と直感的にそう思った。いや、正しくはロウさんはヒーローの姿ではなく、暗殺者の姿として私の前に現れていたのだが――まあ、結果的に彼は実際表の顔はヒーローなのだから、その辺りは微々たる差だ。

 兎にも角にももう私の頭の中はロウさんでいっぱいだった。今なにをして、なにを考えていて、なにが好きで、どんなことを愛おしいと感じるんだろう――ああやめて!ストーカーだなんて、言わないで!

「てかニルさん、俺、人間じゃねえよ」
「へ」

 あっさりとそう言い放ったロウさんが、やれやれというように肩をすくめて、足を組み直す。

「え、じゃあ何なんですか、タコ?」
「タコは星導」

 カウンターに気怠そうに寄りかかったロウさんが、ちょっとだけ喉を鳴らす。

 あれ以来時々、彼は薬師としての私を頼りに顔を見せてくれるようになった。何かと戦闘で生傷が多いので、薬なんて幾らあっても足りないのだろう。「よ」と私の告白なんて無かったことみたいに、あっさりと現れた彼に、私は初めこそ驚いたが、段々と気にしなくなっていった。なんせ、今日も昨日も明日もずっとこの人は格好いいのだから、会えるなら何だっていいのである。「今日も好きです!」「どうも、薬もらっていい?」というやりとりはすっかり形骸化してきてしまったような気もするが、まあいい。私が好きなのだから、それでいい。

 何ですか、と眉を寄せている私にロウさんが両手の関節を曲げて、がおー、と悪戯っぽく笑った。

「狼」

 私は目をしぱしぱと瞬かせた。

「狼?」
「そう。白狼、ニルさんの何十倍も生きてるよ、俺」
「えっ何歳ですか!」
「さあ、100超えたあたりから忘れた」

 ということは、100よりもずっと上ということだ。私はといえばせいぜい20数年程度で、なるほど、確かにロウさんからすれば子供か赤子みたいなものだろう。相手にされないのも妙に納得感があった。へえ……と呟いた私に、ロウさんは少し眉を傾けて、不服そうにしてみせる。

「おい、ノーリアクションかよ」
「ああ、いや、なんか別に、むしろかっこいいなってくらいなので……」
「何だそれ、ニルさんってちょっと変わってる人なん?」

 ま、いきなり告白してくるあたり変わってるわなと一人で納得して、彼が立ち上がる。

「薬ありがとう、また来るわ」
「!はい」
「ニルさんってちょっとそそっかしいから戸締り気をつけろよ。表もあんたの妖術の匂いにつられて随分妖魔がいる」

 じゃあな、と言ってロウさんが浅く片手を振った。それに私もおんなじようにして返しながら、その背中を見つめる。───またって、いつだろう。早く来るといいな、と思いつつ、でもくる時ってあの薬が全部無くなった時だ。やっぱり、あんまり来ないといいな。そう思って私は、小さく息をついた。


「ニル、これどうにかできるか!」

 ばん、と扉が開いて、読みかけの本を思わず床に落とす。振り返ると、肩に誰かを担いだロウさんが、いつになく焦った顔をして入り口に立っていた。濃い妖術の匂いがする。肩口に担がれているのは、ロウさんより幾分体格の良い男性だった。苦しそうに息をあがっている。

「ロウさん、状況教えてください!」

 ばっ、とベッドの上のものを放って、慌てて机の中のものを漁る。非常によくない状態だった。術陣を手早くちびて短くなった鉛筆で描く私に、ロウさんが答える。

「妖魔に襲われていた一般市民だ、俺たちがついた時に半分取り憑かれていてこの状態だ。最悪斬ることもできるんだが、まだ助かるなら――」
「助けますよ、それがこちら側の役目なので」

 ヒーローが敵を倒し救うのが役目なら、後をどうにかするのがヒーラーの役目だ。傷は複雑だが、やってやれないことはない。万が一中の妖魔が暴れてもロウさんがいるので何の問題もない。あとは私が、やるかどうかだけだった。

 ぎゅ、と袖を縛った私に、ロウさんが小さく「頼むわ」と呟いた。これほど薬師冥利に尽きようか。ヒーローに頼られるだなんて、私も随分と出世したものである。

 それから妖魔との格闘は三日三晩に及んだ。ちょうどロウさんのことが好きだと思って悩み続けた時間と同じだな、と思うくらいには私の心にも余裕が出てきていた。すっかり顔色の良くなった患者を横目に、目を閉じる。
 薬師は所詮妖術が使える程度で医者ではないので、この先はなにもできなかった。そしてその医師もまた、魔術師ではないので、傷の回復は本人の気力、そして最後は自然治癒に任せることになる。呼び寄せた医者があとは請け負いますよと肩を叩いたのと同時に、意識を手放した。お疲れ、と言ってくれたのは多分ロウさんだ。――ロウさんだったらいいなと、思っている。


「本当にありがとうございました」
「いえ、ご無事で何よりです」

 すっかり具合の良くなった患者に手を振って、私はその背中を見送った。
 一番深い傷は西の国でいちばんの医師が縫い上げたので、あとは体の回復を待つのみだ。自宅療養で結構、という診断がようやく出たので、彼は家へと帰っていった。妖魔もすっかり祓い終えたので、土気色だった顔色も嘘のように明るい。祓った妖魔はもちろんロウさんが斬り伏せた。多分ロウさんがいてくれなければ、巻き添えを食らって私まで死んでいただろう。

「ニル」

 ずっとニルさん、だったのに、いつのまにかそう呼ぶようになったロウさんが扉にもたれて私を呼ぶ。

「頼って悪かった、ありがとうな」
「いいえ。これが仕事ですから」
「大して寝れてないだろ、ちゃんと寝ろよ」

 くしゃ、と大きな手が私の髪に触れて、少しだけ丁寧な手つきで掻き回される。骨っぽい、男の人の大きな手のひらで、それが何だか悔しかった。ロウさんからしたら私なんてずっと弱い人間でしかないのかもしれない。100以上も生きていれば、実にすぐ死ぬ人間の一人でしか、ないのかもしれない。

「ロウさん」
「ん、なに?」
「好きです、とっても」

 ロウさんはそれにちょっと目を見開いて――それからきゅっと細めて、笑った。

「お前そればっか!」

 その顔が、たまらなく好きだと思った。みんなのヒーロー、みんなの青レンジャーのロウさんのその顔が、私だけに向いていてくれたらいいのにと、そう思ったのが夏の暮れ、彼の白い肌に先の鋭い夏の葉が影を落としていたのをよく覚えている。