ニルが死んだ。
人にしては長く生きた。充分、むしろ長生きすぎるくらいだ。人間の女の平均寿命と言われてるところまではしっかり生き抜いた。上々だ。お前が平均寿命をあげたんだ、よくやった。だのに、お前の人生が俺の4分の1の時間にも満たなかった。それだけだ。
あっさり焼かれて骨になった彼女は、真四角な箱の中で眠っている。お前、ずいぶん小さくなったな、と声をかけたくなった。どうせ返ってこないのに、そうですかあ?と間延びした情けない顔でお前がどこかで笑ってやしないか、ずっとそればかりを考えていた。
「死んだ」
それだけいうと、星導は少しだけ傷ましそうに目を細めた。飄々のらりくらりのこいつにしては珍しい顔だ。お前、そういう顔を俺に向けられるんだなと思った。俺よりもさらに人の生き死にを見送っておきながら、鈍感にならずにいられるこいつが羨ましかった。
「小柳くん、一人で大丈夫ですか」
星導はそっと控えめに傘を差し出した。何やってんだ、と思って空を見上げれば、なるほど確かに雨が降ってきていた。服の肩口を小雨が濡らしている。おい、ニル、お前が雨が好きとか言うからや。お前が死んだ日に雨降らせてやろうなんて、いらないことを考えた奴が天にいる。
「平気」
短く答えた声は、思っていたよりも普通の声色で外に出た。それでいい。どうせ、わかっていたことだ。彼女と番うと決めた日から、遅かれ早かれ来ることなどわかっていた。隣で笑っていようが、泣いていようが、愛してやろうが、どうせ俺より長く生きてくれないことなどわかっていた。
そっと、随分とこじんまりとしてしまったニルに触れる。歳をとるにつれて口癖のように「綺麗じゃないから隣に居たくない」と気がついたら写真の一枚も撮らなくなっていた。一番綺麗な出逢った頃の写真にしてねと渡された遺影は、俺の写真があまりにも無愛想で、却下してやった。お前なんか、馬鹿みたいに笑っている顔で十分だ。澄ました顔なんか少しも可愛くない。お前は、ずっと、そうやって底抜けに素直に笑ったり泣いたりしているのが、一番可愛かった。
白狼の寿命は長い。せいぜい俺はまだ半分に差し掛かるか差し掛からないか、あるいはもう少しばかり生きるだろう。同種の中ではまだまだ若輩者だ。100年以上生きてきて、初めて番ってもいいと思った女だった。今更番なんざと斜に構えていた俺に、いつのまにか当然のように隣にいた、変な女だ。できるだけ、できるだけ優しくした。なんだっていいから、人間にもわかるように愛してやりたかった。お前を知らなかった時間の人生よりも短い時間で、長い寿命のうちの全てを与えてやりたかった。
「余計なことしてんじゃねぇよ」
指先で骨壷をつつくと、空虚な音がした。お前を知ってしまったので、残りの寿命で、俺はお前がいなかったことにできなくなってしまった。きっとずっと思い出と時間を追いかける。忘れたらそれまでだ。けれどきっと、忘れないように指折り数えて生きてしまう。
「小柳くん」
黙ってそこにいた星導が、俺と同じようにしてしゃがみ込んだ。雨が傘を打つ。湿った空気の匂いがまとわりつく。
「次は彼女、狼になってきてくれたらいいですね」
星導はそう言って俺の方を見てゆっくり笑った。うるせえな、馬鹿、はなからそのつもりなんだ。そう何遍もあいつの死に水取るってんじゃ割に合わない。狼だろうがタコだろうが、なんならいっちゃん長生きする人間だろうがなんだってよかった。次は、長生きしろ。絶対にだ、そんで上手いこと俺を見つけに来い。
涙は出なかった。吹き荒ぶ雨風にだけ耳を潜めて、ニルのやかましい笑い声だけを、必死に思い出していた。